第14話


 田舎の県道などどこも同じで、寂しいものだ。

 道路の片側は切り立った崖になっていて、落石防止のネットがその表面を覆っている。崖の上に鬱蒼と茂る木々に、陽の光が遮られて辺りは薄暗い。

 その道沿いに、一件の廃業してかなり経つ問題のガソリンスタンドはあった。

 町の中心部からそう遠くはないが、人気はほとんどない。隣は自動車修理工場のようだが、シャッターが下りている。

 そこから少し——100メートルほど、離れた場所に三階建てのアパートがあるが、二階のベランダに「入居者募集」という不動産会社の看板が掛かっていた。

 それ以外は畑、ビニールハウスの連立する光景が広がっている。

 ガススタンドに至っては、ひび割れたコンクリートの地面から雑草が伸び放題だ。山から涼しい風が時折吹いてくるのが、せめてもの救いだった。

 ガソリンスタンドをぐるりと囲む、錆びた鎖の手前で雅季は車を停め、車を降りた。香村も後に続く。

 中央には給油タンクが二基ずつ平行に並んでいる。事務所がその向こうで、隣は洗車場だ。事務所は入り口のガラス扉が破られ、残ったガラスにヒビが入っていた。鍵は開けられている。中をのぞいてみると、空のカラーボックスが倒れ、パイプ椅子が二脚見えた。埃に覆われた床にはゴミや空き缶が散乱している。

 土埃で真っ白になった窓ガラスでは、いくら道路側に面していても外から中の様子を見るのは困難だ。人目を忍んで何かをするには格好の場所だった。

「廃業してどれくらい経つのか、調べればわかると思いますが、この様子だと半年以上は経っているかと」

「地方で廃業するスタンドが問題になってるというのは、本当なんだな。地方こそ車が必要なのに」

「そうなんです。理由はいろいろあると思いますが、減っているのは事実です」

「改正消防法もあったしな。何十年か経過した古いタンクを新しくしろって言っても、工事に何千万円もかかるらしいし、それで廃業に追い込まれてるのだろう」

 そう言いながら、香村は先に事務所内に入った。雅季は一応ペンライトを灯したが、埃で白い床の上には無数の足跡と、ここでもゴミやタバコの吸殻が散乱しているだけだ。一見して真新しいものはなさそうだった。

 外に出て、荒れ放題の敷地内も一巡してみたが、枯れ枝や木の葉以外に何も見つからなかった。

 とりあえず一番近くのアパートを当たってみたが、ここでも有力なものは掴めなかった。

 時折車が止まっているのを見かけたという話も出たが、ではいつ何時かと突っ込むと、あやふやな答えしか帰ってこない。

 二人は一旦車に戻り、誰か他に須田仁美のように援交目的でここにくる少女、または客を待つことにした。ここは穴場といったら穴場のようでもある。

 望み薄だが、万が一ということもあるし、今はそれに賭けるしかない。

「この辺りの住民はこの場所を黙認ってことだったんでしょうか。誰かしらこのスタンドを利用していることは知っていたと思いますけど」

 雅季は、助手席でタブレットを片手に、ペットボトルの茶を飲んでいる香村に話しかけた。

「まあ、たとえ誰かをここで見かけたとして、注意して逆ギレされて被害被るのも馬鹿らしいと思うんじゃないか。どんなやつかわからないしな。だいたい、こんなところに来るなんて、怪しいやつに決まってるんだから。チンピラだったらそれこそハズレだ」

「それはハズレというかアタリというか……」

 思わず突っ込み、しまったと思ったが、遅かった。香村はぱっと雅季に向き、すぐにククッと喉を鳴らした。

「面白いね、篠塚刑事は。さすが始関係長のお気に入りなだけあるな」

「そ、そんなことないです」

 慌ててペットボトルの水を飲む。

「あるよ。私が君と組むと言ったら、一瞬彼から殺気を感じた。よそ者がしゃしゃり出るが嫌なのかと思ったが」

「まさか……」

「いや、これでも捜一だからね、それくらい読める」

「えっと……須田仁美がここにきたとしたら、どうやって来たんでしょう」

 雅季は、無理矢理話題を変えた。

「そうだな、歩けなくはなさそうだが、結構な距離になるかもしれないな。相手の車に乗ってきたか……。この手前にバス停があったが、バスの運転手の目撃情報もないんだろう?」

