秘密の関係値

 放課後になると、携帯を見て真っ先に俺は今後の予定に狂いが入った事を知った。夕方は港傍の倉庫で荷物整理を行う予定だったが、今日は大人達に急用が出来たらしく、断りのメッセージが入っていた。多重バイトによって生計を立てているので、本来ならどうしようもない危機だ。代わりのバイトを、たとえ多少金額が変わってもとにかくやらないといけない。

 だが今は芽々子からの前金がある。代わりの仕事を紹介すると言われたが、『今日くらいはゆっくり休みたい』と言って断った。丁度明日は予定があるから、休めるならそれに越したことはない。

 放課後、一度家に帰って訪ねたのは芽々子のラボだ。達磨にした俺を一時的に監禁した場所。夜のせいであまり道を覚えていなかったが、初めて死体と遭遇した場所からなんとなく逆算して辿り着いた。

 便宜上ラボと言ったが、そこは一見するとゴミ捨て場であり、最初は何かの間違いだと思った。けどゴミ袋の中身を調べてみたらおよそ生活感のない発泡スチロールやビニールばかりで不自然だし、どけてみたら階段があったので確信した。俺が帰った時は予めどかされていたのだ。

 階段を降りると、先に帰っていた芽々子が何やら物々しい機械を作動させている所だった。傍らにはパソコンが二つあり、一つは多くの配線が伸びており無造作に地面を覆っている事から部屋の設備全体に繋がっている事が窺える。もう一つは旧式のパソコンのようであり、外装も何だか黄ばんでいる。起動してはいないようだ。

 俺を拘束していた台は折り畳まれて壁にどかされている。島のノスタルジアに反してあまりにも近代的であり、やはり当時の俺は正常な精神状態ではなかったと思う。

「まだ夕方よ。会いに来るなんてリスクが高い」

「それなんだけど、大人達が急用でバイトがなくなった。だから今夜に出来る事があるなら手伝いたいと思って」

 芽々子はパソコンをスリープモードにすると、配線を踏まないように俺に近づいて、身体を見て回るように動いた。

「…………発信機がついていたらどうしようかと思ったけど、それはないみたい。入り口は隠した?」

「どかしたけど、近づいてみないと分からないと思う。そうそう、響希が協力してくれる事になったんだ。勿論、お前の正体とかは教えてない」

「ありがとう。それだけでも十分よ。夜が更けるまで特にしてもらいたい事はないかな。貴方から見て左の部屋が休憩室だから、そっちでゆっくりしててくれる? 私はまだするべき事があるから」


 ―――ここが何なのかは聞いちゃダメなのかな。


 協力関係だから聞いてもいいと思うのは俺の勝手な解釈か。仮に聞けたとしても今は絶対にタイミングが悪いと分かる。ファイル棚の中から彼女が資料を取り出している隙に、俺は休憩室の扉を開けて中に入った。

「おっ」

 およそ生活感の皆無な場所だから休憩室もベッドくらいしかないと思っていたが、一通りそろっているようだ。冷蔵庫にテレビに台所。ソファが二つに机が一つ。右端の扉は簡単な浴室であり、シャワーヘッドと洗面台がガラス越しに見えた。

 トイレがないのは、彼女が人形だから?

 試しにテレビをつけてみるが、何も繋がらない。何の為のテレビだろう。仕方がないのでソファに寝転がって、クッションを枕に寝転がってみた。天井は病院のような斑模様であり、見ていると昔入院していた事を思い出す。そう大した記憶じゃないけど、あの時も毎日天井を眺めていたっけ。

 暫く何の予定もないゆったりとした時間を過ごしていると、ガチャリと扉が開く。芽々子がコーヒーを片手に対面のソファに座った。

「夜に仕事をするなら、カフェインでもどう?」

「……あんまり好きじゃないけど、せっかくだし貰うよ」

 マグカップを受け取っている時、彼女の中指が引っこ抜けている事に気が付いた。

「それ、どうした?」

「私の指にはマイクが仕込まれているから、音声を抽出している最中なの。貴方が気にする必要はないわ。それより聞きたい事があるんじゃない?」

「何でそう思う」

「興味深そうに見ていたから。隠すつもりはないわ。ここが何処だという話だったら、廃棄される予定だった研究所の残骸って所ね。ここではかつて提唱され、そして一切の実験記録が焼失したとされる『新世界構想』の再現を試みていたらしいわ」

「まずその構想が分からないんだけど。論文雑誌とか見れば分かるかな?」

「残念だけど私も詳しくはないの。量子力学の話でも脳科学の話でも理解が追い付くならそれでいいけど……天宮君にそんな事話しても仕方ないでしょ。だから簡単に言うとね、一人の人間の意識領域を広げて世界中を包んでしまおうという話。観測者が居なければ事象は確定しないという考え方……まあ、今は考え方でいいけど。それの延長にあるの」

