災悪なる夢ウツツ

 か、鞄が喋った!?

 夢でも見ているのだろうか、いや、夢みたいなものという話は聞いているが。

「え、えっと…………ごめん…………?」

「謝罪ヲ求メテイル訳デハナイノデスガ、ココハ危険デス。直グニ離レルベキデショウ」

「ど、何処に逃げればいい?」

 出来るだけ声を殺しているが、鞄から聞こえる機械的な音声はそのような配慮を知らないらしい。鞄を手放そうとしても全く指が動かなくなったので仕方なしに鞄を持ったまま暗闇を駆けだした。砂浜を見えないまま走るのは足も取られて非常に辛かったが、町の方まで移動すればコンクリートがしっかりと存在する。暗闇でも地面をしっかりと踏みしめる感覚が何となく心も安定させてくれた。

「響希は暫くあそこにいるだろうから大丈夫として、ここからどうしよう……えっと、クロメアだっけ」

「確認。天宮様ハ怪異ノ痕跡ヲ収集スルベク薬ヲ打ッタ。ソシテ私ヲ傍ニ付カセタ。『三つ顔の濡れ男』ヲ対象トスル。オ間違イハゴザイマセンカ?」

「合ってる……けど。そもそもあれは本当に三つ顔の濡れ男なのか? 俺はそもそもそこが知りたいんだけど!」

「ソレヲ証明スル為ニハマダ痕跡ガ足リマセン。怪異ノ性質ガ現レテイル物体ヲ収集シテ下サイ」

 痕跡……やはりそういう意味になるか。振り返って背後を照らすも、砂浜を照らす程の光はない。道を照らす街灯も広範囲を照らすにはあまりにか細い。離れるように島の奥へと逃げていくと、チカチカと明滅を繰り返すモノもあった。

「…………追ってきてはないか。はぁ」

 心臓の拍動は早まるばかり。危機は去ったのにまだその現実を直視出来ていないようだ。一方でまだ視界はぼんやりしているし体は怠い。本格的に逃げようと思ったら難しくなる事は明らかだった。

「クロメア。どうすればいい? 痕跡って言うのは具体的に何を集めるんだ?」

「提案。殺サレタ人々ノ死骸ヲ集メマショウ。殺サレ方ガ分カレバ自ズト怪異トシテノ力モ見エテキマス」

「殺されるのをみすみす見逃せっていうのか!? ここは……俺達が何もしなかった場合の未来、なんだろうけど。そんな事したくない。他にないのか!?」

「未来ヲ観測スル事ハ悪イ事デハゴザイマセン。時ニ天宮様。観測者ノ存在シナイ現実ハドノヨウニ変容スルカ御存ジデショウカ」

「何だそれ? そんな状況想定しても無意味じゃないか? 誰も見てない物をどう捉えろって言うんだよ」

「ハイ。そして観測者ガタッタ一人シカイナイ場合モ話ハ似通ッテオリマス。タッタ一人ノ認識ニ支エラレタ現実ニ意味ハナイ。本来アルベキ法則ハ崩レ全テハ無意味トナルデショウ。デスガ、コノ状況ハ違イマス」

「…………?」

「コレハ予知ナノデス天宮様。貴方ガココデ死ヲ観測スレバ、少ナクトモその方ハソレマデニ死ヌ事ハアリマセン。誰モ死ナセタクナイト仰ルナラバ、猶更ココデ死ヲ見届ケナケレバナリマセン」

 鞄が瞬きをして俺にそれとなく問いかけている。果たしてこれは善悪の問題でも倫理の問題でもはたまた道徳心を問われてもいない。我儘を通すかどうかの話だと。

 

 単に自分が不愉快という理由で死から目を逸らし、結果に揺らぎをもたらしたまま戻るか。

 自分が不愉快でも結果を確定させ、それまでに事態を解決させるか。


 原理は聞いていないから分からないが、つまりそういう事だろう。誰かを助けたいと思うなら、同時に助けない事も考慮しないといけない。この場合は、この未来を。

「………………………………どれくらい、必要だ」

「アレバアルダケ必要デス」

 潮の香りに気を付けながら、俺は慎重に一時帰宅。台所から包丁を持ち出すと、改めて砂浜に向かって歩き出した。港付近には高齢者が多いから、人通りは死んだように途絶える。それでももし事情を知らない人に遭遇したら説明するのが面倒になるから包丁について気づかれてはいけない。

「まずは芽々子の所に行く。こっちではもう死んだ」

「畏マリマシタ」

 視界はこの暗闇だ、役に立った試しがなく、携帯の灯りを使えば自分はここに居ると教えているような物だろう。だから匂いでソイツの接近に気づくしかない。



「うわあああああああああ!」


 

 また何処かで、叫び声が聞こえる。近くには居ないかもしれない。どうもこの鞄は夜目が利くらしく、国津守芽々子の死体と注文すればすぐに見つけてくれた。

「……………」

 人形の体は、完膚なきまでに破壊されていた。折れた首の、その折れ目からも黒い水が噴き出している。水圧に耐えられなくなったのか体のいたるところがひび割れており、ひび割れた場所からも例外なく水が零れている。少し肌を触ってみるとぶよぶよに柔らかい。水の表面にタオルを敷いたような頼りない感覚だ。刃物を使うまでもなく表面が陥没した。

