放課後のブラック・ダリア

 『三つ顔の濡れ男』について、クラスメイトから聞き出す真似はしなかった。単にその手の話を今までした事がなかったから怪しまれると思ったのと、もしも柳木がそれに興味を持っていた事が知られていたら、やはり俺が何かを疑っていると勘繰られるからだ。

 芽々子から聞き出そうにもその機会は訪れなかった。何分世話焼きで人気者故、二人きりで話すような時間がない。

「泰斗。今日は一緒に帰らない?」

 部活動で多くのクラスメイトが散っていく中、鞄に教科書を詰める俺に響希が声を掛けてきた。弁解しておくと、普段は一緒に帰らない。家は正反対の方向にあるからだ。

 …………怪しまれた?

「制服のまま職場に突撃するのはどうかと思うけどな」

「家に帰ったら来るまでに時間がかかるでしょ。アンタのシフトは放課後からちょっと経ってからだし、それまで休んでなさいよ。私も丁度同じ時間帯……入る時間帯から被るのは初めて? だったら一緒にサボりましょ!」

 そういう訳ではないようだ。あんな事を言われた後だとどうも警戒を強めてしまって仕方ない。確かにバイトの後、家に一々戻るのは距離があって面倒だ。面倒という程体力が底をついている訳でもないが、日の落ちるのが遅いから、夕方はそれはそれで暑い。

 色々悩んでいる最中も響希は押しが強く、もう俺がついていく前提で袖をつまんで引っ張っている。可能性を探ったが特に断る理由もないので、最終的には頷いた。

「やったっ。そうこなくっちゃね。じゃあ帰りましょっ」

 クラスメイトの誰もが自然に見える。だけど柳木の失踪には不気味なくらい無関心だ。忙しくも楽しかっただけの毎日に、不安という名の邪念が混じってくるのを感じている。

 校舎を出ると夕日が遥か前方に顔を出しており、眩しくて目を細めてしまった。照り付ける光は俺その物よりも島全体を焼き上げていて、眠気のような倦怠を五感に訴えかけてくる。

「雨も降る様子がないし、今日はちょっと忙しくなりそうね。涼みに来るお客さんが多いの何の」

 逆光で彼女の顔も良く見えていない。

「そうだ。せっかくだし少し二人で島中走ってみない? 自転車にも慣れたいでしょ?」

「それだとなんか……普通にサボってるみたいだな。まあ放課後だし、部活にも入ってないならいっか。自転車……ぶっちゃけ乗ったの昔すぎて覚えてるかどうか怪しいし」

「乗ったことあるんだ?」 

 逆光が落ち着く所まで二人で気ままに歩いていく。それが一番近道かどうかは響希にしか分からない。石階段を下りて、商店街の方へとやってきた。大人達も仕事を続々と終えてくる頃だ。ここから夜にかけてこの通りは一番賑わっていく。真紀さんもどこかしらのお店で働いているのだろう。

「流石に子供なら大体の奴はあるんじゃないのか。俺は特別車が好きって訳じゃないけど、車好きの気持ちって多分延長にあるような気がするんだよな。自転車って子供の頃は格好よく見えたんだよ。高校生とかが乗ってるのが何となくさ……別にそれがママチャリって呼ばれるものでも関係なかった。それで自分用に買ってもらえるってなった時は最高だった記憶があるな」

「で、乗ってみてどうだった訳?」

「めっちゃ練習して乗れたはいいが、悲しい事に親はどうせ事故るに決まってるから家の近所以外で乗るなって言ったんだ。だから俺は走って何とかしてたよ。友達の家に遊びに行くとか、コンビニに用事があるとかそういうの全部」

「……なんとなく触っちゃいけないような気がして聞いてこなかったんだけど、もしかしてアンタが一人暮らししたがってたのってそういう事?」

 猫とすれ違ったので、二人で少し撫でてやる。これは野良猫だが、島民の殆どから愛されているせいかあまり警戒心がない。俺達が少し触れるだけでゴロゴロと喉を鳴らす程度には、飼いなされている。

「そういう事だな。うちの両親は何かと俺を子供扱いした。実際子供だったけどさ、何かにつけて干渉されるのが嫌だなって気持ちが漠然とあったんだ。だから一人でも大丈夫だって所を見せる為に凄く頑張った。この島はそんな頑張った俺へのご褒美かな……なんちゃって」

