第27話


 久賀の机には、鳴海東署から預かった証拠保存箱、そして須田敏弥に関する資料、供述書が載っている。

 既に全ての資料には目を通したが、その内容は少なかった。

 どうも、敏弥は青鞍に蹴られたことを根に持っており、頑なに黙秘を貫いているそうだ。

 そこで、久賀に鉢が回ってきたのだった。

 机を挟んで向かいに、敏弥は怯える様子もなく、不機嫌そうな顔で座っている。

 普段の取り調べと同様、柏木は自席にスタンバイしていた。

 久賀が、氏名、年齢、住所そして職業を尋ねた直後、敏弥は久賀を睨んだ。

「オレは何もしてねえよ」

「それは、これから明らかにしていきますから。私は検事の久賀です」

「あとさ、オレ捕まった時、刑事に暴行されてっから。ここ、まだ青タンあるんだけど」

 敏弥は右脇腹を抑えて、顔を歪める。久賀は書類をめくって確認したが、やはりその事実は記載されていなかった。

「逮捕の際に被疑者が抵抗すれば、警察の実力行使は認められていますよ」

「逮捕後なんだけどよ。そいつ、処分されないの。職務乱用だろ」

「現場の状況次第でしょう。警察に素直に従っていたのに、蹴られたのですか」

「かわいー篠塚刑事に冗談言っただけ」

 敏弥は悪びれもなく吹いた。机の上で組んだ久賀の手に、力がこもる。

「なんて言ったんですか」

「俺に気があるのー、とか、せっかく遊びに来てやったのにって。それだけ」

 それだけでも、蹴りを食らうには十分だ。

 しかし、もし自分がその場にいたなら蹴りだけで済んでいたかはわからない。

 無理にでも作戦に参加すればよかったと、後悔する。

 だが、久賀は一息吸って平静を保ち、言った。

「それは、ちょっとまずかったですね。まあ、でも君のここでの態度次第で、青鞍刑事の処分も考慮されるかもしれませんよ。そろそろ話した方がいいですよ。やはり印象って大事ですから。篠塚巡査部長の部屋にナイフを携帯して押し入った事実は動きませんからね」

