一重一夜の百面相

 芽々子が死んだ。出会った時も死んでいた。いや、人形だから壊されたという方が正しいのか? どうでもいい。そうじゃない。伝えるべきは、違う。

「あああああああああああああ!」

「おうおうおうおう! 泰斗、どうしたよ。芽々子に驚かされたか?」

「め、芽々子が! 芽々子がっあ、あっ―――――!」

 焦燥、不安、未知、あらゆる要素が口元をこんがらがらせて上手く喋れなくしてしまう。こんな暗い時間帯だ、俺の叫び声以外に彼らは何も聞こえなかっただろう。

「おいおい。男の癖に驚かされて情けねえなあ。大体そっち人気がないんだからそれくらいされるの想定出来んだろ」

「ち、違う! 芽々子が…………ああもういい! お前らより響希のが話が分かるから!」

 そもそも俺の目的は彼女を助ける事だ。クラスメイトの理解を求めたくてこんな事をしているんじゃない。携帯電話の灯りを頼りに響希の顔を探したが―――どこにもない。

「響希が何処に行ったか誰か知ってるか? 栄子とか」

「え? いや、知らないけど……こんな暗がりじゃ誰が誰とかあんま分かんないし。さっき誰かトイレに行ったからそれじゃない?」

「……トイレか」

 出るのを待つべき? いいや、そんな悠長な真似は出来ない。響希は浸渉だかなんだか分からないが、とにかく目をつけられているのだ。他の人よりもまずどんな影響が出るか分からない以上、まずはアイツだ。

 誰が誰とか分からない、というなら俺が露骨に移動しても怪しまれないだろう。芽々子の事を伝えてもこの様子じゃ信じてくれそうもない。もし信じてくれるとするなら実際に体に影響が出ている彼女だけだ。

 浜の端に設置された公衆トイレの入り口に立ってそれとなく様子を観察する。ここから人の有無が分かる訳じゃない。

「響希。居るか?」

 人違いなら恥ずかしいが、それならそれでいい。つまりあそこの集団に居るという事だから、もう一度戻って今度こそ事態を伝えればいいだけだ。でもあそこにいるなら俺があんな取り乱しているのを見たら、向こうから話を聞きに来ると思うけど。



「来ないで!」



 入り口に踏み込むと、石床を踏みつける音が響いたのだろう中から声が響いた。反響して誰の声かは判然としない。ある程度声が高い人物が叫んだら誰でもこんな声になるような、そんな曖昧さがある。

「響希?」

「やめて! 来ないで! 見られたくないの!」

「そんな事言ってる場合じゃない! 芽々子が殺された! 三つ顔の濡れ男が! 一先ず俺と一緒認げ用! こんな所に居てもどうにもならない!」

 もう一歩踏み込むと、半狂乱は更に悪化した。

「やめろ! 来るな馬鹿! 死ね! やだ! 来たら殺す! やめろ! やだ!」

 

 ―――まるで俺が追い詰めてるみたいじゃないか。


 そこまで否定されると気になるというか心配になってくる。思い切って女子トイレの中に入ると、部屋の隅で震える響希が……響希が………………

「…………お前、誰だ?」

「あああああああああああああああああああ! だから来るなって言ったのに! バカ! 死ね! クソ! アンタにこんなの……見せたくなかったよぉ…………」

「……え。え、え、え、ええ! お前響希なのか!?」

 自分で散々探しておいて何を今更と思っただろう。だがそれを別人と見間違えたのも無理のない話。何故なら彼女の上半身を男性の顔が覆いつくしていたから。携帯で照らしてみると良く分かる。臍の上辺りまでびっしりと刻まれた無数のふやけた皺のような顔、顔、顔。指先から顔の表面に至るまで余すところなく顔が生まれ、それらは等しく俺を見つめているようだ。

 気持ち悪い。正直な感想はそれだった。体中に穴でもあけられたみたいに黒々しく、それらは次第に体を侵食している。勝気な姿勢はどこへやら子供のように泣き喚く彼女に触れられもしない。その気持ちがあるだけだ。体が気色悪さを肯定して動きを止めている。

 これが怪物なら、ただ恐怖しただけで済んだ。気持ち悪くて怖い怪物という認識のまま、尻餅でもついて動けなくなっていただろう。だがクラスメイトと知ってから怪物と思うのはどうも不可能であり、残るのはただの不快感。

「私ぃ……どうなるの…………?? たすけて泰斗。助けてよ…………」

「お、お、お、落ち着け! お前はだ、だ、大丈夫だ。大丈夫、大丈夫だから……」

 触れない。触りたくない。


 何で? どうして?


