ある夏の日の操


「夏だ! 海だ! バーベキューだあああ!」

 翌日を迎えた俺を待ち受けていたのは盛大な歓迎だった。起きて珍しくバイトがない事に安堵したかと思えば来客。扉を開けた途端に砂浜まで連れ攫われた。時刻は朝の八時。バーベキューとかいう時間帯ではないし、集まる時間も早すぎる。男女関係なしにわざわざ俺を迎えに来たのは、単に俺がドベだっただけだ。昨日は明日に向けた準備をずっと手伝っていたから仕方ない。

 海に向けてがやがやと騒ぐクラスメイト十数名(大体半分以上)を傍目に見つめながら太陽を仰ぐ。こんな熱さを本島に居た頃も感じたっけ。あの時はエアコンを効かせて涼んでいたけど、この島にそんな便利な物はない。

「泰斗。おはよ」

「おはよう。みんな俺の倍くらいは元気そうで羨ましい限りだよ。こりゃ気合い入れて俺も盛り上がらないといけないな。ダウナーなままだと雰囲気を壊しそうだ。楽しいのは分かるけど、ちょっと最高潮が早すぎるな。何かあるんだっけ」

「ま、これでしょ」

 響希はへその上で結んだTシャツを少し引っ張ると、光で透けて、奥にある派手な色の何かが透けた。言うまでもなくそれは水着だ。わざわざ浜に来たのも、要するにみんなで泳ぎたいのである。

「自分達で言うのも妙な話だけど、この島って人口が少ないから、関係性が近くなるのよ。芸能人と結婚するなんて寝言いう奴はいないって意味よ」

「ああ…………そういう」

 親睦を深めるイベントの側面と、男女の関係性を意識するイベントの両側面を担っているのか。仁太含めて数人とぶらぶら歩いている時とは訳が違う。参加人数が多い理由もそれなら納得出来る。


 ―――流石に芽々子は大丈夫だよな?


 興味がないと言えば嘘になるけど、彼女は露出度の高い格好をしたがらない。水着姿なんて以ての外だ。今も薄地のブラウスを軽く留めているような恰好であり、下は動きやすさを意識してか薄手の、だが上とは違って全く透けそうもないスカートをはいていた。パンツでも履けばもっと確実だったろうに……怪しまれるからと着なかったのだろう。麦わら帽子は継続か。女子は人形みたいで可愛いなどと笑えない事を言って写真を撮っている。改めて写真を見返したら本当に人形だった―――と言われない事を祈るばかりだ。

 気になるのは昨日見た指と違って今日は継ぎ目が一切見られない。思い返してみると教室に居る時もそうだったような。人形だから、替えのパーツくらいあるのだろうが。

「一応、あの岩場が着替え場所になるのかな。持ち合わせがなくてスク水だけって子も居るけど、基本的にはみんなもう着替えて後は上を脱ぐだけって感じ。アンタもそうでしょ?」

「そんなつもりはなかったけど、海で泳ぐ事は結構あったからな。俺は最後に来たから分からないんだけど、買い出し役はもう決まったのか?」

「私とアンタと、栄子、百歌、恭介が頑張る感じ。ほら、向こうで三人が話し合ってるでしょ? 準備が出来たら合流しないとね」

 たった五人で買い出しというのも骨が折れるが、分担すればすぐ終わるだろう。女子の割合が多いのが少々力仕事の面で難を生みそうだ。恭介と力を合わせて頑張ろう。響希が当然ついてくるものと思って歩き出すと、首根っこを掴まれている事に気が付いた。

「……なんだ?」

「合流するべきなら何で私がここに居たかって聞きなさいよ」

「あ、確かにそうだな。でも……うーん。自分なりに考えたけど、逆の立場だったら俺もお前に話しかけると思うんだよな。話しかけやすい奴には用がなくてもなんとなく近くに行くもんだろ」

 クラスメイトと特別仲が悪いとも言わないが、それでも全員平等に交友録があるとは言い難い。とすれば必然、バイト先で先輩の立場となる響希との親交が深まるのは自然の道理だ。彼女はそっぽを向いて存在しないポケットに手を突っ込むような仕草をすると、俺の手を取って自らの肩に触らせた。

「なにを―――」

「……」

 


 濡れていた。



 試しに他の場所を触ってみたが、このような炎天下にピンポイントで肩が濡れている事はない。服ではなく、肩だけが濡れているのだ。ぶよぶよで、ふやけたような感触がある。

「…………これは?」

「私にもさっぱり。だからアンタに聞きたかったの。見えないから分かんないだろうけど、肩がふやけたの。それだけならまだ良かったんだけど、それが私には人の顔に見えて、さ…………」

「人の顔」

 知識を以て答えは分からない。だが思い当たる節は存在する。『三つ顔の濡れ男』だ。響希はそれと相互認識をしてしまった。まさか三つ顔とは……そこにかかっているのか?

