溺れるような羞恥
「バーベキューセットの準備はまだみたいね」
「…………」
こっちが現実なのは分かっているつもりだ。けど、あんな散り散りになって、みんな死んで、静けさだけが残った砂浜は今でも鮮明に覚えている。真っ暗闇で殆ど何も見えなかったけど、みんな死んだという事だけは分かった。
それが今は、こんなにも騒がしく、活き活きとしていて、生命力に溢れている。何でもない事の筈が、幻を見ているように懐かしく思えた。
響希の体も、まだ悍ましい事にはなっていない様子。
肩だけを気にしていればいいなら、上の服をまた着れば十分隠せる。気を紛らわせる為だろう、準備には意欲を見せていた。
「お楽しみの時間にはもう少しかかりそう。その間に貴方の成果を聞かせてもらいましょう」
喧騒から離れるように二人で洞窟の方まで歩いていく。ここはそう。未来では大量の殻に覆われた人型がどかされていた場所。あれを使って曰く付きの場所などないこの島で、みんなは肝試しをやろうとしていた。
「何処から話したらいいものかな……まず、夜になったらみんな花火をやるみたいだ。それで……ああそう、響希が俺に花火をくれたんだけど……あの時は何にもなかった筈なんだ」
「何の話?」
「夜までにあの白い人型の奴が大量に見つかって、それで遊ぼうって流れになったんだよ。それで……えっと。向こうの芽々子に話を聞きに行ったんだ。訳が分からなくてさ。そうしたら『三つ顔の濡れ男』に殺された。確か、そう。クロメアによると濡れたら駄目っぽいんだ!」
「未来の私は何らかの理由で濡れていたという訳ね」
「俺は慌てて逃げて皆に危険を伝えようとしたけどあんまり本気にされなくてさ。その時響希が近くに居ないって気づいたんだ。未来にとって今が過去でも、アイツが俺に助けを求めた事実は変わらないだろ。だからアイツだけは信じてくれると思ったのに反応がなかった。それで探したらトイレに居て、いなくなった理由が分かった。隠せなくなったんだ。体中に顔が現れて、化け物みたいになってた」
「浸渉はね、心が弱っている時程進みやすく、怪異が活性化している時に状態が悪化するの。貴方が再びグループにまじってから私が殺されるまでどれくらいのインターバルがあった?」
「三十分もないと思うけどな」
だから、俺も狼狽えてしまった。怪異を相互認識したという割には症状は遅々として進まず、噂を知ったクラスメイト達にも変化はなく。あんな苛烈に状況が変わると知っていたなら、もう少し冷静に対処出来たような……どうだろう。それまでに慌ててしまったかもしれない。
「最初から怒っていたのかもね」
「怒ってた? でも何もしてないぞ」
「貴方はその時間帯を観測していただけで、今からそこまでの間の時間を観測していないでしょ。何が起こったか分からないけど、何か起きたのよ。今のこの砂浜と夜とで変化はあった?」
「あの白い人型が……そうだ! クロメアによるとあれは怪異の傀儡らしい。白い殻が繋がってて、元の素材は死体。怪異が活発になったら動くみたいな分析を聞いた。夜はここに大量の人型があったけど、もしかしたらそれが原因なんじゃないか?」
「沢山見つけたのが駄目だったって事? ……まあ、今はいいでしょう。他には?」
「みんな殺されて……クロメアに言われて痕跡を集めた。それで、そうだ。『三つ顔の濡れ男』は条件を満たすと血液を汚染させるらしい。血液は『三つ顔の濡れ男』に向かって流れる性質があって、未来のお前はそれで破壊された」
「私に血はないけど、濡れたら駄目と繋がったわね」
「それで……痕跡を集めてるうちに向こうの洞窟に行ったんだ。何かあったんじゃないけど、そこでいよいよ見つかった。アイツは銛を飛ばしてくる。クロメアが鉄で助かったけど、幾ら運動神経が良くても限度があってさ。本当に危なかったんだけど、そこをお前に助けられた。『三つ顔の濡れ男』は水を遠ざける物が苦手って聞いたよ」
「水を遠ざける……花火をしていたと言ったけど、襲撃時には点いてた?」
「いや、全部消えて逃げ惑ってたよ」
「それなら火の用意が必要ね。火、日。太陽が沈んでからが本番かな。後はない?」
言っていない事があるとすれば箱の設計ミスにより扉を内側から閉める手段がなかった所に、何者かが手伝ってくれた事だ。けどそれを気にしてどうなる。怪異に関係あるとは思えない。
「もう、ない。あんまり調べられた気がしない……ごめん」
