夢をみるようなものだ

「ごめーん! 助かっちゃった……」

「猫苦手だったなんて知らなかったよ。よく普段から生活出来るな」

「天宮ってハウスダストアレルギーの人が外で生活してるって思うタイプ? 何とかなるよ、じゃなきゃ死んでるし!」

 百歌は猫が居なくなってすっかり元気を取り戻した。高めに縛った髪が猫じゃらしのように見えた……という仮説は冗談で済ませておきたかったが、荷物の中に猫を寄せるような物体はなかったので、真面目に提唱する必要があるかもしれない。

「そのクーラーボックスの中にも何もないのか?」

「これ、空! みんなその場のノリで決めるから食材を何処に置いとくか何も考えてないじゃん。家に帰らないなんてルールはないし、あたしに感謝するべきダネ!」

「うわ~恩着せがましい奴がいる。一番感謝されないタイプだ。荷物持つか?」

「ありがと!」

 俺の方の買い物も一応は済ませた。二人目の芽々子については一旦置き去りにする。連れて行くと話がややこしくなるだろう。彼女は水着の持ち合わせがない一人であり、今もスク水の上からパーカーを着てさも普段着のように済ませている。学校に部活はあるが水泳部はない。部活に入らなくてもこの島に生きる人間は大抵泳げる。海が近いと触れ合う機会が多くなるし、娯楽も少ないならそうなるのも納得だ。人はどんなつまらない場所でも自由であるなら楽しさを見出す為に奔走する。

「お前の言う通り家から持って来いよってのは大賛成だ。一々買いに出かける必要はない。お金を使って商店街に活気を与えるなんて殊勝な心構えもなさそうだし」

「あたしってずっと思ってたけど、意外と天宮ってノリで盛り上がんないタイプだよね。空気を見てる感じ。理屈っぽいのはモテないぞぉ?」

「これを理屈っぽいって言うのかな。まあモテに関しては……興味ないっていうのは違うよな。この島でずっと暮らすつもりなんだし、そう考えたら一人くらいはまあ……」

 子供の頃の嫌な思い出が脳裏を過っている。男女の性を自覚しない頃の『好き』なんてlike以上の意味はない。なのに父親は俺が口を滑らせた時から何かにつけてそれを確認して、時には脅して―――今思えば『いう事を聞かないと○○ちゃんにお前が好きだって伝える』というのは何の脅しだ。

 それで恋愛が恐ろしくなったとは言わないが、積極的に臨むのは忌避するようになった。悲しいのはその後に俺は性を自覚したから、自分でもどうかと思うくらい視線だけが先行するようになってしまった。近い話で言えば真紀さんとの距離が近い時はいつも香水の匂いにドキドキしているし、芽々子は自分が人形だからって警戒心がないからガードが柔らかいし、今なら百歌の胸が歩くたびに微かに揺れるのに逐一誘導されてしまう。

 悪い癖だとは思う。治らないけど。

「向こうについたら流石に少し遊ばないともったいないよな。さて……あいつらは終わったかな」

「勝手に帰ったかもよ」

「恭介はともかく響希に限ってそれはない」

 それこそ、全員集まってから帰ろうという決まりは作っていない。あくまでなんとなくの団体行動だ。泳ぎたい欲が強すぎるあまりぶっちぎって先に帰ってしまう可能性は、お調子者で騒がしい所が大好きなアイツならあり得る。



「二人共! 遅かったじゃない!」


 

 お店の前の軒下で響希が影に隠れて俺達を待っていた。肉の担当は彼女だったか。クーラーボックスを見て、あ、と声を出した。

「そういえば忘れてたわ」

「定食屋は一番気付くべきだったんじゃないか?」

「アンタねえ。幾ら定食屋でも釣った魚で注文をさばいてる訳でもなければ肉を仕入れてる訳でもないの。私もお父さんも単に調理して提供してるだけだから。後は恭介だけど、先に帰った可能性ってない?」

「俺も思ったっ!」

「アイツって信用ないんだね~」

 二人で勝手に盛り上がる横で百歌が溜息を吐いた。酷い奴らだと思ったか、実際恭介の役回りでもある八百屋に向かってみると彼はおらず、店主に話を聞いたらもう帰ったそうな。野菜は概ね串焼きにする際に使うのだが、その串を家から用意するつもりらしい。

「うん。やっぱり」

「目的は分かるけど、それもこれも全員準備ってもんを知らずにとりあえず集まったからだな。俺をビリッケツだってイジっといて何してたんだよ。早朝にする事なんて仕事でもないならなんもないだろうが」

「恭介ってホント最低~! 彼氏にしたいランキングがあたしの中で激下がりしたんですケド。それじゃあ三人で帰りましょー。恭介が居ないから、天宮が両手に華じゃん。良かったね~!」

 栄子に関しては恭介と事実上のカップルみたいな状態なので、アイツが行ったら考慮するまでもないとの判断だ。流れるように俺の左腕を百歌が取ると、響希は訝るように口を尖らせた。

