闇夜に融けるウワサの結末

 柳木とは仲良しだった訳じゃない。別に不仲でもない。ただバイトで関わる事もなかったから必然付き合いが薄かっただけだ。それをどうしようもなく公開する日が来るなんて思わなかった。


 ―――アイツは何に怯えてたんだろ。


「いらっしゃいませー! 二名様ご案内でーす!」

「お、泰斗~今日はこっちで働いてんだな!?」

「ほんっとどこでもいやがんなおめえは! 今度港の作業手伝えや!」

「そりゃ勿論! バイト代弾んで下さいね!」

 仕事を終えた大人達が殺到する。ここしか食事処がないとは言わないが、しかしここは一番港に近い場所でもあるので立ち寄られやすい。漁師の男達が続々と入ってきては、鉄パイプの椅子に座ってビールを注文する。今日のウェイターは俺と響希だけだ。彼女の両親は厨房で働く。

 俺達が居ない時は当然別の人間がシフトに入っているのだが、訪れる殆どの人間と交流があるお陰で俺が居る時が一番客が入るとか何とか。リップサービスだと思うが、素直に嬉しい。本来の給料の何割増しかで貰えるから。

「響希、注文取ってくれ! 俺は案内してるから!」

「はいはい! おじさんたちさー、ご注文の方は決まった訳? ちゃちゃっと注文してよ。どうせビールでしょ」

 

 今回に限った話ではないが、あんまり忙しいとそれ以外の事が考えられなくなる。我武者羅に働いていたら何時間かのバイトなんてあっという間だ。問題は、ヘトヘトに疲れて家に戻る訳には行かないこと。今日に限っては、その後にもやるべき事がある。

「泰斗。お前この暑い時になんで長袖の制服着てんだよ。別にいいじゃねえかよ半袖でも。響希ちゃん半袖だぞ」

「あーこれは……気分です気分! 熱いって言っても生地は薄いし大丈夫ですから!」

「馬鹿! んなどうでもいい事聞いてんじゃねー! へっへっへ。なあ、よう。ここに一人で来るなんて大したもんだけどよお泰斗。そろそろどうだ? 彼女とか作らねえか? ん?」

「そ、そんな場合じゃないですよ新城さん。生活の為に毎日働いてて、全然遊ぶ暇とかないんですから! もし作ったら、悲しませますって!」

「響希ちゃんとかどうなんだよ? なあ、おい。おりゃあの子の母親の若い頃を知ってんだよ。ありゃべっぴんだったぜ!」

「アイツとはそんなんじゃないですって!」

「お? ケツがでけえのは好みじゃねえか? つーとやっぱ」



「ちょっと! ここは夜のお店じゃありませんよお客さん! 泰斗に妙な事言わないでくれますか!?」


 

 酒が入って倫理観の緩くなった漁師のダル絡みに困っていると、響希に助けられた。非常に嬉しいが、とても強く引っ張られているので手が引っこ抜けないかだけが心配だ。

「あんなの相手しちゃダメ。どうせまだまだ沢山吞むんだから」

「なんか、無視すると別のバイトに支障を来しそうで……」

「今日はアンタと私の二人でこっち回さないといけないんだから、もう無視でいいわよ無視。営業妨害になるから、文句があるなら私に言えって伝えといて。あ、この日替わり海鮮定食運んでくれる?」

「分かった」

 

「お待たせいたしました~日替わり海鮮定食でございます。こちらお好みでいくらをのせてお召し上がりください」


 外はすっかり寂れているだろうが、ここには喧騒がたむろしている。席は今日も殆ど埋まった。暫く談笑の時間が続く事を見込んで、厨房の方に回った響希に声をかけた。

「流石に今日も大変だな。エアコンに直に当たりにくるくらいには、お前も辛いか」

「んー別に効きが悪い訳じゃないけど、やっぱ直で当たらないと涼しく感じないわよね~はあ、溶けそ。溶ける。でもお父さんとお母さんみたいに調理担当になったらもっとしんどいのも分かってるから、あんまり弱音って吐けないし~あーめんど!」

「まあ暫くは―――」


「おーい、追加注文させろーーー!」


「……俺が行ってくる」

 追加で受けた注文はマグロ寿司四貫。その注文を受けている内にまた別の席から追加のから揚げが注文され、またその隙に今度はつみれ汁が注文される。

「響希! ちょっと俺だけじゃ無理かも!」

「はいはい。分かってるって~」

 柳木が消えた事も、芽々子が人形である事も、自分が達磨にされた事も、全ては遠い嘘のように。この忙しさだけが真実を教えてくれるような気さえしている。対応しているだけなのに、もう一時間を過ぎたのだ。

 一足早く帰ってくれるお客の会計を済ませると、響希の父親が声を掛けてきた。

「―――聞こえてたんだが、実際どうなんだ、うちの娘は?」

「は、はい?」

「もう何か月もここで働いてるんだ。うちの娘はどうなんだって聞いてるんだ」

 彼女の父親は決して悪い人でも気難しい人でもないが、心なしか眉間に皺が寄っている。どうって、何だ。抽象的すぎる。

「……た、頼りになります」

「それだけか?」

「ええ? あーえっと。働いてるとき、白い花のヘアピンで前髪を留めますよね。いつも左目に髪がかかってるから、ああいうの見ると―――気合い入れてるなって感じで、可愛いと思います……けど」

 飽くまで正直に答えた。実際どうして毎日ヘアピンで髪を留めないのかは疑問だが、働いている時にしか見られないというのも、何だか希少価値があるような気もしてくる。

 返答はなく、彼はまた厨房に引っ込んでしまった。


 ―――何だったんだ?