「十分だから気にしないで。そんな悲惨な未来にはまだ分岐していない。出来る事があるから。総合するに貴方は『仮想性侵入藥』の原理や箱の意味について理解が及んでいないようだけど、今は聞かないで。最優先は情報の補完よ」
芽々子に連れられ戻ってきた。まだ浅瀬であてもなく遊ぶグループにそれとなく混じると、彼女がにわかに問いかけた。
「夜の叫び声について誰かが調べたって聞いたんだけど、誰か知らない? 私、とても気になっているの」
「私も気になってるけどしらなーい!」
「調べるって言っても、方法ないしー?」
「俺は調べたけど、あれだぜ。叫び声ってのは気のせいなんじゃないかってのは聞いた」
「へえ?」
「うちの親父が言うにはよ、波が岩に当たった音なんだってさ。バシャーンって感じ! あ、ほら。そこの岩見てろ! バシャーン! な?」
「そ、そんなの声と勘違いするか?」
「俺もそう思わねえけど、柳木んちの近くから何度か聞こえた事もあったらしいぜ。もうアイツは引っ越しちまったけどさ、なんか……あれなんじゃね? 残留思念的な!」
そういえば事の発端は柳木が消えた事にあった。浜での惨劇を見た後だと生息地が海だとばかり思ってしまうが、本当の出現場所は何処なのだろう。死体が消えたのは何故? あの時は流れから言って警官が処理した物とばかり考えていたが、それなら警官は怪異を認識している事になるのでは?
「ありがとう。とても興味深い話だったわ」
適当にお礼を言って芽々子は引き下がる。そこに不自然さはないだろう。バーベキューの準備はいつの間にか完了しており、試しに焼いた肉を芽々子に食べさせたい男子が居ただけだ。呼ばれたら、当然向かうべきである。
「私に食べてほしいの?」
「おうよ! 別に誰でもいいんだけどよ……いいんだよほら! 食べてみろって!」
「それじゃあ……」
「た、食べるのか!?」
思わず声を大にして疑ってしまった。人形は何も食べられない。食べたところで意味がない。なのにみんなが見ている所で食べるのか。食べられるのか。俺の声も聴かず、芽々子は静かに串に口を当てて肉を頬張った。口が動いている間は喋らず。手が持ち上がって、親指を立てる。
「お!? マジ! やっぱうまいよな! そうだよな! 見ろよ俺、肉プロだから! 焼くのに関しちゃ右に出る者はいねえから!」
「はあ? 私のが上手いんですけど」
芽々子の反応が良い景気づけになったのは間違いない。みんな次々と食材を取り出してはあれもこれもと焼き始める。そんな中で芽々子がまた岩陰に隠れようと動いたので、俺も慌てて後を追った。
「おい、大丈夫か? 必要ないのに食べるからだぞ」
「あそこで食べないと怪しまれるし、食べ物を粗末にするのは良くないわ。よく来てくれたわね」
口は相変わらず動いているが……綺麗な発音だ。
「どうやって喋ってるんだよ」
「私は人形よ。口腔が塞がっていても喋るくらいは出来る。食べて消化する事は出来ないけどね」
不意に、彼女の体が近づいてきた。反射的にのけぞろうとしたが、横に体を押されて岩に退路を阻まれる。
「ちょっと想定より情報が足りないから、情報を二人で整理しましょう。その前に―――」
二人きりの内緒話。果たしてそれは友人同士でも行われるが、それ以上はないものとする。感情がないと自称する彼女からその行動を予測するのは到底不可能な事だ。
「ん…………!」
接吻。
いや、口移し。
それを理解するまでに三分以上かかった。彼女の口の中で咀嚼されていただけの肉は柔らかくなった以上の影響がない。俺の口はすんなりと受け入れてしまい、瞬く間に嚥下した。
「な、何すんだよっ! こ、これはその……ち、違う…………!」
「吐いて捨てると思ったの? そんなのもったいないでしょう。でも私は食べられないから、貴方が食べるべき」
「いや、絶対断るべきだったじゃあ! こ、こんな恥ずかしい……か、勘違いされたらお互い困るんだからな!」
「でもあの状況で断るのは不自然よ。人間関係に理由もなく亀裂を入れるのは推奨しない。動きにくくなるから」
「だからって恥ずかしいだろっ。クソ、人形だから恥ずかしくないのか。恥ずかしいのは俺だけかよ…………!」
芽々子は髪を翻し、早足で波打ち際まで距離をとった。
「…………そうね。人形で良かった。恥ずかしく、ないものね」
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