第11話
翌朝、久賀が普段通りに登庁すると、入り口にカメラマンや記者たちが群がっていた。これだけマスコミが騒ぐ事件が何かあっただろうか。家を出る前にチェックしたネットニュースには、特に目立った記事はなかった気がするが。
マスコミの脇をすり抜けようとする、久賀の胸のバッジを目ざとく認めた記者たちが、マイクを向けて寄って来た。
もちろん、黙って強行突破だ。しかし、無言で前進する久賀の背中に「女子高生殺人事件犯人逮捕の件で一言!」「検察の逮捕となりましたが……」と声が飛ぶと、思わず足を止めていた。
一瞬にして周りを取り囲まれ、我に返った久賀は無言で彼らを強引にかき分け、足早に新楽の執務室へ直行した。
「一体どう言うことですか! なぜ神岡を逮捕したんですか! 自白したんですか?!」
机に両手をつき、新楽に迫った。頭の後ろでは「抑えろ」と連呼しているが、剥き出しの感情はそのまま勢いに乗って口から迸る。
一方の新楽は、久賀の激情の前にすっかり白けた様子だ。それが一層、彼の神経を逆撫でした。
「なぜって、それだけの容疑があったからです。殺人の自白も時間の問題だと思いますよ」
新楽は久賀を見据えて答えた。
「容疑って……昨日の段階では、まだそれだけの……」
「あなた、それでも検察官なの」
その返しに、久賀は出かかっていた反論の言葉を飲み込んだ。ミュートにした携帯電話がスーツのポケットで震えている。
きっと、雅季だ。だが、今は出られない。久賀は机から一歩退いた。新楽は満足げに微笑した。
「昨日も言いましたが、殺人の容疑はこれから固めればいいだけです。警察を使って、徹底的に神岡が犯人となり得る証拠を集めさせてください。要はそれらを使って、彼がどうしても須田仁美を殺害しなければならなかったと言うストーリーを完結させればいいことです」
「冤罪でも、ですか」
「冤罪かどうかは、警察の仕事ぶりで決まるでしょう」
まるで、二人の話を聞いていたかのように、スマホは急に黙ってしまった。
久賀は雅季の言葉を代弁するように言った。
「真犯人は別にいます。これは検察の立派な誤認逮捕です。どうするんですか。このままではマスコミを喜ばせるだけですよ」
新楽は、これ以上は興味ないと言うように顔の前で手を振った。
「とにかく、久賀検事は捜査本部にこれからの神岡に絞った捜査方針の調整をさせてください。万が一、神岡の潔白を証明するものが出たなら、その時は臨機応変に動けばいいだけです。淫行ではどうしたってクロなんですから。それからマスコミには私が対応します」
つまり、新楽はマスコミを利用して外堀を埋めていくつもりか。神岡犯人説を匂わせるようなネタを振り、記事を書かせ、犯罪者に仕立て上げるというわけか。
再び、スマホが震えた。その瞬間、あれだけ高ぶっていた感情が一気に鎮まり、自分が今なすべきことが頭にはっきりと浮かんできた。
とにかくこうなってしまった以上、現状把握が先決だ。そして、神岡の殺人容疑を晴らすこと、真犯人を追うこと。
ここで油を売っている暇はない。久賀は勢いよく一礼した。
「取り乱してすみませんでした。早速その方向で指示します」
それだけ言うと、退室し、急いで雅季にコールバックした。だが、今度は向こうが捕まらず、ただ自動音声のアナウンスが聞こえるだけだった。
久賀は自分の部屋に寄り、事務官の柏木に断ってから鳴海東署へ向かった。
**
会議室を出た雅季は、油断すると思わず緩んでしまう頰を、顔の筋肉を駆使して引き締めた。
とは言うものの、神岡の供述以外、捜査会議では収穫と言えるようなものはなかったのだが、雅季は今得た報告に、湧き上がる優越感を感じずにいられなかった。
一矢報いるとはまさにこのことだろう。
頭にちらつく新楽の顔を払い、階段に向いながら、電源を切っていたスマホを起動させると、久賀の着信があった。すぐに掛け直すが、つながらない。
雅季は、今得たばかりの情報を早く久賀に知らせたかった。いずれにしろ新楽の面会に地検に行かねばならないし、そこで彼は捕まるだろう。
ベストなのは、新楽への報告の場に久賀が同席していることだ。
そして、警察の報告を聞いた新楽がどんな顔をするのか、雅季には想像もつかない。
しかし、初対面でプライドを少なからず傷つけられた雅季としては、逮捕を焦り、判断を誤った相手に同情の余地はなかった。
地検を訪ねた雅季は受付で面会の旨を告げると、久賀のところへは寄らずに直接新楽の執務室へ向かった。残念だったが、電車が遅延し、約束の時間が押していたので仕方がない。
ノックをし、応答の後に入室すると、デスクの向こうで険しい顔をした新楽が雅季を待っていた。もしかしたら、もう「あれ」は耳に入ったのかもしれない。自分の口から告げられなかったのは残念だ。
そう思いながら、ふと、こちらに背を向けて立つ先客が目に入る。
高級感のある黒地のピンストライプのスーツに身を包んだ長身の男はスッと背筋を伸ばし、その後ろ姿には一分の隙もない。相手は雅季に全く興味がないようで、入室しても振り向く気配は全くなかった。
「それで、私に報告とは。神岡が吐きましたか」
新楽の声に、雅季は視線を検事部長に戻した。
「既にご存知かと思いますが、神岡と須田仁美の殺害を結びつけるものは、事務所及び自宅から何も発見されませんでした。アリバイについても、彼の自宅のパソコンからマル被の死亡推定時刻と思われる時間帯には契約しているプロバイダへのアクセス履歴がありました。これで神岡の在宅していたと言う証言は一致します」
つかの間、雅季の報告の真偽を図るように思案するそぶりを見せた。
「共犯者がいないとも限りませんね。誰かがそのパソコンを使用した可能性もあるでしょう」
「パソコンからは神岡以外の指紋はありません。殺人のセンはシロです」
雅季が即否定すると、新楽は雅季をにらみ、口をきつく結んだ。
「実は、私もそれを検事部長に説明していたところです」
今まで黙って聞いていた男は、初めて振り向き、雅季と目が合うと微笑した。
歳は四十代半ばから後半だろうか。やや白髪混じりの黒髪をオールバックにまとめた、端正でシャープな面立ちは一見若い印象を与える。
しかし、メタルフレームの眼鏡の奥で笑った目元や、口元にはそれなりに皺が見えた。そして、何よりも周囲の人間を威圧するような雰囲気と、鋭い視線は、雅季に相手が只者ではないことをはっきりと語っていた。
「あの……弁護士の方ですか」
その容姿から見当をつけて雅季は言ったが、その直後、スーツの襟のバッジに目を留め、思わず息を呑んだ。
「いいえ」
彼は低い声で答え雅季に近付いた。だが雅季の視線は「S1S mpd」と彫られた赤いバッジに釘付けだった。
Search 1 Select, Metropolitan Police Department ――その意味するものは。
「警視庁捜査一課長、
雅季は我に返り、目の前に立つ男の顔を仰ぎ見た。
「鳴海東署捜査一係、篠塚雅季巡査部長です……」
「篠塚巡査ですね。初めまして」
雅季はその場に呆然と立ち尽くし、香村が差し伸べた手を無意識に握った。
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