新しい朝が希望の光

 天宮泰斗の朝は早い。

 そうでない日も勿論あるが、生活の為には学校に向かう前にバイトを入れる必要があるのだ。時刻は朝の四時。別にここまで早く起きる必要はなかったけど、自分の身体がおかしな事になっているのだ。多少のイレギュラーはある。

「…………」

 脱衣所の鏡に腕を翳し、球体関節を確認する。決して夢じゃない。昨日起きた事の全ては現実だ。俺は達磨にされたし、国津守芽々子は人形だった。一度寝ると妄想のような事ばかり起きたが、紛れもない事実だと認めざるを得ない。


 ―――じゃあ、隠す必要があるよな。


 こんな猛暑の日に長袖を、たとえ薄地でも着なきゃいけないストレスは半端ではない。それも今までは許されていたのが、突然命を天秤に懸けて選択しなくてはならなかったのだ。でもやらないと。幾ら俺だって、死にたくなんてないから。

 


 コンコン。 コンコン。


「!?」



『おーい、泰斗く~ん。おねえさんだよ~。あ~け~て~お~く~れ~』



 こんな時間に来訪者。だが声を聞けば不思議ではなく、むしろこの時間帯だからこその人とも言えた。芽々子の薬で見た世界で俺は何度も来訪され、その度に殺されてきたが、彼女の来訪は一度もなかった。

 まさか協力を承諾した程度でここまで大きく未来が変わるのだろうか。実は密かに思っていたが、俺の心を折る為のデタラメだったんじゃないかと―――いや、やめよう。仮にそうだったとしても俺に選択肢なんてなかった筈だ。あの場は要求をのまないと、いつまでも達磨のままだった。

 意を決して扉を開けると、レジ袋を提げた金髪の女性がなだれ込んできた。

 

 一刀斎真紀(いっとうさいまき)。近所に住む女性であり、こんなふにゃふにゃの状態からは想像もつかないが、俺の一人暮らしを実現させてくれた恩人である。


 編み込んだ髪を一本の縄のように束ね、足が不自由でもないのに杖を常備している。初めて島にやってきた俺を出迎えてくれたのもこの人だ。部屋も最初のバイトも全てこの人が融通してくれた。両親が一人暮らしを認めてくれたのは、この人が観察者として見守るとか何とか言ってくれたかららしい。

「真紀さん、朝四時ですよ。普通、寝てませんか?」

「んー。でも早すぎる朝というのはだね~、私にとってはまだギリギリ起きてる時間だからー。泰斗君さー、これから新聞配達か港のお手伝いでしょ? お姉さんが朝ごはん作ったげる~」

「いやそんなの悪いですけど…………今日は、お言葉に甘えてお願いします」

「ん~任された! ……じゃあ台所借りるね。適当に待っちゃってよ」

 真紀さんは夜にしか開かないお店で働いているらしく、生活もそれに応じて昼夜逆転している。だから普段は朝から昼は寝ており、夕方からようやく目を覚まして働く準備をするらしい。らしいというのは、俺はそのお店を知らないのだ。学生なので入れないから、別にどうでもいい。

 直前まで凄く眠たそうだったのにもういつも通りになった。抜けてる人なんだか真面目な人なんだか出会った時からさっぱり掴めないが、沢山のバイトが舞い込んでくるのは真紀さんが口コミをしてくれたからだ。一から十を積み上げたのが俺なら、彼女はゼロから一を提供してくれた。本当に、有難い話だ。

「簡単な朝食しか出来ないけど、ごめんねー」

「いえ、大丈夫です。あんまりガッツリした食事は食べるのに時間がかかって色々予定が狂いますからね」

「んふふ。お姉さんの前でくらいはしっかり者でなくてもいいんだぞ~? 高校生だってまだ子供なんだからさ!」

 エプロンを着て、背中を向けながら呑気に鼻歌を歌う姿をぼんやり眺めている。テレビは俺の部屋にはない。生活を圧迫すると思って買わなかったのだ。必要がなくても耳を澄ます事になるし、そうすると外の音も聞こえてくる。ほぼセミの鳴き声と、頑張れば波の音が。

「毎日来てる訳じゃないけど~なんかちょっと意外だなー。私、普段はもっと粘ってたと思うけど、今日はやけに素直じゃん」

「昨日は……色々あって疲れたっていうか。確かに自炊は出来ますけど、こんな状態だと危ないかなって。真紀さんがきてくれて助かりました。子供の時に出会ってたら、求婚してますね」

「パパのお嫁さんになる~みたいな事ぉ? 嬉しい事言うじゃん♪ この島、人が少ないからさ、嫁の貰い手を探すってなったら当然本島に帰るか、それか元々親密だった人とくっつくって事が結構多いんだよね。だから、そういう事言っちゃうと本気にしちゃうよ~? 私、まだ二五歳だし」

「……多分、お店で何回も求愛されてるんでしょうね。知らなかったら真面目に受け取って本気になってますよ」

「あはは! まあ疑似恋愛を売ってるみたいなお仕事だしね! 悪い女の人に騙されなくて偉い!」

 そんなとりとめのない事を話している内に、朝食が出来て、机に並べられた。シンプルに厚みのある卵焼きと、味噌汁と、白米。それらは全部俺の家にあったものだが、見覚えのないベーコンや漬物は真紀さんがレジ袋に入れていたのだろう。

「おいしそうです。いただきます!」

「私って天才? いただきまーす」

 これで焼き魚があったりすると、無駄に綺麗に食べようとする性分が祟って時間を浪費したりする。これもある種の格好つけというか―――真紀さんの前でダサい事はしたくない。

「そうだそうだ。泰斗君さ、昨日夜走り回ってたんだよね?」

「まあ突発のバイト……いや、バイトっていうか、お使いがあったんですけどね。それでちょっと遅くなりました」

「うん知ってる~。駄目だよ、何でもかんでも引き受けたら。体壊したらどうにもならないんだからねー?」

「き、気を付けます」


 ―――あれを知ったら真紀さんも、俺を殺す?