「ええ、ありません」

 香村は「ふん」と鼻を鳴らして再びタブレットに戻ってしまった。雅季も青鞍とショートメールを二、三交わしたが、あちらも収穫なしだった。

 三十分の間に車が二台通り過ぎ、つい数分前に農作業帰りとみられる、首にタオルを巻き、長靴をはいた男が50CCバイクで通り過ぎて行った。

「平日の昼間なんて誰もこないよな」

 参ったな、と香村は呟き、長いため息をついた。

 普段は本庁で多忙きわまりない捜査一課長にとって、こんな地味で極まりない捜査は退屈で仕方がないのだろう。

 雅季は同情しつつ、香村が選択を間違ったことを内心ほくそ笑んでいた。

 雅季だって、同僚とならここまで気を遣う必要はないのだ。始終気を張り詰めているこちらの身にもなって欲しい。

 もし、久賀が隣にいたら何を話していただろうか。自分の過去について、だろうか。いや、犯人のプロファイリングになりそうな気がする。

(私は久賀さんを、私の過去に縛り付けているのだろうか)

 久賀の、自分を慕う気持ちを知りながらも「同情はいらない」と突き放せないのは、守られるという心地よさに気がついてしまったからだ。

 彼のそばにいると、守られ、強くなる自分に気がつく。

(私は、久賀さんが好き)

 だからこそ、こうして一人でいる時も強くなりたい。

 雅季は携帯電話をスーツのポケットにしまうと、ハンドルに手をかけてフロントガラス越しにガソリンスタンドを見続けた。

 仁美はここにいる間、どんな気持ちでいたのだろう。何が彼女をここに来させたのだろう。

 仁美のような子たちの誘いに乗るのは、ごく普通の社会人だったりする。金はそこそこあっても、異性とは縁がない。恋愛ごっこに金を出す。

 隣の香村も属している場所こそ警察だが、スーツ姿のそれは一見して企業人だ。香村と、少女を買うような彼らの違いはなんだろう。

 過去に性被害にあった雅季にとって、今まで男は敵か味方か、——概ね前者だが、その二択しかなかった。しかし、そんな判断は意味がないこともわかっている。人間は一瞬で豹変する。味方だと思っていたものが、いきなり襲いかかってくる。

 仁美は、逃げられなかった。監禁され、暴力を受けて気を失う。目が覚めても悪夢は覚めなかった。そして、何日も苦しんだ挙句、とうとう目覚めることはなかった……。

 右のこめかみがずきりと重く痛む。

 雅季は体をひねってリアシートの自分のバッグをとり、鎮痛剤を出して水と一緒に飲み下した。

 香村が興味を引いたようだ。

「頭痛?」

 雅季はもう一口水を飲み、「そうです」と頷いた。

「大丈夫か? 顔色悪いぞ。辛いよな。私も偏頭痛持ちだ。検事部長と話していても頭が痛くなる」

 それは雅季も同じだった。偏頭痛持ちでなくても、新楽と対峙すれば、そうなるだろう。

「私への同情ですか?」

 新楽の、雅季への風当たりの強さは検察の警察組織への嫌悪にしても露骨すぎだ。香村は訝しげに目を細め、すぐにため息をついた。

「同情というか、私と君は同じ陣営にいる。そういうことだ。一刻も早く犯人を検挙する。その目的は同じで、我々の仕事だ。君が何にこだわっているのかはわからんが、それを受け入れてもらえないとチームとして機能しないし、捜査は進展しない」