 体がどうしても拒絶する。憐れむならばこそ、救いの手を差し伸べるべきなのに。響希がこんな事になっているのに外は変わらず騒がしい。たった一人いなくなった所で問題ないってか。

「…………取り合えず体を隠せるものを持ってくる。こんな行き止まりに隠れるのは危険なんだ。ここで待っててくれ」

 ゾクゾクと立ち続ける鳥肌から目を背けるように俺はトイレの中を後にした。花火で盛り上がっているからって空気を読めなさすぎだ。芽々子が死んだのにも気づきやしない。クラスメイトには危機感というものがなかった。

 そう思っていたのもそこまで。

 外の喧騒は、実際の所絶叫だった。直前までの和やかで呑気な雰囲気は何処へか、花火は全て消え去り、月明りさえ雲に紛れる中で数々の悲鳴と喘ぎ声だけが轟く。何が起きている?

 携帯の灯りをライト代わりに恐る恐る近づいていくと、爪先に何か濡れた物が当たった。手元が下に逸れて、それを認識する。

「う――――――――!」

 クラスメイトの一人でもある藤木田の死体だった。空っぽになった眼孔や鼻孔から黒い液体が流れており、口にはハエのたかる腐った肉のホースが突っ込まれている。そこからどくどくと鮮血が流れ出ており、それがどれだけ鮮やかでも殆ど死んでいるような状態である事は素人目にも明らかだった。

 こみあげてくるような吐き気を抑え込む。何かを吐くという行動をとてもしたくない。それ自体に嫌悪感を覚えるようになってきた。何度も何度も自分の胸を叩き、痛みで気がどうかしそうになってようやくそんな不快感は何処かへと去っていった。

「何が…………何が起きてるんだ」

 叫ぼうという気にはならない。次第に叫び声は鎮まり、小さくなっていく。あれだけあった声は、右に倣ってどんどんと小さくなっていく。死んだのか、或いは声を潜めたのか。事情は分からない。分かるのは、目立ってはいけない事だけだ。


『鉄の鞄を持ってない? それに怪異の痕跡をあつめヴぁィっ』

『貴方をこれから未来に行かせる。時間帯は夜の二一時以降。まだここで騒いでいるでしょう。外が騒がしくなったら箱を出て、恐らく同じように箱の中にあるこの鞄を持って騒ぎに混ざって頂戴。貴方が戻るまで私は何もしない。未来の中で情報を得たら、そのカバンの中に証拠を入れて。未来の結果が過去の選択を変える―――こうでもしないと、全員死ぬから』


 ふと、頭の中で芽々子の声が響いたような気がした。言い聞かせるようにその声は優しく、信じるように声は心のどこかに残り続けていた。証拠、痕跡? それはなんだ? ゲームなんかでいうところのモンスターの素材だろうか。つまりそれは? 戦うという事?

 昔やったゲームに認識を引っ張られているか。そも、俺達は戦う為の準備をしている訳で。必要なのはだから…………痕跡。痕跡だ! 

 警察が犯人を特定する際に使うような指紋とか血液とか皮膚片とか下足痕とか。犯人に続く手がかり―――置き換えるなら、三つ顔の濡れ男についてその性質や対策や傾向が分かるような痕跡を集めろという事。

隠してあった鞄を探すべく、手探りで大まかな場所に戻ってきて探し始めた。何体かの死体については極力意識しない事とする。耳を澄ましても生物のいるような音は聞こえないが、ここには確実に何か居る。

 鞄を見つけて手に取ると、歯車が回るような音が鳴りだした。手を放すべきか悩んだものの、悩んでいる内にとっての方が俺の手を絡めとって動くに動けない。動揺を押し殺してその場に蹲る対応は、十分最善と言えただろう。


 ―――なんだよこの鞄!


 横目にじっと眺めていると、鞄の側面が瞼のように開き、真っ赤で縦に裂けたような蛇の瞳と目が合った。












「推測。貴方ガ国津守様ノ協力者デショウカ。私ハ月宙社ガ開発シタ試作型人工知能ノ『黒夢クロメア』ト申シマス。疑問。ナゼ私ヲ一度放棄シタノデショウカ」

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