乱畜騒ぎ
フジツボのような殻を纏った人型の置き物はビーチバレーを差し置いて話題になった。いや、芽々子が無理やりにでも話題にしたというべきか。
―――響希にはあの殻が全部顔に見えてるらしいけど。
すると人型に沿って大量の顔が張り付いているように見える訳だ。想像しにくいが、想像するだけで悍ましく、その視界の気持ち悪さは察するにあまりある。それとなく前に立って視界を遮るのも一つ、気遣いだろう。
「これは何かしら。他にもこんな物があるの?」
「んー…………ちょっと良く分かんないなー。誰かこれ分かる?」
「いやあ、珊瑚とかじゃねえの?」
「周りの海にそんなもんないだろ。分からんな……」
「んな事より腹減ったからそろそろ食わね? これの事はみんなで考えようぜ」
全てがなあなあで流され、バーベキューの準備が始められる。準備からあぶれた人間は相変わらず遊んでいるか、見つかった未知の物体に興味津々だ。一部が欠けているのは運んだ時に落ちたと説明しておいた。実際は芽々子が何処かに隠した鞄の中に入れただけだが。
「セッティングに余分な人員は必要なさそうだから私は少し離れるわね」
俺は人混みに近づくと関節を見られるので、岩陰を経由して素早く着替えなおした。みんなが遊んでいない限り、視線を逸らす事は難しい。芽々子の後を追うと、彼女は俺が組み立てた箱までやってきて、そこに鋼鉄の鞄を入れた。
「追ってきたの」
「何をするつもりだ?」
「この箱の中で『仮想性侵入藥』を使う。勿論私は人形だから貴方に任せるわ」
「これは俺が組み立てたから断言するけど、特別な仕掛けなんかないただの箱だぞ?」
「そうね、入り口があるだけの箱。だけどこの中に入って薬を打てば、誰にも見られる事はない。以前私が言った言葉は覚えてる?」
「モニターしてたから夢みたいな感じで済んでただけ……みたいな事だよな。あんまり正確には覚えてないけど」
でもそれは納得だ。あれはあんまりにも現実的で、死んだ後に一々戻らなかったらとてもじゃないが四肢を切り落とされた方を嘘だと思い、偽りの現実を過ごそうとしていただろう。
拒否する理由はないので箱の中に片足を入れて、だが止まる。薬を打つのが怖い訳じゃない。四肢を切り落とされるよりは余程マシだ。
「箱の中には一切の光が入らない。薬を打てば、貴方がこっちの現実を認識する方法はなくなる。現実を見失った体は二つの世界を跨ぎ、白昼夢のように貴方を惑わせる」
「分かりやすく頼む」
「貴方をこれから未来に行かせる。時間帯は夜の二一時以降。まだここで騒いでいるでしょう。外が騒がしくなったら箱を出て、恐らく同じように箱の中にあるこの鞄を持って騒ぎに混ざって頂戴。貴方が戻るまで私は何もしない。未来の中で情報を得たら、そのカバンの中に証拠を入れて。未来の結果が過去の選択を変える―――こうでもしないと、全員死ぬから」
既に状況は予断を許さないらしい。何か妙な違和感を覚えたが、それだろうか。箱の中に体を全て入れる。後は寝転んだ後に、入り口を芽々子が閉ざせば密閉空間の完成だ。
首筋を差し出し、薬を打ってもらう準備をする。注射器を刺す直前、芽々子は俺の手を優しく握って目を瞑った。
「………幸運を祈るわ」
「ま、任せとけ!」
理屈なんてさっぱり分からない。分かった試しがない。だけど芽々子が俺を頼ってくれた、それだけで十分だ。自分で行かない理由はおおよそ想像がつく。薬を打った所で人形の体には作用しないのだろう。
だから、俺がやるしかない。
繊細な痛みが首筋にちくりと刺さる。俺は箱の中であおむけになって寝転び、箱の入り口が閉じるのをただ眺めていた。設計者が自分だから分かるが、これ自体は単なる箱だ。防音性脳もなければ通気性もない。控えめに言って暑い。
意識がぼんやりしてきたのが、暑さのせいなのか酸素が薄いせいなのか薬のせいなのか。
「こ、これ…………いつになったら出ていいんだ?」
反応はない。妙な精密機械に繋がれないまま薬を打つとどんな風に向こうの景色を見るのか。全く想像もつかない。
「芽々子」
外の喧騒も変わらない。当たり前だ、これはただの箱。未来へ行かせるとか何とか言っていたが、そんなタイムトラベルを可能とする未知の機械を作った覚えはない。
「はぁ…………はぁ………」
視界がぼんやりとしてきた。副作用? 早すぎる。体が重い。頭が痛い。何度外に呼びかけても返事はなく、終いにはどうして自分がこんなところに閉じ込められなければならないのかと思うようになってきた。
「いつ行けるんだ! なあ!」
「これじゃあ棺桶に入ってるのと同じだから…………なあって、おい!」
「聞けよ!」
内側から渾身の力を込めて箱の入り口を突き上げると、思いのほか簡単に入り口は開いた。外開きにしたのが功を奏しただろうか。空は既に暗く、浜の方ではほのかな月明りと微かな火花に照らされてクラスメイト達が騒いでいた。線香花火なんて買った覚えはないが……誰か、家の近い奴が持ってきたのか。
「…………ん、んん?」
ちょっと待った。箱に入ってまだ五分も経っていない。携帯を見遣ると午後の二一時を少し回っている。ここが……未来?