 不安で上目遣いに見遣ると、真紀さんはジトっと伏し目がちになって箸を置いた。

「どうかした?」

「いや、いや……なんでも」

「…………望んだ暮らしでもやっぱり不安になる事があってもいいと思うんだ~私。人生ってそううまくはいかないもんね。泰斗君は、好きな子は出来た?」

「好きな子って……今はそんな場合じゃないですよ。生活の為にがむしゃらに働いてるんですから」

「そっかそっか。じゃあセーフだ」

 真紀さんはエプロンを脱ぐと、俺の側面に寄っていってぎゅっと俺の体を抱きしめた。丁度胸が顔を埋めるように抱きしめられて、色々な意味で力が入らない。

「んぐ……!? んっ!」

「私は君の味方だよ~。困ったらお姉さんに頼りなさい。こんなでも、君一人養うくらいの経済力はあるからさ。もし疲れて休みたいって思ったら何日か私のヒモになってくれてもいいからね~」

「んぐ……むぅ」

「え? いやいや何もしなくていいよ~。ただ困ってる君を助けたいだけだから。私はね、!」




















「行ってきます!」

「いってらっしゃ~い! 施錠は任せてねー!」

 真紀さんの見送りを受けて、俺は早速新聞配達の仕事にとりかからんと所定の場所まで移動した。この島に本島の新聞はない。あるのはこの島における出来事をまとめた島内新聞だけだ。だから大抵はこれを読めば何が起きたかを把握出来る。本当に個人的などうでもいい情報まで。島の橋に住む藤のジイさんが八〇歳を迎えたみたいな。

 新聞はいつも百葉箱みたいな真っ白い木箱の中に指定の部数が入っている。誰が書いてるか、誰がここに入れているかは知らない。ただこの仕事は真紀さんから仲介を受けて初めて受けられた仕事であり、賃金については学校で先生が渡してくれる手筈になっている。

「あれ?」

 今日は、新聞がない。いや、ないなんて事はあり得ない。全員とは言わなくてもかなりの人数が取っている。ここにきて入れ忘れたという事だろうか。まさかこの木箱に隠しスペースなどある筈もなく、それでも無駄な努力で壁をぺたぺた触っていると、背後からぽんと紙の感触で叩かれた。

 振り返ると、芽々子が立っていた。人形だから、瞬きの一つもしなければ太陽を直視しても目を細めない(位置関係的に太陽と向き合っている)。

「おはよう、天宮君」

「芽々子……何でここに」

「毎日私の家に新聞を届けてくれているのは知ってるから。先回りして私が仕事を済ませておいたわ。バイト代は勿論そのまま受け取って。私が欲しいのは君の時間。ついてきて。ここじゃ暑いだろうから、涼しい場所に移動しましょう」

 そういって振り向いた背中に釘付けになるのは、真紀さんが悪い。脳裏で再生されるのは疑問を疑問とも思わないような芽々子の声。


『貴方、人形には欲情する?』


 ピンク色のブラが透けている。こういう邪念を排除したいから俺は働きづめなのに、ああもう。今日はずっと調子が狂う。俺は興奮なんてしてない。

「―――なあ芽々子。その―――お前は俺の、味方、なんだよな?」

「それは少し語弊があるわね。天宮君に裏切られたら私にはもうどうする事も出来ないが正しいわ。昨夜、私なりに誠意は全て見せたつもり。それで今更裏切られたら―――私の人間の解像度が低かっただけ。もしそれで貴方が生き残ったら、気にしないでいい」

 日陰になる場所まで移動した。島内は建物が密集している関係でいくつも日陰になる場所が存在しており、この家と家の隙間はよく野良猫が溜まっているのを見かける。今朝も溜まっているが……その理由は芽々子が餌をあげたからなようだ。

「放課後に話すつもりだったけど、先に目的だけ話そうと思って。この体は人形だけど、私は元々歴とした人間なの。天宮君には私の体を見つけてほしい。多分、死体だけど」

「うえ………………え? どういう、事だ? 元々人間? もう話がついていけないぞ。それに死体を集めた所で体が元に戻る訳じゃ」

「とにかく、見つけてほしいの。天宮君は学校に行ったら何かきっかけとなる事件を探してほしい。私との関係と正体は気づかれないように」

「事件? 事件って何だよ。この島で事件なんて―――」




















 学校に行けば分かる。

 そういわれても、と最初は思った。だが登校して初めて―――異変に気が付いた。


 クラスの机が、一つ片づけられている事に。

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