「いいじゃん、凄いじゃんそれ。つまらない意地張って貫き通したんでしょ。私はそれ、カッコイイと思う。うぇい」

「……うぇ、うぇい!」

 拳を突き出されて困惑したが、すぐにそれはグータッチだと気づいて反応した。響希が悪戯っぽく笑って、そろそろ行かなくちゃと膝を伸ばした。

「そろそろ行かなきゃ自転車乗る時間なくなりそうじゃん。先に鍵外してきなよ。私はお父さんとお母さんに事情を説明するから」

「お、おう。体が覚えてなかったら練習の時間をくれよな」

「あはは! 別にそんなの見て笑ったりしないって。あ、でも怪我してそれでバイト休むはガチでやめてね。私が倍ぐらい頑張んないといけなくなって面倒くさいから」

 そう言い残して一足先に自分の家に帰る響希を見届けると、俺は隣の家に目をやった。ここには様々なお店が並ぶが、豆腐屋の裏にポツンと立っている普通の家こそ柳木の家だろう。異様な雰囲気を感じるのは芽々子から失踪の情報を聞いているからだ。人気のなさそうな家なんて島中探せば幾らでもあるし、実際人が居ない家もある。家にコケが生えているとか埃くさいとかガラスが割れているとか、そんな露骨な古民家ではない。人が居ないと分かっているから怪しく見える……いや、人は居るか。全員が全員一人暮らしではない。柳木には柳木の両親がまだ暮らしている。

 自分を尺度にして考えるのは悪い癖だ。芽々子もまだ来ていないし、訪問するのは早いだろう。『雪呑』の裏手に回って、約束通り自転車のロックを外した。俺に対して小さいなんて事はなくて、全然動かせる範囲だ。少し漕ぎ出すと、懐かしい平衡感覚のズレを思い出した。

「っと」

「泰斗~。許可貰ってきたから早速行きましょっ。って大丈夫? 体は覚えてた?」

「問題ない。あんまり久しぶりだからちょっと戸惑ったけどな。行こう」

「おっしゃ! 飛ばすわよ~!」


















 あまり細い道を通るのは技術的に厳しかったが、全体的に乏しい人口が俺達の走行を快適にさせた。車すら殆ど必要ない島だ、人にさえ気を付ければ後はテクニックの問題だ。最初はもたついたが、幼い頃に練習した技術は体が覚えているらしい。すぐになれた。

「いえーい!」

「何処へいく!?」

「どこまでもー!」

 わざわざ人気のない場所を選べばそれは肩で風切る速度がなんて心地いい。当てもなく走り続け、ようやくお互いに帰ろうかという話題が出た時には砂浜の方まで来てしまった。

「はー! うんうん、やっぱりこうでなくっちゃね。アンタもそう思わない?」

「バイト前ってどんなに気合入れてもやっぱちょっと憂鬱だけど、喝を入れられた気分だよ」

「それはアンタが色んな仕事やりすぎなだけ。私の所だけでバイトしてたら流石にそうはならないでしょ? あー楽しかった♪ そろそろ帰らなきゃ怒られちゃう。戻りましょ」

「…………こういうのやる友達は居なかったのか?」

「みんな部活頑張ってるから。あーでも柳木はね、部活やってなかったわ。でもアイツはアイツで怖がりだったから、こういうのやらないの。子供の頃はトイレが怖いとか言ってわざわざうちに電話かけてきた事もあったわね。後は速度が怖い、夜が怖いって……男は度胸! なんていわないけど、頼られっぱなしだったら縛られてるみたいであんまりいい気分じゃなかったわ」

「子供の頃の話だろ? 俺の知る柳木にそんな様子はなかったぞ」

「男のメンツってモンがあるんでしょ? アンタがこっちに来た経緯は逞しすぎて誰も何も出来ないけど、昔から私以外にも同じ事してたら多少それで揉める事もあるわよ。だから普通に見えてた。部活やってないのだって、真っ暗な時に帰るのが怖いからなのよ!」

 誰かに頼られっぱなしは良い気分になる人も多い反面、付き纏われて鬱陶しいと感じる人間もいる。お店を経営する両親の元に生まれたからか響希は自立した性格であり、だからこそ相容れない性格のお隣さんには辟易していたと窺える。

「あいつは何をそんなに怖がってたんだ? …………子供の頃は理由もなく怖いもんだけどさ。俺なんかお化けに食べられるって言われて早く寝させられてたんだ」

「ああそう。それよそれ。あんまり覚えてないんだけど……その、何とかってのに怯えてたのよ。色々話してくれたけど全部忘れたわ。仕事が忙しくてそんな事に付き合ってられなかったし! ほらほら、こんな話後で幾らでもしてあげるから、帰りましょっ?」

「ま、待ってくれ。仕事には戻るんだけど、情報が何にもないぞ! せめて名前は思い出してくれないか? そこまで聞いたからにはちょっと気になる!」





















 響希本人と両親の許可を得て五分だけ物置を探らせてもらった。子供の頃、柳木は良く絵を描いていてそれを見せてくれたそうだ。怖いものが苦手なのによく怖いものを書いて勝手に怯えていたらしい。

「これこれ。こいつが怖いって言ってたの。自分で書いたのに変でしょ?」

 クレヨンで書かれた怪物はぐちゃぐちゃに塗り潰されて詳細が良く分からないが、周りに落ちている星形の物体は恐らく人だ。子供なりに指や髪の毛を描こうとした努力がある。



 ただしそれらは全て腰から両断されており、上半身は人体の構造を逸脱して破綻していた。

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