勿岐草
「うーわみんなびしゃびしゃ! あっはははっは!」
「俺より濡れた奴って、もう全員じゃないか」
「…………」
防ぐ手段を色々考えたが、考えている内に全員が手遅れになった。未来の事なんて知るもんじゃない。これから起こる事の恐ろしさを思えば、身体を濡らそうなどとは到底思わないから。
芽々子もすっかりびしょ濡れになって、長い髪から雫を滴らせて人かどうかも怪しくなってきた。いや失礼、濡れた髪で顔が覆われると、有名なホラー映画の怪物みたいに見えてきた。夜にこんな奴が現れたら誰だって驚くが、真の怪異はもはや怖いではなく悍ましい。視界に映る現実すら拒みたくなる醜さを持っていた。特別醜いと思ったというよりも……難しい。生ける者として、それが近くにいる事を拒みたくなる、というか。
近い感想を抱いたのは芽々子のバラバラ死体を見た時だ。芽々子の事は可愛いと思ってるけど、あれは醜かった。体のパーツを繋げれば同じだったかもしれないけど、それでも見たくない、汚い、有り得ない。そんな事を思った。
「ていうかもう一時間くらい経ったよね。皆戻ってこないのマジ? どうする?」
「俺ぁ、まだ遊んでてもいいぜ。服はまあ……きになっけど気にしねえ! 一々着替えんのも怠いし!」
代表の意見ではないが、反応を見るに概ね全員がその見解で一致しているようだ。だがそれは困る。濡れていたら危ない事は間違いないのだ。乾かす手段なんてない? 俺達だけでも着替えるべきだろうが、そもそもその手段がない。家にまで戻るのは…………さっきまでなら手段として考えていた。だけど今は、駄目だ。遠目に見ても誰か分からなかった人物が、『三つ顔の濡れ男』に本領を発揮させる為としか思えないような準備を済ませていた可能性がある。無関係ならあの場から逃げる意味はないし、関係者ではある筈だ。
だから家に帰りたくない。不測の要素が知らない内に介入していたらそれはもうどうしようもないから。
「もう少し待って帰ってこなかったら私探してくるよ。それまでこっちで肉焼いてよ。まだあるし」
「響希が言い出しっぺって事で、俺ら無責任な!」
「……まあいいけど」
それからは存外、落ち着いた時間が続いた。
騒ぐと言っても肉の美味しさに騒ぐばかりで特段何か起こったりはしない。皆、口にしないだけでそれとなく疲れているのだ。人数が半減したら猶更、空気は落ち着いていく。
「どうしようかな……」
「何が?」
「……未来でさ、その。しただろ。響希の話」
周囲に単語を聞かれても極力問題なく、且つギリギリ伝わるような言葉選びをしないといけない。たった数十人のグループから離れたら、もうそれだけで不自然だ。それが男女一組だったりしたらもうそういう関係とも誤認されかねない。
「俺は何も出来なかった。取り乱すのを止めてやれなかった。触りたくないって思ったんだ……あれって多分、放置したら不味いよな」
「浸渉の最後に待つのは見るのも嫌な変死体の完成よ。恐怖を和らげてあげれば進行は遅くなる。どんな症状だったのかしら」
「顔が全身。顔だらけ」
「外傷や病気による変形、はたまた生まれつきの奇形に恐怖を覚えるのは、他ならぬ本人よ。周囲には普通が沢山ある。普通と違うのは、そしてそんな普通から忌避されるのは精神的な排斥だから……彼女が安心させるような事をして」
もう一人の芽々子を探しに出かけたクラスメイトが戻ってきたのはそこから更に時間のかかって、二〇時半を過ぎる頃だった。
「おっそ! 何してたの~!」
流石にすっかり日が落ちて怪談などなくても怖くなるような時間帯。寂しさを滲ませる百歌の声に、俊介は興奮冷めやらぬ様子で応えた。
「いや居たんだって芽々子が! なあ」
「マジでいた! 俺らおっかけたもん!」
「アンタらが言うと嘘みたいだから。因みに私も見たからマジだよ百歌!」
「ええ? 芽々子ちゃんはアタシ達と遊んでたんだけどナ?」
「気のせいでしょうね」
「……い、一応俺が戻ってきた原因もそれなんだけど」
「じゃあそれも気のせい」
まさかと思うが、普通に見つかって逃げていたのか? でも芽々子を見たという事ならそれしか考えられない。本体を動かしながら違う自分を動かす感覚は分からないけど……これだけ長い時間帰ってこなかったくらいだから、相当粘着されたと窺える。
「後少しだったんだけどなー。まあ疲れたし、そもそもよく考えたらもう一人国津守が居ても怖くないしな」
「そそ。可愛いだけ」
「で、暗くなってきて戻ってきたと。どうするんだ? 悪いけどこっちは普通にバーベキュー楽しんでたから肉とかもう少ないぞ。ないとも言わないけど、まだやるか?」