 正論だ。しかし、胸中ではまだ同意しかねていた。なぜかわからないが、香村の存在自体に神経を逆撫でされるような感じがするのだ。

 香村が何と言おうと、階級の壁はそう簡単に崩せるものではない。

「もし、そこまでおっしゃるなら私の質問に答えていただけますか」

「質問? どうぞ」

 まるでクイズにでも答えるような期待顔で、声も心なしか明るい。

「この事件と過去の事件を結びつけた決め手は何だったのでしょう。共通点も顕著だったかもしれませんが、偶然ということは考えなかったのですか」

 香村はその問いに艶然と笑んだ。

「単純なことだ。君も言っていたが、共通点がありすぎる。偶然と考える方が無理がある。それだけだ」

「では、まだ殺人が起こる可能性も強いと」

「実はそうだ」

 なるほど、自分の勘は外れていなかったらしい。

 ——連続殺人犯。雅季の目の奥がズキンと重く痛む。

「今後、合同捜査になるということは……」

「今のところそれはない。色々と事情があるし、そこは私が状況を見て判断する。ただ、本部との連絡は私が密に取るので心配は無用だ」

「下は知らなくていい事情、ですか」

 香村は口角を上げたが、目は笑っていなかった。

「全てを知ればいいというものではない。逆に捜査を混乱させることもある」

「では、私が一課長の同志として知るべき情報を教えてください。会議では発表されていない、まだ重要な何かがありますよね?」

 一課長が自ら捜査に乗り込むほどのものが。

「やはり始関が買うだけのことはある。なかなかしつこい……失礼、根性があるな」

 それには雅季は応えず、じっと香村を見据えた。

「私は個人的にはまだ、これは東鳴海署われわれの事件だと思っています」

 香村は手にしていたタブレットを一旦膝の上に置くと、思案するように腕を組み、俯いた。たちまち重い沈黙が車内に満ちる。その間、雅季には時間が止まってしまったかのように思えた。

 やがて香村は顔を上げ、雅季に向いた。その鋭い眼光に雅季は胸騒ぎを覚えた。

「これは極秘だ」

 押し殺すような声音と依然鋭い視線に、雅季の肌は粟立った。ほんの一瞬、前言撤回しようかと思う。聞かない方がいいのではとぎる。

「下には聞かせなくていいというやつですね。それはわかりました。無理にとは言いません」

 嫌な予感を払拭しようと本能が働いたのか、思わず逃げ腰になってしまった。もしかしたら、本当に聞かない方がいいのかもしれない。

 だが、香村は雅季から視線を外さず、話し始めた。

「なぜ私一人がここに送り込まれたか。なぜマスコミへの箝口令が完璧に守られているのか。確かに、話せば君はもっと協力的にならざるを得ないだろう」

「そちらが手柄を横取りするとか、そういうレベルじゃなさそうですね」

 そんな言い方をされては、さらに躊躇してしまう。

 雅季は余計な皮肉で時間稼ぎをしていた。もしかしたら香村の気が変わるのではないかと。

「そうだ。もしかすると話しても君は信じないかもしれない」

「それで、教えていただけるんですか?」

 さすがに、好奇心がぐっと頭をもたげた。

「君を信じていいんだな」

 思わず雅季は笑んだ。

「それは一課長が決めてください」

 そうだな、と香村は小さく顎を引いた。

「我々はすでにホシを知っている」

 雅季の顔が強張る。治りかけていた頭痛がずきずきと再びぶり返してきた。

 想像を遥かに超える告白。雅季は混乱した。

「それはどういう……」

 頭の中で今までの情報や様々な言葉が交錯し、二の句が継げない雅季に、香村はゆっくりと繰り返した。

「犯人が誰か、わかっている」

「な、何者ですか」

 声がかすれていた。

「そこだ。そこが問題だ。絶対に口外するな」

 再び強い目で見つめられ、雅季はしっかり頷いた。

「犯人は、とある国会議員の甥だ。だから我々も、特に上は我々以上に慎重にならざるを得ない。誰がどこでどう身柄を確保するか、最初に報告するのはどの人物か、どうやって押送するか。本部ではすでにその手配は整っている。その上で捜査を進めている。それは限られた人間だけがわかっていればいい。下手に広げると漏れるリスクが高くなるからだ。だが君たちは何も知らない。知らせる必要もない。だが……」

「万が一、下手に検挙されては困る。だから香村一課長が監視しに来た。そういうことですね。ここぞというタイミングで本庁の先鋭たちが乗り込んでくるというシナリオですか」

 香村は無言だったが、それが全てを肯定していた。

 

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