第12話


 鳴海東署、女子高校生暴行殺人事件捜査本部。

講堂の前方には管理官である鳴海東署署長、監督の副署長と始関、そして今「特別捜査官」として紹介されたばかりの警視庁捜査一課長の香村が並び、さらにその隣に久賀の上司である新楽が座っていた。

 久賀は、目立たないように一番後ろの空席に座った。

 真ん中辺り、通路側に青鞍と一緒に座っている雅季が久賀の方へ心配そうな顔を向けた。久賀は小さく頷き、騒然とする周りの様子に目をやった。

 署長や副署長を始め、講堂の捜査員たちからは、この異様な組み合わせに戸惑いを隠しきれない様子だ。

 無理もない。検察の早まった逮捕——つまり誤認逮捕、という失態を背負いつつ、指揮した本人が、この場にのこのこ出て来るとは並の精神の持ち主ではない。

 ある意味あっぱれだ。

 ただ、いつもと変わらず、平然と座っているのは始関くらいか。

 この男は普段から飄々としており、何を考えているかわからない。いや、全てを他人事のように捉え、本当に何も考えていないのかもしれない。

 久賀は、この男が極めて優秀なのか、本物の天然なのか、未だ判断しかねていた。

 雅季の言うところには、始関の階級は警視でありながら、地方警察に籍を置いているのは、どうやら警察庁の官僚である父親との軋轢のせいということだった。

 警視庁時代の始関は、上からの指示に従わずに独自の判断を貫き、捜査を行うことが少なくなく、組織の秩序を乱す異端者として、見せしめのように島流しになったとかならないとか。

 それでも、始関がそんな仕打ちを受けてもそのポジションに大人しく収まっているのは、そもそも彼には警察官になる意思はなかったからだとも付け加えた。高校までは母親とアメリカで暮らし、その後日本に帰国、大学へ編入し、警察へ引っ張られたらしい。

 そんな始関の背景を考慮すると、彼の「キャリアらしくない」態度も久賀には妙に腑に落ちた。

 急に場がシンとし、久賀は前方に視線を戻した。香村が机上のマイクに顔を近づけた。

「この殺人の被害者が、現在、警視庁捜査二課が追っている連続殺人事件と何らかの繋がりがあると見て、今回私が特別捜査官として派遣されました」

 講堂内に香村の、低く落ち着いた声が響く。講堂は静まり返っている。久賀も息をのんだ。

 警視庁……連続殺人事件……雅季の読み通りということか。

「同一犯とすると、今回で被害者は三人目です」

 さっと久賀を振り向いた雅季の目には、驚きがありありと浮かんでいる。再び講堂がざわめいた。

「最初の殺人は去年の十一月、東京都H市」

 十ヶ月の間に、三件の殺人。

 そして犯人は今も野放しにされている。そいつが本当に警察の捜査の網の目を潜ってここまで逃げてきたというのか。

 久賀は手帳を開き、香村に注意を向け続けた。

「どの事件も被害者に共通する特徴は家出、またはマッチングアプリ、援助交際等で犯人と知り合った少女ということ。手口はSNSなどのダイレクトメールから対象を誘い出し、スタンガンのようなもので意識を失わせた後に監禁する。数日間に及ぶ暴行を加え、死体を遺棄。死因は失血死、内臓破損、ショックによる心拍停止。監禁した日数に多少の違いはあるが、それ以外に例外はない。無差別に弱者を標的にした残虐極まりない犯行。典型的な愉快犯だ」

 香村は言葉を一旦区切り、講堂を見回した。

「そして二件目は今年五月、愛知県N市……」

「それで今回の殺人……同一犯であれば、つまり、西に移動しているってことですか」

「おそらく」

 発言した捜査員に、香村は頷いた。

「犯人は西に移動しながら、殺人を繰り返している。間隔が短くなっていることから、今後も殺人が起こる可能性はかなり高い」

(なぜ犯人はここに来たんだ?)

 再び講堂がざわめく中、メモを取っていた久賀の頭に疑問が湧いた。

(全国指名手配ということか? その割には本庁の動きが遅いのでは?)

 そして、突然の捜査一課長の登場に、妙な違和感をぬぐいきれない。

「被害者に共通する特徴は、十代で社会から疎外された者。家庭にも学校にも居場所がなく、街を徘徊している。過去二件に関しては、外傷から犯人は道具は使わず、蹴る殴るなどして体罰を与えたとみられる。被害者と犯人の性交渉の事実は、今回の事件のみ認められた」

