小さな親切大きなお世話

 一人暮らしをするのは俺の憧れだった。そこに大した理由はなくて、単に親に頼らず生きていくのはカッコいいのではないかという、いうなればちょっとした格好つけだ。

 高校生なら条件は厳しくてもそれ自体は可能という事でずっとお願いしてきた。自分の身の回りの世話が出来る事、複数の仕事をこなせる事を日頃の手伝いから証明し、通知表によって勉強に支障はない事も示す。一日二日ではどうにもならない事前準備に俺は中学生活の全てを費やしたと言ってもいい。格好つけだけでそこまでの苦労をと思ったかもしれないが、確かにその通りだ。コストが高すぎて、それだけでは到底続ける理由にはならない。

 これもまた単純な話で、途中まで真面目にやっていたものを辛いからと中断したら、それはそれで嘘つきのようなものだと思ったからだ。そういう事を一度でもすると、次に似たような挑戦をする時に理解を得られなくなるばかりか、どうせ出来ないだろうと煽られるようになる。


「おはよう! ギリギリセーフか!」

 

「おう、泰斗。おはようさん! ギリセーフって所かな! でも朝バイトくらいはやめた方がいいんじゃねえか?」

「おはよう、天宮君」

「おっはー!」

 まさか『介世島』なる孤島に追いやられるとは思ってもみなかったが、努力が実って俺は遂に一人暮らしを始めた。総人口千人も満たないこの島で、本島からの進学者は俺一人。一人暮らしどころかそもそも土地がアウェーであるのは想定外の状況だった。島内唯一つの高校も、全生徒を含めれば千人は下らなかった中学校の一学年にも満たない人数しかいない。クラスに絞れば二クラスで、それぞれ二十人程度だ。

 一人暮らしというか、島流しをされたような気分だが、考え方を変えた。自立したいというならこれ以上の環境はないのだ。両親が万が一にも俺に助けを出せる距離ではない。俺はここで自分だけの世界を、自分だけの暮らしを築く事が出来る。


「天宮。港からウチまでの荷運び手伝ってくんね? バイト料出すけど」

「本当か? いや、マジで有難う。やらせてもらうわ!」

「天宮君、悪いけど今日のバイト君が入るまでの間、代わりにウェイターやってくれない? 色をつけてあげるから」

「あざます! 全力でやらせてもらいます!」


 正直、まともな暮らしじゃない。休む暇なんてまるでないような一週間を過ごしてばかりだ。それでも本島からこっちに引っ越してくれた俺に、クラスメイトも大人の人も良くしてくれた。特にありがたかったのは賄い料理の持ち帰りや、御裾分けだろうか。一々料理の献立を考える暇もないような暮らしだと、どうしても食生活が偏りがちになる。そういう時に誰かが料理をくれると、心から感謝を申し上げたくなる。

 怠惰な暮らしなど夢のまた夢。一日二十四時間、その一秒一秒に至るまでみっちりと詰まった充実感に、俺はとても満足していた。



 満足、していた。



 


「そろそろ麻酔が切れそうだから、早い所返事が欲しいんだけど」





 学校が終わって夜になっても、時にはバイトがある。あれは、バイトとも言えないような仕事だった。カラオケに来る約束だった人が来ないから様子を見に来てほしいという単発の仕事だ。結論から言えばその人は寝ていて、起こすのも申し訳なかったが仕事なので仕方なくピンポンを鳴らして起こし、それで俺の仕事は完了した。お金は後日貰うという伝言だけ任せて、家に帰るはずだったのに。

「…………な、んで……………」

「なに?」

「な……んで………………生きて、る…………?」

 クラスメイトである国津守芽々子くにつがみめめこが街灯から外れた小道で死んでいるのを見かけた時は、腰を抜かしてしまった。人間、本当に驚いた時は声すら出ないというが、正にその通りだ。あれは夜十二時くらいの事。しかし良識は理性に刻まれており、叫ぶよりもやる事があるだろうと携帯を手に取っていた。そこまでは良かったのに。


『通報するのは、やめなさい』

 