 あんなに綺麗な顔がここまで惨たらしく破壊されていると、やはり直視に堪えかねる。生身の体でないだけマシというべきか―――だけど俺は、眼福とか目の保養とかそういう意味なら芽々子が一番好みだし。

 それがこうも無残に破壊されると自分でも想定していた以上にダメージがある。初めて出会った時のように、生き返る兆候はない。

「ごめんな芽々子。お前の死体を……使う」

 

 包丁を手当たり次第に突き刺して、その体をバラバラに分解した。


 細かく砕いた破片を鞄の中に入れると、また中で歯車でも回るような機構の音がする。カチャカチャ。カチャカチャ。鞄の中から円筒が出てきたので、身体を蝕んでいた水を慎重に注いでやる。

「…………どうだ?」

「『三つ顔の濡れ男』。推定能力ハ血液汚染。コレハ怪異ノ影響ヲ受ケタ血液デス。何ラカノ条件ヲ満タストコノヨウナ状態ニナルト推察サレマス。液体ハ『三つ顔の濡れ男』ノ元ヘト引カレル性質ガアル様デス。天宮様ニハゴ確認イタダケマセンガ、砂ニ染ミタ血液ハ全テ特定ノ方向ヘト物理法則ヲ無視シテ流レテオリマス。国津守様ハコノ汚染ヲ受ケテ、体外ヘ出ヨウトスル血液ニ破壊サレタノデショウ」

「血液の汚染……アイツって人形なのに血とか流れてるんだな。でも血みたいな物は用意してるのか。じゃなきゃ体温でバレると思うし」

「否定。芽々子様ハ直前マデ海水ニ浸ッテイタヨウデス。ソレガ引キ金トナッテオリマス」

「…………

 普通の人間には関係ない話だが、芽々子も命がかかっている。これも大切な情報だ。少なくとも濡れていなければ彼女が死ぬような事はない。

「他には?」

「痕跡ガ必要デス」

 少しの痕跡で多くの情報を。そう都合よくは行かないか。覚悟を決めて次の死体を探したいが……闇雲に当たるのはリスクが高いかもしれない。潮の匂いとは言うが、そもそもここは海が近い。潮の匂いなんて当たり前にする。強さが違うのは分かるが、それで正確な危機管理が出来る自信はなかった。

 色々考えた末に、浜から地続きに繋がる洞窟へと向かう事にした。誰か逃げ込んで、或いは生存しているかもしれない。そこが行き止まりと分かっていても逃げたくなるのが心理の筈だ。

「……そういえば、あの殻に覆われた人型の変なのは何なんだ? 薬を打つ前だけどクロメアの中に入ってるよな。分析は済んでるか?」

「肯定。アレハ怪異ノ影響ヲ受ケタ、例エルナラ海中ミイラデゴザイマス。アノ殻ハ既存ノ生態系ニハ分類サレナイ特殊ナ生物デアリ、死体ニ寄生シタ後、ソノ体ノ細胞ヲ覆イ尽クス程成長シマス。覆ワレタ死体ハ怪異ノ影響デ活性化シ、仲間ヲ求メテ無差別ニ人ヲ襲ウデショウ」




「丁度、天宮様ヲ殺ソウト背後ニイラッシャイマスヨ」




「うわあああああああああああああ!」


 洞窟に声が反響するのもおかまいなしに、反射的に鞄を遠心力で振り抜いてしまった。鉄の塊で撃ち抜かれた身体が大きく横に富んで、音を立てながら砕け散る。慌てて懐中電灯を当てると、そいつは確かに浜に打ち上げられた白い人型だった。

「…………はぁ! はぁ! も、もっと早く言ってくれよ!」

「天宮様。今一度データヲ収集シテクダサイ。最初カラアッタ痕跡ハ年月ガ経チスギテイマシタ。更ナル分析ニハ新タナ痕跡ガ求メラレマス」

 今度は怪物と認識しているから大丈夫だ。ミイラであろうと体の中身は変わらないかと思ったが、文字通りの骨抜き―――というか、中までびっしり殻が詰まっているから見た目が固いっぽいだけで実際はなんて事のない空洞だ。大雑把に砕いて鞄の中に詰め込んでいく。

 収集中、新たなクラスメイトの死体を見つけた。暗闇のお陰でハッキリとは目撃していないが、似たような死に方を見たばかりだ。口から臓器を丸ごと吸い出されたように、全部ぶちまけている。ロープ状に絞られた器官が、マジックで旗を出すみたいに。

 見たくなかったので、すぐに切り刻んだ。綺麗な仕事など期待出来ない。体は死体処理に勤しんだ結果血塗れだ。じきにクロメアが分析を終えると、鞄の中から鉄フレームで出来た腕が生えてきた。掌には側面がギザギザとしたシャベルが置かれており、どうも俺に受け取ってほしいと言っているらしい。

「な、なんだよ」

「後ハ、本体ノ情報デス」

「何?」

 受け取って、本体と聞いて、それから俺はようやく自分が追い込まれている事に気が付いた。







 鼻を焦がすような朱い潮の匂いが、する。

 

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