「はあ…………?」

「認識は生物によって違う。数億数兆の差異が世界を形作る。その観測をたった一人に絞り込んで、世界規模で現象を思い通りに出来ないかという……又聞きだけどそんな感じ」

 芽々子は説明に苦心している様子で、無意識に髪を撫でて瞬きを速めている。俺も理解が微塵も及ばないから詳しい説明の掘り下げはするべきじゃないと直感した。だってどう考えても、高校生の勉強の範囲ではないから。

「で。それとお前が人形の身体っていうのと何の関係があるんだ?」

「何の関係があると言われても、何の関係もないでしょうね。少なくとも今のところは。私はただ単にここに残った技術をタダで使っているだけ。例えば―――貴方に最初使ったあの薬が、そうね」

 彼女はホワイトボードを壁から引っ張ってくると、マジックペンで軽やかに図を描いた。

「あの薬で見た夢は、もう一つの世界。自分で勝手に要素を追加出来るリアルに限りなく近いシミュレーションって所」

「並行世界とはまた違うのか?」

「近いけど、あれは貴方の脳に演算させた世界であって、この現実その物が分岐した物じゃない。だから夢って言ったの。そしてあの時、貴方は私を意識しすぎるあまり、分岐において必要な要素は私の有無だけになっていた。だから私が居ない世界が何度も生まれた。本当は打つ度に要素が変わるんだけど、そこはモニターしていて都合が良かったと感じたわ」

「俺の脳が……演算」

「勿論、特定要素を排除した世界を正確に演算して、且つ使用者の貴方も現実と遜色ない感覚を得るくらいの働きは脳みそには出来ない。そこはこっちでサポートしたから、多大な疲労くらいで済んだでしょ? ひょっとしたら、遅れて症状が現れるかもしれないけど……焼き切れたりはしない。頭が爆発もしない」

 ちっともついてこれないが、自分なりにかみ砕くなら相手にカスタマイズされる明晰夢と言った所だろうか。夢と夢と気づいて俺がどうにかするんじゃなくて、科学の力でそこを操作する。

「私も資料が殆ど残っていないから何度も失敗を経て辿り着いただけなの。だから全部説明しろと言われたら難しいんだけど、とにかくこれは便利なアイテムだった。貴方の仕事もこれで安全に終わらせるつもりだったわ」

「安全にって」

「貴方は『三つ顔の濡れ男』に目をつけられたでしょ。貴方の頭に生まれた小さな新世界の中なら、目をつけられても問題は起きない。勿論最初に認識してもらう必要はあるからまるっきり狙われないなんて事もないけど―――何度も現場に足を運んで遭遇のリスクをとる必要はないのよ」

 

 だが。

 それは。


「―――でも、俺が使い切った……ような」

「貴方の為に沢山使ったわね。だからもう、一つしかない。再精製する前に死ぬのも目に見えている。そこで、『三つ顔の濡れ男』を調べるにあたってもっと簡単な方法を取りたかったの。だからあなたに噂を広めてもらった。この島で妙な事が起きてるっていう、その程度のネタをね」

 そしてそれは成功した。娯楽に飢えたクラスメイト達は悪気もなければ善意もなく、純粋な興味本位で口々に話すようになった。担任がそれを咎める事はない。咎めたらそれこそ逆効果でもあるから、やりたかったとしてもやらなかったのだろう。

「その内、彼らは同じように『三つ顔の濡れ男』を知るでしょう。明日は休日で、バーベキュー? 夜まで騒ぐ姿が目に浮かぶようね。下準備はこれで完璧。私もこんな手は取りたくなかったんだけど、私達が死ぬ事と引き換えなら、やるしかないの」

 芽々子は島の地図を取り出すと、机の上に広げてバツ印をつけた。

「手伝ってくれるなら、この場所に簡単な箱を作ってくれる? 大工道具は貸すから、人間が一人か二人入るくらいの大きさの一つ。そこが私達の隠れ場所になる」

「何を、する気なんだ?」

 まだ何も話していないのに、ここまで重苦しい雰囲気になるのは地下の空気が淀んでいるからだ。そうに違いない。そう信じてさせてほしい。彼女の表情は虚ろで唇は重く、まるでタブーを口にするかのような空白だった。

 やがて口を開いたのも、俺への誠意のつもりだろう。自分の首を絞める事になっても特に俺を咎めない性格からその傾向が窺える。














「誰かが必ず『三つ顔の濡れ男』と相互認識する。その人には死んでもらって……死体を回収するの」

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