 忙しさのせいで頭が回らない。無意味な嘘を吐いても仕方がないから正直に答えたが、あれで良かったのだろうか。返答如何でバイトをクビになるなんて事は……ないよな。





















「有難うございました!」

 てんてこまいになっていたら、十二時を回っていた。体感は本当にそんな気分だ。知り合いばかりだから沢山絡まれたけど、そのやり取りも殆ど覚えていない。

「お疲れ様。そろそろ閉めるからアンタも帰っていいわよ」

 なんて軽く言っている彼女も、額に汗を浮かべて呼吸も浅い。家の鍵をくるくる回して余裕を見せつける割には、身体が正直だった。

「ああ…………それは、そうする」

「……ほんっとうに疲れたよね。でもほら、お陰でいい感じじゃない? その封筒、今日のバイト料でしょ?」

「まあ、それはそうだけど。いやー本当に疲れた……帰って休ませてもらう。自転車、有難く貰ってくよ。歩きだと辛いかも」

 玄関に手をかけて夜の闇に身を投げる。酔ってもないのに足取りがおぼつかない。それもこれも働く前に爆走したのがいけなかっただろうか。

「泰斗」

「ん?」

 振り返ると、響希がまたグーを構えて俺に突き出していた。応じて、タッチ。

「お休み。また明日ね」

「今度は客として来るかも……」

「そうしたら、沢山注文を聞いてあげる♪」

 玄関が閉まる音がする。鍵がかかった音。遠ざかって、階段を上る音―――



「天宮君。こんばんは」



 影の濃い場所からぬるっと出てきた時は、思わず声を上げそうになった。上げなかったのは単にその体力が残っていなかったからだ。芽々子は疲労困憊と言った様子の俺に近づくと、心配そうに顎をくいっと持ち上げた。

「大丈夫? とても他の事なんて出来そうにない、頼むから早く寝かせてくれと言っているように見えるけど」

「いや…………うん…………まあ、大丈夫だ。鍵は開けたのか……?」

「待っている間暇だったから。もう鍵は開いてる。貴方さえよければ早く入りましょう。ここに居るのは、多分危ない」

「あ、ああ…………?」

 柳木の家は小さいから何か調べるにしてもすぐに終わるだろう―――

「って、待てよ。慎重に行動した方がいいのか? 柳木が失踪したって事だけど、それでもアイツの親が」

「来て」

 有無を言わさぬ一言に疑問が両断される。日々のルーティンからか休憩モードになりたがる体を起こし、芽々子の背中を追うように柳木の家へと入っていく。

 こんな真夜中でも部屋の電気は一切ついていない。というかつかない。この家には誰も住んでいないと言われているみたいだ。

「懐中電灯を渡していなかったわね」

「携帯で十分じゃないのか? でも所詮は付属品だしな。一つくれ」






 懐中電灯で玄関を照らすと、壁や床と言ったあらゆる場所に問題の絵が描かれていた。柳木が恐れていたという、あの怪物。黒い色は、全て油性ペンか。

「な、なんだよこれ……!」

「子供の落書きみたいね」

「芽々子、怖くない……のか?」

「人形が恐怖を感じると思う? それに、こうなっている事は想定の範囲内だった。ブレーカーを上げに行くから、貴方は少し探索してて」

 「お、おい!」

 人形は恐怖を感じない。なら俺は? 両手足が人形なだけでそれ以外は人間だ。怖いものは怖い。それもこんな、不気味な状態の壁を見ると。本当に怖くて、不安で、心細くて、芽々子についていきたかった。でも頼りないと思われても癪だからと。そんな意地が、俺の弱さを打ち消した。

 柳木について知りたいなら本人の部屋に行けばいいだろう。一回はどうせリビングだ。二階に上って部屋を確かめよう。


 ………………


 肝試しをしている訳じゃない。ここには確かに人が住んでいた。階段が多少軋む事の何が怖い。単なる老朽化だ。自分に言い聞かせて進む。部屋は三つに分かれており、それぞれ彼の親と彼の部屋なのだろう。見分ける方法はない。

「…………………」

 どれにしようかな神様の言う通り…………いや、こんな決め方は納得いかない。だって俺は決めたくないのだ。何か、嫌な予感を覚えている。


 ―――帰って、早く寝るんだよ、俺は!


 一番近くにあった部屋を開けた瞬間、ブレーカーが上がり、部屋中の電気が点いた。







 腰から胴を分断された死体が二つ。男女一組の亡骸は事の理解が及ばぬ顔で息絶えており、髪はどちらもびしょ濡れ。手はふやけて、どちらも原型を留めていない。それが誰かなんて俺には分からないが、ここは柳木の家だ。彼の両親という仮定が間違っているとは思えない。分断されたと言っても腸だけが辛うじて繋がっており、それらを元々一つの死体だったと証明してくれている。断面は見るに堪えない。直視するのも憚られる。実際、脳が理解する前に本能が拒絶して記憶が飛んだ。

 それでも俺は、割れた卵のように液体が零れる眼球と目が合った事に恐怖を抑えきれなかった。








「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


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