 首は折れ、左腕は虫に食われたようにぶちぶちに穴が空いていて、両足は溶けている。そんな異様な死体であった芽々子に携帯を取られた瞬間、俺は気を失ったのだ。

 芽々子はボロボロになった制服の袖を引きちぎると、球体関節を見せつけて、首を傾げた。

「私が人形だからよ。って、見れば分かるでしょ。そこまで頭がぼんやりするような強い薬は使ってないんだから自分の状況も理解出来てる筈。それとも、私に説明してほしいの? 今の貴方は両手両足を失ってて、私の助けがなかったら翌日には惨殺死体として発見されていた所よ。良かったわね、私が人間じゃなくて」

 舌の痺れも少しは取れてきただろうか。だんだんと声を荒げる事が出来るようになっていく。そうして感覚がハッキリしていくだけ、あるはずの感覚がなく、あってもそれは錯覚である事を思い知らされる。

「な…………他人事みたいな言い方をやめろ、よ! お前、何で俺の体を切り落とした……んだ! そんな、恨まれるような事をした覚えはない! まだこの島に来て、二か月も経ってないぞ!」

「確かに切り落としたけど、これがお互いが助かる最善だったから。貴方の四肢がなければ私は体を作り直せなかったし、私が破壊されたままだったら貴方は惨殺死体のままだった。むしろ感謝してほしいくらいだけど」

「ふざけんな! か、か、感謝なんてしないぞ! クソ女! クソクソクソ! く、くそ……………クソ……!」

 左瞳がカメラのようにぐいっとズームした事なんて今更気にならない。目から涙がこぼれて、止まらなかった。痛いからじゃない。こんな体じゃ一人暮らしはおろか、まともな生活すら望めない。ベッドの上で生きているだけの人生なんて、一体そこにどんな充実感がある。

「くそ…………クソ……………俺は、俺はもう一生……このまま、なのか…………何で……………う、う、う。うぉぉぉぉぉぉぉん」

「…………さっきまでの私の話は聞いてなかったみたい。貴方の四肢は私の方でどうにかなるわ。その代わりに、私を助けてほしいの」

「…………は…………俺は、人形じゃ、ない………………治る訳ないんだ。俺は…………」

 これを泣き虫だと嘲るなら好きにすればいい。今は痛みを感じなくても四肢を失ったのだ。人生の全てを奪われたに等しい。俺にはもうどうする事も出来ない。自分の人生は自分の手でって、まずその手がなくなったのだから。



「ふーん。貴方にとっての人形って、こんな風に勝手に動くの?」



 芽々子はボロボロの制服を脱ぎ捨てると、俺に背中を向けたまま、別の制服に着替え始める。背中だけを見ると、分からない。それはあまりに人の肌に近く、関節を見なければ―――いや、だからこそ俺以外の誰も、気づけなかった。芽々子は誰にでも世話を焼く良い人物だったが、それでも特に親密な人は居なかったから、というのもある。クラスで関わる分には、本当に人間みたいだった。

「普通とか常識とか、そういう尺度で考えたら私の存在はあり得ないって結論にならないかしら。だったら今、その尺度は不要。私の言う事を信じて」

「し、信じられる訳ない! お前みたいな猟奇的殺人犯の事なんか信じたくもない! 自分が何やったか分かってんのかよ! クラスメイトをこんな風にしやがって!」

「…………そう。在庫に余裕がなかったから使いたくなかったけど」

 と、そう言って芽々子が取り出したのは、青色の液体が詰まった注射器だ。泣いても喚いても、万が一はない。両手足のない俺なんて、達磨と同じだ。

「ま、待て! 何する気だ!」

「動くと針が折れるかもよ。じっとしてて―――」

 針はゆっくりと俺の首筋に刺さって―――





















「はッ!?」

 両手足がある。

 そもそも俺は立っている。ここは何処だ。

「…………?」

 街灯のない場所に立ち尽くして俺は何をしているのだろう。いや、あれは夢? ここには確か芽々子の死体があって、アイツに俺は四肢を切り落とされて……でも四肢は、繋がってる。これが夢ではない事は、指を閉じたり開いたりできる事からも明らかだ。