―――ど、どういうロジックなんだ?
頬をつねって夢から起きようとしてみたが、これは夢ではない。勇ましくも即座に頼みを聞いたはいいが、ここにきて猛烈に原理を知りたくなった。箱に戻ると、芽々子が一緒に入れた鋼鉄の鞄が静かに壁へ傾けられている。黒くて取っ手が捕捉出来ない。こんなものが真夜中の暗闇にぽつんと置かれていても誰も気づかないだろう。
「お、も」
鞄を取って、浜の付近の適当な茂みに投げ込んだ。何食わぬ顔で響希に近づくと、彼女は驚いたように前方へ飛びのいた。
「ちょ、なに!? アンタはトイレに行った後は人を脅かす為にコソコソ動く訳!?」
「トイレ…………? いや俺は……あー、あー?」
視界はぼやけたままで、頭も上手く働かない。トイレに行っていない事なんて彼女から見れば明らかなのに、どうしてこんな反応を?
眠気のような倦怠感に抗うべく沈黙を選択すると、彼女は困ったように肩をすくめて俺に花火を渡してきた。
「まあいっか。アンタもやる? それとも本島の花火が凄すぎて、こういう玩具はしょうもない?」
「線香花火をしょうもないっていうのは風情がないと思うな。それより―――えーと。さっき打ちあがった白い人型の置き物はどうしたんだ? 見えないけど」
「おいおい、泰斗大丈夫か? さっきみんなで運んだだろうが!」
クラスメイトの一人が割り込むように声を上げた。
「あんまりみつかるもんだから、邪魔になってきてそっちにどけたんだよ。だけどいい遊びを考えたんだ! やっぱこういう変なモン見つけたら玩具にするに限るぜ。名付けて肝試しスタンプラリーだ!」
「肝試しスタンプラリー?」
「それっぽい場所にあの置き物を置いてきて、肝試しするチームは全部見つけるまで帰ってきちゃ駄目ってやつ! まあどうせ何にもいねえけど、暗い場所だけならここは沢山あるからなっ」
「やだ~こわーい!」
「怖がる係は、ひょっとして女子のグループになるかしら」
「芽々子は怖がんねえだろうな~そういうタイプに見えねえ。まあその辺はノリ。別に俺もリーダーじゃねえし。怖がりたくない奴は率先して裏方に回った方がいいってのは確かだ!」
どうせ何もいないなら俺達で勝手に作っちまおうぜと男子の悪ノリが続く。女子は驚かされる事も加味して本気半分、ふざけ半分で怖がっていた。そんな女子を魔の手から救うべく、立ち上がる男子が何人か。殆ど度胸試しみたいなものだ。既にカップルが居るなら、彼氏の頼もしさを再確認する為の場所となるか。
―――み、らい?
つまりこれは―――俺が箱に入らなかった場合の話? それとも俺の行動とは無関係に何の干渉もなければこういう方向に進んでいくという提示?
「私は……せっかくだしやってみようかな。裏方の設置って少人数で行動するんでしょ? それは……やだから」
「じゃあ私は怖がりそうにないとお墨付きをもらったし、裏方に回りましょうか……花火も消えちゃったみたいだし、先に向かうわ」
「………………」
緩やかに火花を散らす線香花火を転んだフリでわざと消すと、急いで芽々子の後を追った。自分の置かれている状態が分からないから、聞かないと。未来でも過去でも何でもいい、芽々子が芽々子なら説明出来る。
「おーい芽々子! ちょっと待ってくれ」
「…………? 天宮君も裏方をやるの? それなら流石にまだ早いと思うけど」
「お前が言うなよ! …………にしても凄い数だな」
フジツボのような殻を纏った人型の数は総勢三十三体。一つ一つも重いからこれは確かにクラス全体で力を合わせないと運べない。運んだ後の扱いは考慮されておらず、時々横倒しになっているのも存在した。
「なあ、これってどういう状態なんだ? 未来に行かせるって言って、なんかもう夜になってるし、それに人形もこんな多くなかった! 何が起きたのかさっぱり分からない、俺に何が起きてるんだ?」
「………………そうなの。でも言葉の通りだから説明するのは難しいわ。貴方が何時間前からやってきたのか分からないけど、未来とはこのまま誰も行動しなかった場合に訪れる結末の事。この状況は―――しいて言えば、私達が何の行動もしなかった場合かしら」
「何もしてない!?」
「当然。戦うべき相手の情報が何一つ分からないんだもの。貴方はそれを避ける為に来たんじゃないの? 『仮想性侵入藥』を使うなら、覚えておいて。過去の選択が未来を決める。同時に未来の結果が過去の選択を変える。因果逆転の考え方を忘れないで」
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?????
何にも分からない。言葉が右から左に流れていく。
「つまり、俺は何をすればいいんだ!」
「鉄の鞄を持ってない? それに怪異の痕跡をあつめヴぁィっ」
芽々子の首が真横にへし折れる。同時に目や口や鼻と言った穴から水を吹き出すようになり、それはさらに体中へと伝播する。人形としてのあらゆる繋ぎ目から黒い水が噴き出し、人間そっくりの挙動をしていた瞳が次第に色を失っていく。
「……………煮 ゙ゲ輝」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
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