「もう私、頭がどうかしそうなの…………こんな非常識な物見せられないから、買い出しから帰ったら隣で泳いでよ。泳がないと何か事情があるように見えるでしょ」

 

 

「おーい響希、泰斗~! そっちで話してないでこっち来いよ! 俺らは貧乏くじ組だろ~!」



「ええ、今行く!」

 気丈に振舞い明るい声を出す響希。背中を追った俺だけが後ろ手に隠した手が震えている事に気が付いて。


 四人が話している時に紛れて、こっそり握りしめた。





















 買い出しと言っても、本島と違って便利なショッピングモールは存在しない。基本的には商店街を歩き回る事になる。今回で言えば肉屋とか八百屋だ。魚に関しては向こうで釣って勝手に焼く勢力も考慮して手を出さない事になった。

 分担して買い物に向かう中、俺は駄菓子屋に飾られた鏡に自分を映して問題がない事を確認した。普通に生活出来てしまう為、気を抜くとすぐに忘れそうになる。俺の四肢もまた人形なのだと。

 その場の勢いで泳ぐと言ってしまったが、どうすればこの球体関節や継ぎ目を隠せるだろう。芽々子にパーツを貰う? だが、俺のサイズに合わせられてはいまい。

「…………ま、いいか」

 考えても仕方ない事だ。向こうに戻ったら考えよう。大通りに戻って分担通りに雑貨屋へ向かう。遊び道具が欲しい訳だ。誰か一人でも持参してくれれば済む話だったが、何を買おう。花火セットは絶対に違う。まだそれは季節じゃない。

 ビーチボールや浮き輪は定番だとして、それ以外。バケツとかシャベル? パラソルなんかも居るだろう。

「何か探してる?」

「ああ、みんなでわいわい遊べそうな道具を―――って!」

 振り返る動作すら必要ない。視界の端に精緻な顔が映りこんでいる。

「芽々子!」

「水鉄砲はいいんじゃない?今日の波の様子からしてサーフボードもあれば良かったけどこのお店の品ぞろいは周回遅れの時代遅れだから難しいわ」

 平然な顔で堂々と横に居座る芽々子はチェックのワンピースを着ており、もう替えがないのか球体関節は手に抱えたスイカだけで隠すつもりのようだ。側面から見遣ると、人形かどうかも疑わしくなる傷一つない綺麗な腋につい見惚れてしまった。袖の緩さから、控えめな膨らみがほんの僅かに見えている。

「お前、残ったんじゃ?」

「私は人形だって言ったでしょ。別で動かせるスペアくらい居る。これは殆ど観賞用だったけど、関節の動きを制限してでも切り替えないといけなかったの。激しい運動をしなければ大丈夫……」

 芽々子は無機質な瞳を動かすと、俺の方を見て簡潔に尋ねてきた。

「さっき、響希さんと何を話していたの? ただならぬ様子ではあったけど」

「肩がふやけたそうだ。服の上から触った限りは俺も確認した。どうも本人にはそれが顔に見えてるらしい。『三つ顔の濡れ男』っぽいと思ったけど……どうだ?」

「うん。可能性は非常に高いわ。もう浸渉が始まってるのは意外だったけど……あまり時間がない事を示しているわ」

「浸渉?」

「ワンちゃんネコちゃんのマーキングだと思って。こいつは俺の物みたいな意思表示。手遅れになったら彼女は自分の意思とは無関係に体を操られるようになり、むざむざ殺されに向かうでしょう」

「そんな……! 消す方法はないのか?」

「倒すしかない。でも倒したかったらあれをしないと。選択肢は今更ないから。もうやるしかない。後は誰を犠牲にするか。誰を助けるかで―――」









「いやあああああああ! 誰か! だれかたすけてえええ!」









 百歌の声が外から中にまで轟いた。こんな島の中で大声を出したらどんな耳の遠い奴にも事は伝わるだろう。

 慌てて外に出ると、買い物から得たとは思えない、大量に荷物を抱えた百歌が猫に囲まれている所だった。光景を見た途端に脱力したが、構わず彼女は俺に声を掛けた。

「わあたし、ネコ、ニガテアル! タイト! タスケテハヤク! オネガイ!」

「頼み方おかしい。お前頼み方おかしいけど……助けるけど! その荷物に何が眠ってたらこんな事になるか後で教えろよ!」

  


 

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