 語尾を強調する。

「それに、事前に何度も周囲の下調べをしていることも防犯カメラからわかっていますし。計画的犯行。で、動機は?」

 敏弥は動じていない。まだ薄笑いを浮かべている。

「ちょっと、怖がらせただけだぜ。なんか、構ってあげたくなるじゃん、ああいう可愛い系。年上がオレの言うこと聞くっていうのも、悪くねえなって思って」

 久賀は、関節が浮き上がるほど両手を握りしめ、今にも爆発しそうな感情を殺した。相手に煽られるのは、素人だ。

「話をはぐらかそうとしても無駄だ。こっちが大人しく聞いているうちに、いい加減に吐け」

 久賀の凄みを利かせた声音に、敏弥の顔から薄笑いが消えた。

「弁護士、呼んでくれよ」

「構わんよ。ただ、こっちの余罪が減ると思うな。全てここに証拠は抑えてある」

 久賀は証拠保存箱の上に手を置いた。相手の顔からさあっと血の気が引く。 

「君の部屋から押収したラップトップを調べたら、すごいのが出てきたぞ。わかるよな」

 相手は身を弾かせ、机に乗り出した。

「ざけんなよ! プライバシー侵害だろうが!」

「お前、自分が被疑者ということ忘れるなよ。座れ。それでも黙秘を貫くなら弁護士でもなんでも呼んだらいい」

 敏弥はふらりと後退し、脱力したように椅子にどさりと腰を落とした。

「これが何かわかるか」

 久賀は人差し指でトントン、と書類を叩く。

「わかるわけねえじゃん」

「君がどんなヘマをしたか、証拠、報告が全て記されている。ちなみに、部屋に押し入った時、なぜ手袋をしなかった?」

「忘れた」

「不法侵入の際の基本的な三つのルールを君は知らなかったんだな」

「は? 何言ってんの?」  

 相手は唇を歪めた。久賀は顔の横でぐっとマークのように右の親指を立てた。

「ルール1、現場にDNAを残さない」

 続いて人差し指。

「ルール2、現場にDNAを残さない」

 三本目は中指だ。

「ルール3、現場にDNAを残さない!」

 ばん、と平手で書類を叩いた。

「久賀検事……」

 柏木に名を呼ばれ、久賀は咳払いを一つした。

「ここに篠塚刑事の自宅に残された血痕、そしてカメに付着していた血液のDNA鑑定の結果がある。二つとも一致している。そしてその人物はカメをベランダから落とした」

「カメ? 知らねえよ」

「指、噛まれたんだろう? 見せてみろよ。右、左どっちだ? 流血するくらいだから痛かっただろ?」  

 敏弥は目を伏せ、膝の上でぐっと手を丸めた。

「他人のペットを傷つけると、器物損壊罪なんだよ。だんだんボロが出てくるな、須田くん」

 久賀が口調を和らげると、相手はおずおずと目を上げた。

「いつまでもここにいたくないだろ? でも、全部はっきりさせて、どの罪状で起訴するのか決めるのがこっちの仕事だから、また、何度でも来てもらうことになるよ。篠塚刑事の件以外でも、妹さんの件で、叩けばいくらでも出るってことははっきりしてるんだ」

「は? 妹?」

 再び笑いを浮かべる敏弥の前に、久賀は保存箱から出したラップトップと外付けのメモリーカードリーダー、何枚かのSDカード、USBスティックを並べた。

「これ、全てお前のだな。ここに保存された須田仁美さんの記録。六年ぶん」

 敏弥は久賀を睨みつけているが、虚勢は削げていた。

「仁美さんが十一歳、君が十六歳。最初の頃は彼女のタンクトップやショートパンツ姿。一見無邪気な少女の写真だ。それが時を経て水着になり、下着姿の動画になり、ここ二、三年のものは、複数の少年たちと猥雑な行為に及んでいる。それも、ほとんどが強要されたものだ。未成年の、こういうデータを所持していること自体、罪に問われることはわかるよな。児童ポルノ禁止法、聞いたことあるだろ」

 何がおかしいのか、敏弥はヘヘッと顔の前で手を振った。

「画像は家族写真だしよお、動画だって、全部演技。あいつに頼まれてやったことだ。相手はみんな共通のダチ。仁美、ヤリマンだしさ」

 久賀は拳で机を叩いた。今度は柏木も黙っていた。

「あれだけ『やめて』と泣いていたが、全部演技だというのか!」

 動画は殺人事件とは違う種類のおぞましさで、調べとはいい、久賀も見ていてほとんど心が折れそうになった。

 敏弥は肩をすくめた。さっきの雅季の件を追求した際の動揺は何処へやら、仁美の件ではまるで人が変わったように落ち着き払っている。

「そうだって言ってんじゃん。検事さんも騙されるほどの迫真の演技、すげえだろ。全部同意なんだよ」

「死人に口なし、か? いい加減にしろ」

 睨みを効かせたが、相手の冷笑は消えない。

「だーかーらー、あいつ、病気なんだって。頭おかしいの。ヤりたくてたまんないの。性欲底なしなの。突き抜けて。あと、金。金も大好きだったし、一石二鳥だろ。俺たちなんてあいつに利用されたようなもんだ」

「金? お前たちはこれで稼いでいたのか」

「そりゃ、需要があればね。あいつだって金が入って喜んでたぜ」

「言いたい放題だな」

「嘘じゃねえし。本当のことだし、あいつだって文句言わなかったし」

「いや、言ったはずだ」

 敏弥は訝しげに久賀を見た。久賀は今度は証拠保存袋から、長形3号の封筒と、その中に入っていた雅季の名刺を取り出した。封筒の宛名は、須田敏弥だ。差出人の名はない。

「これ、君の部屋で押収したんだけど」

 そう言って名刺を裏返して見せる。そこには黒のボールペンで『オマエのしたこと、全部知ってる』と書かれていた。

 敏弥の目が見開いた。

「これ、住所がなくて君のところにあるってことは、おそらく直接投函されたんだろう。そして、君はこの差出人が篠塚刑事だと疑わなかった。君は仁美さんを殺していない。だが、警察に調べられてバレるとやばいことと言ったら、これしかない」

 久賀はラップトップに触れた。

「だから、篠塚刑事を脅迫して、事件から手を引かせようとした」

 敏弥は烈しい敵意を込めた目で久賀を睨みつけた。

「ちなみに、これを投函したのは篠塚刑事じゃない。仁美さんの友人の一人だ。君たちが彼女に無理やらせていたことを全て、その子に打ち明けていたそうだ。もう、止めたいと零していたことも、話してくれた。これは裁判で証言してくれるだろう」