「ちょっと、アンタ達っていつそんな関係になったの」

「いや、なってねえよ! 百歌、お前そういうのは彼氏にやってくれ! こんな風に誤解されるんだから!」

「あたしと誤解されるのはイヤ?」

「いや…………じゃないけど」

「は? バイトが忙しいとか硬派ぶって何鼻の下伸ばしてんのよスケベ。はーもうキレた。こっちは私のだから」

「ちょ―――人の話を一番聞いてないのそっちだろ!」

 抗議空しく両方の腕を女子二人に貸す事となった。対抗意識で張り合っただけの響希はまだしも、もう片方には大いに問題がある。露骨に胸を押し当ててくるのだ。腕に神経が通ってなければ顔を赤らめながらも平静を装うなんて間抜けな真似をする必要もなかったのに。厄介なのは状況が困るからって下手に暴れる事も出来ない所だ。

 そんな事をしたら、下手すると腕が引っこ抜ける。

 スケベと言われたら反論は一切出来ないが、慌ててる理由はどちらかというとそっちの方だったり。

「へえー。やっぱり一緒に仕事してたりするとサバサバ系の響希ちゃんも好きになったりするんだ? 意外ダネ!」

「だ、誰がそんな事言ったのよ。私はただ情けなくて遊んでばかりのあっぱらぱーが好きじゃないってだけ。泰斗は頑張ってるからそうじゃないってだけで……」

「ぬっふっふ」

「うっさいバカ! 黙れ! 口を縫ってやる!」

「うわーこわーい」

 俺を取り合っているよりは、俺をダシにして口論しているだけのような。居心地は良くないけど、響希の気分が少しでも紛れるならこれもいいか。肩の症状を気にしだしたら、きっとまともじゃいられなくなる。



















「お前ら遅いぞ! なーにやってたんだってぐばあああああ!」

「うるっせええええ!」

「勝手に帰った奴が何言ってんの!」

 胸の前で呑気にボールを抱えて煽る恭介が最高にうざかったので響希とタッグを組んで飛び蹴りをかました。ボールごと海に押し込まれた彼は慌てて海から起き上がってくると、クラスメイトに嗤われている事を知ってギャンギャンと喚き散らしていた。

「恭介。あほっぽい」

「栄子!?」

 クラスの喧噪に一役買ったどさくさに紛れて響希と離脱。岩陰に隠れて視線を切ると、縛られた裾を解いて、肩まで脱がせた。

「な、なんかドキドキするんだけど…………ど、どう? アンタにはこれがどう見える?」

 おかしいとは思っていた。幾らふやけていても服の上からそうと分かるのは妙ではないかと。皮膚がふにゃふにゃになっていても生地から判別するのは難しい。だがこれでハッキリした。ふやけているんじゃない。見た目がそう見えるだけ。


 肩がふにゃふにゃに変形していると言った方が正確だ。


 もう片方の肩と比較すれば分かりやすい。こんなに綺麗な肩が、まるで岩肌のように凸凹になっている。皮膚は人間全体をきちんと覆うように張るのが、少なくとも若い内は当然だが、これは骨が変形して皮膚が張れなくなったのだろう。それがふやけの正体だ。

「痛くないのか?」

「痛くない………これさ、やっぱり芽々子ちゃんにも見せるべき? でも連れ出すのって難しいわよね。柳木も芽々子ちゃんが好きだったの。外から来たアンタには分からないかもだけど、公に動かないだけで結構ウチの男子ってアプローチが凄いのよね」

「じゃあみんな恋人なのか?」

「そういう訳じゃないけど。でも芽々子ちゃんにはてんでそういう話がないの。たまに女子トークするんだけど、隠してるって訳でもないっぽくて。単純に疑問。可愛いって思いながら何もしてない奴が多いっぽいんだから」

「…………とりあえずお前は海の方から泳いで向こうと合流してくれ。俺が芽々子をどうにか連れ出す。泳いでくれるかは分からないけど、それなら接触出来るだろ」

「―――いい訳? アンタって結構勘違いするでしょ。私はいいけど、ほら。アイツは響希が好きって言われたら弁明の余地がないわよ」

「それでお前の肩から注意が外れるなら別にいいよ。その……………二人きりだと逆に恥ずかしいな。一回しか言わないぞ」

 服を捲ったまま、直視に耐えかねて視線を逸らす。こういう恥ずかしさよりは、嗤われた方が冗談っぽくて気が楽だ。




「その赤いビキニ、凄く似合ってる。そ、それだけ」



 バツが悪くなって一足先に岩陰から身を出すと、芽々子が誰かを埋める用の砂を掘る女子に何やら話しかけていた。水鉄砲に水を装填する作業へ混じるどさくさで近づいて、聞き耳を立てる。

「小鳥遊さん。私の予感だけど、あれについて誰か何か知ってたりしない? 夜の叫び声の話について」

「え。あ、うーん。私は知らなーい。みんなが調べてくれるかなって思って。こういうのって又聞きした方が面白いもんねー」

「そうなの。穴はこれくらいでいいかしら」

「うーん、いい感じ!。噂の事だったらね、誰か調べてたと思うんだよね。テレビでお化けの特集とか見てると、一回くらいやってみたいじゃん! でもこの島ってそういう話一個もないから、雰囲気だけなんだけどねー――」

 

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