同じテーブルを囲んで
福田
同じテーブルを囲んで
老害という言葉がある。
考えの凝り固まった、頑固で旧時代的な害のある老人。
友人の草間が「俺らはもう老害だからな」と漏らした。私たちはもう60代になる。一体何歳からが老害なのか。一体、どういう考えが老害なのか。
私は、そういう「老害」のような言葉を自分が当てはめられることになるとは思ったことがなかった。
成人する時も、結婚する時も、子供ができた時も、子供の成人を迎えた時も、自分が年老いていっている感覚を感じたことはなかった。だから、友人たちが漏らす老いへの落胆や受容が私にはあまり理解できなかった。
しかし、こう「老害」と強く言われてしまうと、なんだか自分はもう必要とされていないどころか、害のある存在にまでなってしまったのかと初めて老いを感じたのだった。
そういえば、草間が勧めてくれた小説で姥捨山の話を読んだことがある。そこでの老婆は周りに迷惑をかけることを恐れて、姥捨の日を自ら待ち望んでいた。なるほど、草間が「俺らはもう老害だからな」というのは、これに近いのかもしれない。
草間はこうも言っていた。
「しかしさ、こういう老害っていうのは、ちょっと全体主義みたいに感じられて恐ろしい言葉だよなあ。老害なんて言葉は、そういうものを肯定するレトリックみたいに使われてる節がある。俺は不安だね。この国の未来も、若い連中もね」
そして、隣で話していた木村はこう言う。
「でもさ、そういうことを言うと、また老害って言われるんだよな」
草間は答える。
「そこが、レトリックなんだよ。老人を虐待する口実を作るためのトリックさ」
私はトリックという言葉で、とある言論番組で若いコメンテーターが言っていた言葉を思い出した。
「やっぱり大人たちが残した負の遺産を子供達に背負わせてはいけないとは思うんです。気候変動とか古い価値観とか。大人たち、古い世代は影響を受ける前にいなくなるからずるいという人もいると思います。若者を搾取する上手いトリックだって。
だから、老害と言いたくなる気持ちもわかる。しかし、そう言って老害という言葉を使ってしまうのも、『上手いトリック』な訳で……老害なんて明らかに良くないじゃないですか。エイジズムですよ。
難しい問題ですが、難しいでは終わらせてもいけない問題だと思います。私が思うに、そういう甘美なレトリックを重ねて、諸悪の根源を作るのは簡単なんです。でも実際、世界や社会はもっと複雑で、一つのトリックじゃ解決できないんですよ。違う価値観であることは当たり前、違う価値観だといつか綻びも生まれるかもしれません。
だからこうやって、できるだけ同じテーブルを囲んで綻びを先延ばしにするんです。私たちが完全に分かり合うなんてことは、絶対あり得ません。それこそ、思想を強要する全体主義な訳で。だから、分かり合えないなりに同じテーブルを囲むということだけは続ける。テーブルを囲んでいる間は、殺し合うことはないですから。永遠にそれを続けるしかないんです」
彼の言っていることに、私は結構納得していた。しかし、彼はどうやらSNSでこの発言に結構な文句を付けられているらしい。彼らにとってはこのコメンテーターの言葉も嘘くさい悪質なレトリックだったわけだ。誰かの言葉は誰かにとっては的外れで、同時に的確でもありうる。的確か的外れかなんて、このネット時代にはますますわからなくなっていくんだろう。
「なあ、草間」
「どうした」
「今度、若い人も連れてさ、食事に行くのはどうだろう」
「食事? そんなの誘ったら、ますます老害って言われそうだな」
「老害でいいんだ。まずは、不快でもいいから共存するんだ。同じテーブルを囲んで」
老害であることは、村の掟には反するのかもしれない。本当は、姥捨山に行くことを自ら望むべきなのかもしれない。しかし、私は自分の意見が、自分の魂が殺されるくらいなら、老害になって同じテーブルには居させてもらいたいと思う。
このとき、私は自ら老害を引き受けた。
同じテーブルを囲んで 福田 @owl_120
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