見知った君に生きてほしい
ノリだけで始まった集いはノリだけで次が決まる。多少振り回されつつも、これくらいアバウトで大雑把な方が俺も問題を誤魔化しやすい。飲み物を買ってくると言って人混みから離れた芽々子の後を追うと、途中でその事に気づかれた。勿論尾行をしている訳じゃないから問題ない。
「―――ああ」
俺の四肢についての問題を言うまでもなく把握したようで―――――
「悪いけど、貴方のスペアまで作ってない」
実際は厳しい現実を再認識しただけだった。服を脱がなければいいだけと言われたが、芽々子の立ち回りありきの対処法を教えられても困る。どうせ俺は男子に誘われて泳ぐ羽目になるのだ。それを断りだしたらいよいよ不自然だから、どうにかしないと。
「これ、何事もなく終わるって可能性はないかな」
「そうなって困るのは私達だけど」
「…………そうかもしれないけどさ」
みんな、誰も悪くない。犠牲にしなきゃいけない事は覚悟したけど、そうならないなら、やっぱりそうならないに越した事はないだろう。あんなに盛り上がってるのを見ると、生き延びる為に手段を選んでいられない俺達が滑稽に見える。
「協力するからうまく立ち回って、出来れば海から上がらない方がいいわね。首まで浸かってれば基本的に怪しまれないでしょ」
「立ち回りでどうにかなるのかな……」
『天宮君はおよそクラスの中心からは程遠い存在。貴方が引っ越してきて一か月くらいは違っていたけど、もうそうじゃない。目立つような事をしなければ案外気づけないものよ。ほら―――私だって、今の今まで呼吸してない事を誰にも気づかれてない」
そう言われるとそうだが、まさか呼吸も排泄もしていないからって人形と疑う人間が居るのか? まず最初に考えられるのは誰にも見てない内にしてるとかしてないとかだろう。呼吸に関してはそもそも、そこに注意が向く時点である程度疑いを持っているではないか。
俺の、決定的に非人間な球体関節や継ぎ目とは訳が違う。クラスの中心にいないのは当たっているが、友達は大勢いる。一人に気づかれたら、後はもう連鎖する。
「そろそろ戻らなきゃ怪しまれる。貴方は浜の端っこからそれとなく戻れば大丈夫。それよりも響希さんの方は? そっちこそ何とかなる?」
「そうだ! お前に見てほしかったんだよ! でも……こんな状況じゃ難しいか。見た目は体がふやけてるように見えるだけだからそれこそ水に居れば怪しまれないと思うから一刻は争わない……どうにか来てほしいけど、そういえばいいのかな。俺の体が人形だってバレたらなんか……危ない気がするんだけど」
「秘密を漏らすって言いたいの?」
「説明すれば分かってくれると思うけど、こういうのって一回なあなあにしたら簡単にバレるようになると思うんだ。今日これで一回目、また次に二回目があるかもしれない。響希の物分かりが善くても次の人は? 安心出来ない。でも最初がなければ次もないだろ」
「……じゃあ私が注意を引くから、貴方は堂々と海の方へ行って。響希さんの傍に居るように。私が機を見て離脱するから」
芽々子は面倒くさそうに話を切り上げると、飲み物を片手に浜で騒ぐ全員に向けて言った。
「みんな。突然だけど出来る人でビーチバレーをしましょう。やっぱりこんな暑い日には、熱く燃え滾るような試合をしないとでしょ」
本当に唐突なお誘いに誰しも困惑の表情(乗り気ではないとも言えないが)を浮かべていたが、続く言葉に全員がやる気を取り戻した。
「勝ったチーム。そして一番試合に貢献した人には私の秘密を教えてあげる」
秘密。
男子にとっては何処か距離を詰めづらい芽々子との距離を近づけるチャンス。
秘密。
女子にとっては排泄も発汗も生理もない。そんなあり得ない身体になる秘訣を遂に知るチャンス。
「おっけ、乗った!」
「やるわ!」
「こんなのもうやるしかなくない!? サボるとかないから! マジでウチ勝つから!」
俺に大胆な行動を強いた事に文句の一つも言おうかと思ったが、言葉にしない内に黙らされた。他ならぬ当人がそれ以上に大胆な行動に出たのだ。臆している場合じゃない。興味があるような素振りをしつつそれとなく海水に体を隠す……誰にもバレていない。
響希にも。
「ねえ泰斗。アンタは芽々子ちゃんの秘密を知ってる訳?」
「いや、知らないよ。知ってたら俺に皆聞くだろ」
「ふーん。そう。それで、連れ出すって話はどうしたの?」
「話をしたけど、ちょっと今は無理だ。隙を見つけるまでお前の体はお前が守る。あんな状況だしな。ビーチバレーに参加したら肩の奴もバレちゃうだろ」
そして極力俺も自分の四肢についてバレたくないので、彼女の体に寄り添った。足は大一番を超えたからここを出ない限りは問題ない。問題は腕だ。少しでも気を取られるような事をしたら気づかれる。
「まだボールはあるし、俺らは俺らで水中バレーでもするか?」
「お、いいわね。誰か誘う?」
「近くにいる奴らは参加したいか観戦したいみたいだし、二人だけでいいだろ。別に向こうの方だって勝手に遊んでるんだ」
響希は砂浜からボールを取ると、水に浸かったままの俺に向かって第一球を振りかざした。