 次々と情報が開示されるにつれ、香村の声に自信が帯びるように聞こえなくもなかったが、実際、暗闇の中でやっと犯人像の輪郭がぼんやりと浮かび上がって来たのは確かだ。

「今日まで犯人のDNA以外の物的証拠は何も見つかっていない。私の話は以上だ」

 つかの間、講堂は重い沈黙で満ちた。

 捜査員は皆、与えられたばかりの情報をそれぞれ消化しているのだろう。

「質問、よろしいですか」

 挙手したのは青鞍だった。一斉に捜査員の視線が彼に集中する。

 初対面でもそうだったが、この男は若いゆえか、「物怖じ」という言葉を知らないらしい。絶対に心臓に毛が生えている。

 香村が頷くと、立ち上がった青鞍は名乗って一礼した。

「えー、本庁ではいつからこの一連の事件を同一犯として捜査されているんですか?」

「二件目からだ」

 香村は表情一つ変えず、腕を組んだまま答えた。

「では、この連続殺人事件にマスコミはもっと騒いでいると思いますが、今回の件と、過去の事件を結ぶような報道が全くされていないのはなぜでしょう」

 香村は一瞬目を細め、口を開いた。

「この件に関しては我々は絶対箝口令を敷いている。奴らには他の餌を撒き、情報統制は完璧だからだ。国民の不安を無駄に仰ぐことはない。君達も承知していると思うが、ここでも情報管理はそれぞれの責任だぞ」

 久賀は眉をひそめた。

 なるほど、つまり本庁あちらの情報は彼らが全て手中に収めて渡さない、結局全ての舵を取るのは香村ということか。

 あのマスコミがここまで何も掴んでいないとなると、こっちに内部の情報が流れてくることは、まず期待できないだろう。

 青鞍が着席した後、すかさず雅季が挙手した。

「過去三件とこの事件の関連性に気づかれた要因は、一体何だったんでしょうか」

 香村の目が、眼鏡の奥で興味深げに光ったのは気のせいか。

「我々の目も節穴ではないし、この件に関しては全力を尽くしている。今回の容疑者逮捕の報道にはさすがに驚かされましたがね」

 その言葉に新楽はぱっと顔を上げ、鋭い視線で雅季をにらんだ。だが、検察の失態に関して香村はそれ以上言及することはなかった。

 誤認逮捕は非難の的ではあるが、痛い目を見たのは検察だ。

 しかもそのおかげで真犯人が油断をし、尻尾を出すようなことがあれば警察にとってこれ以上の撒き餌はない。

「私は本部の方もあるので、こちらに常駐というわけではないが、時間の許す限り捜査に協力するつもりだ。本部との連絡は全て私を通してくれ。では、今後の捜査方針を署長から」

 速やかにバトンが渡された。署長は慌てて開いていた手帳に目を落すと、「今の一課長の情報を元に……」と前置きし、引き続き被害者の足取り、地どりを徹底して進めるよう指示したのち、解散となった。

 つまり、情報収集に徹しろということだ。

 講堂を出て行く捜査員たちを割るようにして、久賀は席を立った雅季に近づいた。反対側からは始関と香村が近づいてくる。嫌な予感がした。

 久賀が雅季に声をかけるよりも早く、「篠塚さん、ちょっといいですか」始関が机を挟んで雅季の正面に立った。上背がある始関を、雅季が仰ぐように顔を上げた。

 青鞍はすでに何かを察したのか、久賀に顔を寄せると「自分、失礼します」と耳打ちして他の刑事たちと一緒に出て行った。

 度胸もあるが、要領もいい。刑事の素質がある。

 久賀が青鞍の背中を見送ると、ちょうど出口のところに立つ新楽と目が合った。「早く来い」と言わんばかりに睨んでいるが、久賀はあえて無視して残ることにした。誤認逮捕の処理を押し付けるのならそれはそれでいいが、今は雅季優先だ。

 すると、ちょうどその時、署長と副署長に声をかけられた新楽は、さっと身を翻して行ってしまった。

 始関は久賀を困惑気味に見たが、すぐに雅季に視線を移した。

「捜査に当たっての君の相棒のことなんだけれど……」一瞬の逡巡ののち「こちらの香村一課長と組んで欲しいんだ。いや、課長直々の申し出なんだけどね」と言った。

「えっ」

 雅季と久賀は同時に声をあげた。

「一課長が現場を回る、ということですか」 

 雅季は驚きの表情を隠し得ない。そして、ちらりと助けを求めるように久賀を見る。

「君の言いたいことはわかる」

 香村が割って入った。

「特別捜査官はこの管理席で情報を分析し、指示を出すのが仕事。現場で走り回るなんてありえないーー。こんなところだろう。しかし」

 香村は眼鏡のブリッジを軽く押し上げた。

「ここに来て、実際そんな悠長なことを言っている場合ではないと感じた。これでは犯人検挙どころか、犠牲者の数がどれだけ増えるのだろうかと……、失礼。だが、本音だ」

 雅季と始関の冷ややかな視線に気がついたのか、香村は咳払いをした。

「それに、ホシについては私の方がずっと明るいだろう。今は階級が云々など、どうでもいい。警察という組織が機能しなければ意味がない。我々の目的は一つ、とにかく速やかにホシを上げることだ」

 それは間違いない。そこに検察が入っていないのも気に入らないが、その言葉に強く頷いている雅季の様子を見て、久賀の胸はざわついた。

「そういうことで、篠塚くん、私に遠慮はいらない。なに、長居をするつもりはないから」

「は、はい」

 香村に肩を軽く叩かれ、返事をしつつ雅季の目は久賀を伺ったが、久賀はそれに小さく頷く以外なかった。 

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