「おう、それな。食いたい奴は食ってもいいと思うぞ。それよりもほら、夜と言えば花火だろ! テレビで見るようなでかいのはねえけど、これぐらいはな! もう一人の芽々子を追ってる最中に栄子が取ってきてくれたんだよ。沢山あるからみんなでやろう! で、今日は終わりだ! つーわけでやりたい奴はこっちにこい! 肉食いたい奴の邪魔とかしないようにな!」
いよいよだ。
いよいよ、時間帯が被る。俺が薬を使って行った世界は午後二一時以降。具体的な時間帯を把握する必要なんてない。そうだ、情報も何もなかった場合、ここから惨劇が発生する。
過去の―――いや、未来と過去が繋がっていく。本来ぼんやりしていた視界はクリアになり、死の予感を感じて五感は研ぎ澄まされていく。本来あるべき過程をすっ飛ばして未来を見たが、過程をしっかり見た今なら分かる。確かに、敵に対する情報がないなら何か出来るようなイベントはなかった。時間は無為に流れるべくして流れたとも言う。
だが今回は違う。万全とも言えないが、対策はしてきた。砂浜に転がっていた大量の死体は全て処分済みだし、銛も破棄している。誰も何もしていないから怒る要素もない。
「珍しいわね。アンタから私を誘うなんて」
「花火くらいいいだろ。昼間だったら恥ずかしいけど、こういう時だったら……な」
実際、わいわい騒ぎたい奴と気になる女子と距離を深めたい奴がいる事は間違いない。それをお互いに侵犯せず、茶化しもしないのが暗黙の了解というか、この島に居るんだから気の一つくらい使う。親しき仲にも、だ。
線香花火を散らしながら、何か言いたげな響希を差し置いてぽつりと呟く。
「楽しかったな。滅茶苦茶疲れたけど、なんか充実感が残ってるし、後悔はしてないよ」
「予定とかあったもんじゃないけど、こういうのもたまにはいいわよね。でもアンタは言っちゃダメでしょ。バイトばっかりしてんだから。体壊すよ?」
「一人暮らしの資金集めだからしょうがない。家賃もバカにならないんだ。誰かのヒモになるのは申し訳ない……ていうか家を出た意味がない。その……非常に言い出しにくいんだけど、肩の顔はどうだ?」
「…………」
言葉の返事はないが、咄嗟に肩を抑えた反応を見れば十分だ。まだ何も変化はない。未来では俺が芽々子と話す為に離れたらその短時間の内に悪化していた。やはり死体を処分して周囲に置かせなかった事が功を奏している……のか。
「楽しくて、忘れてたわ」
「まあ服だけ着てたら肩は隠せるもんな…………その、えっと。芽々子。もし肩だけにある顔が全身に広がったら、お前はどうする」
「な、何キモイ事言ってんの!」
「大事な質問なんだっ」
まだ起きていないは、これからも起きないではない。起きてから話すべきかそれとも今話すべきか。考えたら、あの時の彼女は発狂していて言葉でのやり取りが殆ど不可能だった。
「…………そんなの、死にたくなるに決まってるでしょ。こんなキモイの、肩にだって出てほしくないわよ。これがずっと残ったら着れる服だって減っちゃうし。それが全身なんて考えたくもない。一生部屋に閉じ籠るわ」
「……そうだよな。俺も全身顔になったお前を見たらそう思った。そう思う」
「……?」
「でもそれでお前の事が嫌いとか、そういう事にはならない。どんな姿になってもお前はお前だって思う。約束する。お前がどんなに変わっても、今度は…………コホン。お前は何をすれば落ち着くと思う?」
「これって何? どんな質問よ。自分の全身に顔が浮かび上がって冷静になれる人なんかいるのかしら…………なんか妙な話だけど、そうね。多分…………気持ち悪がるより優先するべき事があったら、落ち着くと思うけど」
「ていうと……思いもよらない事が起きたらって事か?」
「例えば、アンタの体にも顔が出たりしたら、それどころじゃなくなるでしょうね! ねえ、やめてよこんな話。気にしちゃうでしょ」
―――そう、か。
芽々子の方も変化はない、筈だ。遠くにも行っていないし、誰かが死んでたりもしない。やはりあの死体がきっかけになっていたのだろうか。このまま解散まで持ち込めれば……最低でもそれなら、解決はしないが余計な死者も出ない。
「ねえちょっと、アンタ達見た?」
「え?」
「ん?」
俺達にそれとなく声を掛けてきたのは恭介と栄子の二人組だ。誰も何も言わないだけで暫定カップルな二人が一緒に居る事に大した疑問はない。
「何が?」
「俊介が居ないのよね。や、別に気にしてたんじゃないけど、なんか急に用事があるとか言ってどっか行ったの。見てないならいいけど―――」
線香花火が丁度良く、消えてしまう。三人の顔が暗くなって見えなくなったので、俺は慌てて携帯のライトをつけた。
「探すの手伝おう。響希も来てくれ。一人だと寂しい」
「何それ。へっ、まあそこまで言うならきてあげなくもないかな……アイツの思いつきには散々振り回されたし、文句言ってやらないとね!」
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