「あんな自分勝手なサイテーな女に、友達なんていねえよ」

「幸運なことに、いたんだよ。どうやら君は人を見る目がないようだ。妹さんのこともそうだが、篠塚刑事は特に、刺激されると燃えるタイプなんだよ」

「そんなん知らねえし」

「今後は、この動画に映っている君の友達にも事情を聞いていくからな」

 黙ってうなだれた敏弥は、やがてポツリポツリと語り始めた。



 雅季は調書を始関から渡されると、係長室を出て自席に戻った。書類はそれほど厚くないが、それ以上の重みが手に伝わる。

 向かいの席では、青鞍が必死で溜まった書類業務を処理していた。

 須田敏弥は起訴され、鳴海東署では二つの事件が完全に幕を閉じたことになる。

 そして、裁判になれば雅季は法廷で証言をすることにもなるだろう。刑事としてではなく、被害者として。

 久賀が須田敏弥の最初の取り調べを引き受けてくれたことには、心から感謝している。

 もし、自分が敏弥と対峙することになっていたら、最後まで冷静に取り調べを終えられただろうか。

 被害者の須田仁美と自分を重ねず、耳を塞がずに、相手の目を見てすべての供述を聞くことができただろうか。

 話を聞いた途端、またきっと自分はあの時の、あの場所の、あの恐怖の中へ戻ることになったのではないか。

 雅季は、忍び寄る闇を振り払うように、小さくかぶりを振った。いつまでも過去に囚われているようではいけない。

 雅季の名刺を須田家に投函したのは、内野浩太うちの こうただった。

 彼も、本当は仁美を守りたかったのだ。

 雅季の携帯電話が小さくなった。

 予定を告げるアラームだ。この後、心療カウンセリングの予定が入っている。

 子供の頃は、事件の後、そんなところに連れて行かれるのがものすごく嫌だった。

 当時のカウンセラーも、雅季の受けた被害のことには一切触れずに、学校での出来事を聞かれたり、絵を描いたり、折り紙をしたりした。こんなことで自分の汚れた過去が消せるわけわけがない、とカウンセリングで作った折り紙も全て捨てていた。

 カウンセリングをしたことが形になって残ることすら、嫌だった。

 でも、今は違う。強くなりたい。そう思う。

 いつまでも過去から逃げるのではなく、その後、自分を必死で守ってくれた人たちがいたことに感謝する。家族や友人、そして同僚。今まで自分はたくさんの人々に守られてきた。『頼る』イコール『弱い』じゃない。守られているという安心こそ、自分を強くし、また他の誰かを支えられる力になるのだと思う。

 今日は、実家に戻っていた梓が、雅季の借りているウィークリーマンションを訪ねてくる。

 夕食のテーブルは、母が腕によりをかけた惣菜やぬか漬け、地元で評判のはんぺんや干物などで賑わうだろう。デザートは、きっと雅季の好きな老舗の水羊羹だ。

 梓とは、新たな引越し先を相談しなければならない。もし、彼女が彼氏と同棲を考えていたら、自分用にペット可の物件を探すことになる。引越しは煩瑣な手続きに時間と体力を使う。

 とりあえず、プライベートでもこれからやることは山ほどある。

 だが、その前に久賀に依頼されていた書類を届けに行こう。

 バッグに封筒を入れた時、刑事部屋に入ってきた人物に気がついて雅季の頰は思わず緩んだ。

 久賀は、雅季と目が合うと軽く手を上げて挨拶した。

「近くに来たので、書類を受け取りに来ました。もう出来てますよね」

「はい。ちょうど届けに行こうと思っていました。すみません、わざわざ」

 雅季の隣に立つ久賀に、雅季はバッグから、今入れた封筒を渡した。

「いいえ、ついでですから。あくまで、ついでです。あ、もしよかったらついでで、一緒に休憩どうですか」

「三度言った……」

「青鞍さん」

 雅季がきっと睨むと、青鞍は慌てて書類仕事に戻った。 

「じゃあ、休憩行って来ます」

 雅季は、久賀と並んで歩きながら、今度の引越しは青鞍に是非活躍してもらおうと心に決めた。 

 

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