「ボールをよく見なさいよ! 負けたらビンタね!」
「罰が重すぎるだろっ!」
「うそうそ、冗談。ていや!」
ボールを俺に投げつけると同時に、勢いよく海に飛び込む。打ち上げられた水しぶきから赤色の水着を見上げれば―――ほら、肩の痕跡なんて気にならない。
芽々子の言う通り、意識しようとしているから気になるだけで、他の事にリソースが割かれたら事情を知っていても分からないものだ。
一応それとなくビーチバレーの行く末を見届けてはいるが、試合の中盤くらいからだろうか。パラソルの下で涼んでいた芽々子が姿を消したのは。
「あれ? おい響希。芽々子があばあ!?」
「え!? 何!? なんか言った?」
顔面に直撃しても痛くないのが良い所だが、なにぶん煩わしさはどうにもならない。顔に物が飛んで来たらそれがどれだけふわふわでも目を瞑るように、殆ど条件反射だ。
近づいてくる体を制止して、改めて用事を伝える。
「芽々子がどこ行ったか知らないか?」
「知らないわよ。アンタと遊ぶのに夢中になっちゃってた。あーえっと。向こうの方が何か騒がしいけど、あっちにいるんじゃない?」
ビーチバレーは何も全員が参加した訳じゃない。各々つるむグループがあり、そこで勝手に遊んだとしてもそれは自由だ。俺達が居る方向とは正反対、何やら集まって騒いでいる。
「……あっち、何してんだ?」
「ちょっと様子を見に行ってみましょ」
バレーの行方よりも、みんなが盛り上がってるとも盛り下がってるとも言えない奇妙な空気のまま集まっている方が気になる。波打ち際からそれとなく岩場に体を隠すと、思い切って声を掛けた。
「なあ、おい。何してるんだ?」
「お、天宮。いやさ、百歌が泳いでる時に足に当たったらしくて持ってきたんだけど……」
隙間を開けてもらって、俺達もその物体を発見した。何故興味を引いたのかは、見れば一目で分かる。それは生人男性の形をした白い置き物だ。体中にフジツボのような殻を纏っており、はがれている場所は何処も海藻が張り付いているのか茶色い。左目に該当する部分にはぽっかり穴が空いており、また体を少し引っ張るとすぐにヒビが入った。
「これはなんだ?」
「人間……じゃないよね? まさかね?」
「あいつらにも見せてみるか? なんか面白そうなモン見つけたって」
「賛成!」
興味本位の好奇心から事を大事にしたい様子。クラスメイト達が去った後、俺達は顔を見合わせた。いや違う。そんなつもりはお互いなかった。ただ響希の表情があんまりにも血の気を失っていたから気になったのだ。
「響希?」
「………………」
「おい。おーい。うおっ」
何も言わずに、抱き着かれた。反射的に両手を上げて降参のポーズをとったが、すぐにそれは取り下げるべきだと悟った。彼女の体が震えている。口には出さなくても、声が出なくても、身体は確かに戦慄いている。
「どうした響希。これに見覚えでもあるのか?」
「浸渉状態が深刻になっているみたいね、響希さん」
女子トイレから姿を現したのは、意外にも芽々子だ。彼女の正体を知る以上、決して本来の用途があった訳ではないと分かる。手には、こんな炎天下には似つかわしくもない鋼鉄の黒鞄を提げていた。
「芽々子……それは?」
「まあ、秘密のアイテムって所。響希さん。貴方にはそれが顔に見えてたりしない?」
「!!!」
声を出せないまま、だが確かに反応が返事をしている。芽々子は目を伏せて、当然のように頷いた。
「聞いて。貴方は『三つ顔の濡れ男』に目をつけられた。浸渉状態は言わばマーキングであり、対象を最高の餌とする為の下準備よ。状態が進めば進むほど、それは貴方に恐怖を与えようとする。最後まで進めば、確実に死ぬわ。治す方法は元凶を倒す以外に道はない。力を合わせましょう」
背中を軽く叩いて、返事を窺う。今の彼女に言葉で答えさせるのは酷だ。それっぽい素振りが見えたら俺の方から伝えるつもりでいる。暫く反応はなかったが、ザラザラと擦りつぶされるような声で、小さく耳元で囁かれた。
「………………もうむり。たすけて、泰斗」
目を逸らそうと頑張った。
気にならないと確かに信じた。
だけど、向き合わないといけない。俺は最初からそれを知っている。死とはこの世で最も大きな予感であり、強烈な確信であり、生きている存在が無視出来る気配ではない。
何度も何度も夢の中で殺されて少しは冷静になってしまったが、俺の取り乱し方も最初はこんな風に情けなく……いや、それはやめよう。死にたくないと思う事の何が情けないのだ。
背中を強く抱きしめて、芽々子に力強い視線を投げる。答えはそれで十分だった。
誰も死なずに済むならその方がいい。みんな気の良い奴らで死んでほしいと思った事は一度もない。だけど今にも泣きそうなのを堪えて、自分が死ぬかもしれない予感から逃げて正常であり続けてきた女子を放っておく事はもっと出来ない。運命的な出会いなんてなくて、バイト先で知り合った程度の縁だけど。
自分の命よりも遥かに、今この瞬間は死なせたくないと、思ったから。
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