「ゆ、夢?」

 目の前に死体はない。思わず独り言が出てしまう程度にはリアルな夢だった。しかし立ったまま寝るというのもどうなのか。あまりにも働きづめで人体の限界を迎えてしまったのかもしれない。


 ―――か、帰ろう。


 夢の中だとするなら、俺は相当芽々子に悪いイメージを潜在意識で持っているようだ。それはあまりに恩知らずというか、彼女は色々俺に良くしてくれたのに。そうだ、現実的に考えてあり得ない。まさか芽々子が俺を殺すなんて。

 さて。

 後は自宅に戻るだけだ。夜の暗闇が少し怖くなったくらいで後は何ともない。自分の部屋の番号は二〇〇号室。それもきちんと覚えているし変わっていない。やっぱり夢だったのだ。


 ―――ああ、俺もおかしくなっちゃったか。


 それなら早く寝て、体力を回復させた方がいいだろう。携帯を見るとクラスのSNSグループが盛り上がっている。孤島だからって電波が通じない訳じゃない。そこまで徹底して閉塞的だったら、流石に島流しと呼ばざるを得なかった。


『今帰ったんだけど、俺立ったまま寝てたわ』

『は笑 やばすぎだろ笑笑い』

『天宮君疲れてるんだよ。うちらと違って沢山働いてるしさ』

『しかも夢の内容がやばくてさ……ホラー映画みたいだったよ。芽々子が人形の殺人鬼で、俺は危うく殺される所だったんだ!』

『お前笑笑笑 それはヤバイ!!』

 

 こんなふうに笑い飛ばしてくれると、俺もあれが夢だったといよいよケリをつけられる。手早くシャワーで汗を流して就寝準備につこうとすると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。

「はーい」

 こんな時間に俺を訪ねてくる人物には大体見当がついている。夜通し飲んで酔っ払って自分の部屋を間違えるようなおっちょこちょいだ。そういう人がこのアパートには結構な数居る。そういう人の対応をするのも一人暮らしの醍醐味ではないだろうか。コミュニケーションの大切さは、一人暮らしを想定していた時よりも遥かにこの島に来て分からされた。

 扉を開けると、ゴミ袋を被った小柄な影が猟銃を俺に突きつけた。

「えっ」














 







「うわあああああああああ!」

「死因は、うっかり私の事を話したら銃殺されたって所かな。立ち会ったのが、運の尽きね。貴方は私に助けてもらわないとどの道死ぬ運命にあるの」

「い、い、い、いぇ? 今のはなんだ!?」

「これはね、以前に新世界構想という計画を唱え―――」

「専門的な話じゃなくて! ユ、夢!? どっちが夢? え?」

「夢じゃなくて、シミュレーション。貴方がまるで私のせいでって言い方をするから、私と出会わなかったらどうなるかを教えただけ。別に私の事を話さなくても結果は同じよ。翌日私が見つかって、犯人探しが始まる。この島は狭いからあっという間に情報共有されて、貴方が容疑者としてリストアップされる。後は時間の問題。怪しまれないようにじっとしてたら殺されるし、自分の嫌疑を晴らす為に動いたらそれでも死ぬ…………私にとって怪しくないのは外から来て、今ここで達磨にされた貴方だけ。だから私は貴方に助けてほしいの。その代わり、私も貴方をサポートするから」

 芽々子の表情は変わらない。人形だから当たり前だが、それでも真剣さは伝わってきた。いや、彼女は最初からずっと真剣だったのだろう。ただこの状況を受け入れられない俺に比べたら、遥かに。

 それでも。

 自分をバラバラにした人の事なんか、信じられない!

「も、もう一回だ! 俺が死なない道を選べたら、解放しろ!」

「…………………………分かった。気が済むまで付き合うわ」


 また、注射器が首筋に刺さる。










「ごめんなさい。まさかここまで拒絶されるとは思ってなかった。こんな体だとどうしても、欠損に鈍くてね」
















「でも私は、貴方に助けてもらうしかないの。簡単に予想できる事ではあるけど、貴方が立ち会わなかったら私だって、どうあがいても死ぬ運命にあったみたいだから」

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