第7話
雅季はその後、鳴海東青少年支援センターの所長と面会の約束を取り付けていた。
電話で短く事情を説明しただけだが、それでも所長は須田仁美の死には相当なショックを受けていた印象だ。
所長室内の来客用ソファに座った雅季に、電話と同じように再び「非常に残念だ」と言い、それでもこのセンターの子供達は無関係で、疑われるようなことは何もない——と主張した。
手渡されたばかりの、
神岡の年齢は六十半ばくらいだろうか。グレーのスーツを着た体は恰幅がある。しかし不健康そうには見えない。頭髪に白髪が多いが、それは綺麗に七三に分けられていた。
「そうおっしゃるお気持ちはわかりますが、それはこれから調査しないことにはなんとも言えません」
「もちろん、出来るだけ協力するつもりですが、私の方から須田さんについて捜査にお役に立てるような話は……」
「須田仁美さんは、よくこちらに出入りしていたようですが、最近の施設内の様子を伺いたいのです。特に誰と親しくしていたとか、どこか変わった様子はなかったかとか」
神岡は右手の窓の方を向いた。ブラインド越しに、フェンスに囲まれたグラウンドで小学生から中学生くらいの子供たちがバスケットボールをしているのが見える。
「私から、子供たちに話を聴くことは……?」
彼は雅季に向き直った。
「しかし、やはり思い当たることは何もないんですよ。子供たちが須田さんの事件に関係しているとは考えにくい」
神岡は一拍置いた。
「ここにいる子たちは、それでなくても少し複雑なのです。主に家庭のことですが、精神的に穏やかではない子が多い。この事件は大人の私にだって非常にショックでした。彼らに話を聞くだけと言っても、なんらかの影響があるわけで、怯える子も出てくるんじゃないでしょうか。それはやはり、酷でしょう」
その言い分も、もっともだった。
「せめて、特に仁美さんと親しかった子にお話を聞きたいのですが。お心当たりはありますか?」
「どうでしょう。私にはちょっと。直接ご自身で聞いた方がいいかもしれません。しかし、くれぐれも……」
「わかっています」
不安げに念を押す神岡に、雅季はしっかり頷いた。
二階建ての施設に隣接するバスケットコートには、六人の子供たちがいた。彼らは、所長の神岡と雅季が近づくのを見ると、ボールをパスする手を止めて好奇と不安の混じる眼を向けた。
小学校低学年から中学生くらいか。
男子も女子も混ざっている。彼らは神岡と雅季を交互に見ていたが、やがて視線は雅季に集中した。
所長がにこやかに手招きすると、慎重に近づいてくる。
少年が二人、少女が四人。一番年上らしい少女以外は、小学二、三年生と言ったところか。この歳ですでに家庭内に問題を抱えていると思うと、雅季は居た堪れない気持ちになった。
そのせいか、雅季に向けられる眼には、好奇心よりも警戒が濃く現れているのは、気のせいではないだろう。
刑事を六年やっていると、視線一つからも感情がたやすく読めてしまう。
「こちらは篠塚さんです。刑事さん」
神岡は笑顔を崩さず、穏やかに雅季を紹介した。
「実は——みんなも知ってるかな、ここにも時々来ていた須田仁美さんが、悲しいことに事故に巻き込まれて亡くなったのです。それで、篠塚さんが須田さんのことでみんなに話を聞きたいそうです」
神岡は雅季に目配せする。雅季は一人一人顔を見回した。
「初めまして。鳴海東署の篠塚です。今のお話はみんなびっくりしたと思います。もし、今までに須田さんとお話したことがあるとか、何か気がついたことがあったら、聞かせてください」
「おまわりさん?」
一番手前にいた男児が、雅季を見上げている。
「そうよ」
「じゃあ、ピストル見せて」
雅季はしゃがんで少年と目線を合わせた。
「それは、悪い人がいるところや危ないと思うところには持っていけるけど、今は危なくないから、持っていないの」
「ふうん」少年んは、つまらなさそうに唇を尖らせる。
「えっと、刑事さんは何を聞きたいの? 私、仁美ちゃんとは結構話したことあるから」
中学生の少女が言った。 雅季は立ち上がった。この子なら何か手がかりになるようなことを知っているかもしれない。
「じゃあ、仁美さんが最近ここに来たのはいつ頃か覚えている? あ、あなたは中学生?」
少女は頷くと、くるりと目を回して考える素ぶりをした。
「ええと……二ヶ月前くらいにはよく来てたかも。でも、先月はほとんど見なかったなあ」
「何を話したか、覚えてる? 最近何をしてるとか、どこに行くとか、どんな友達と遊んでいるとか、家のこととか」
「うーん、別に。その時はケータイで一緒に動画見て、帰ったから。それ以外は特に」
その時、神岡は事務所の女性に電話だと呼ばれ、雅季に目礼して戻って行った。
「他に誰か『あれ、おかしいな』とか気が付いたことある? ふさぎこんでいたとか、逆にすごく目立ったとか」
とにかく、どんな小さな情報でも拾いたかった。
だが、周りの反応は薄い。子供たちはすでに雅季に興味を失ったのか、体を揺らしたり、周りをキョロキョロ見たり、手にしたボールを回したりと、遊びに行きたそうな様子だ。
しばらく沈黙が漂っていたが、中学生らしい少年がずっと下を向いて雅季と目を合わせないことが気にかかった。
「そこの君も中学生かな? 仁美さんと話したことない?」
少年はハッとしたように顔を上げると、皆の視線を一斉に受け、困惑したように目を泳がせた。「教えてくれたら、すごく助かるんだけど」もうひと押しする。つかの間、ためらっていたが、彼はやっと口を開いた。
「なんか……、お金稼ぐとか言ってたかも」
「あ、そうだ。よくそれ言ってた。お金欲しいって」
中学生の少女が思い出したように、「うん、うん」と首を縦に振った。そこで雅季は小さい子たちを解放し、二人に話を聞くことにした。
「『高校生がお金稼ぐって、バイトくらいだろ』って言ったら、バイトにも色々あるって。男の人とお茶するだけでお小遣いもらえるとか。それパパ活じゃんて突っ込んだら、『そうとも言う』って」
雅季はそれを聞いて軽いショックを受けた。須田仁美のイメージに黒い影が忍び寄る。
「あ、私もそれ聞いた。そういうのだめだよって言ったけど。ていうか、思ってても普通隠すよね」
「具体的に何をしていたか、知ってる?」
少女はやや逡巡しているようだ。
「まずSNS経由とか、マチアプとかで連絡取り合って、それから県道沿いの潰れたガソスタで会うって」
「あなたにはそう話したのね?」
「うん。ていうか誘われた。夏休みは稼ぎどきだって。お金があれば家から出れるでしょって。でも私、まだ十四歳だし、別に、家を出ていきたいとか思ってないし」
そう言って目を伏せた。
「そっか。じゃあ、そのやりとりしていたアカウントとか……」
少女は首を横に振った。
「じゃあ、電話番号知ってる?」
再び首を振りかけた少女は、少年に向いた。
「
彼は慌てて「ううん」と口の中で言い、スニーカーのつま先に目を落としてしまった。
「もし、知っているなら教えてくれる? すごく大切なことだから。仁美さんのためにも」
彼は、きっと何か隠している。その予感があった。
涼介、と呼ばれた少年は唇を噛んで体を硬くしていた。もしかしたら、二人きりの方が話せるかもしれない。
雅季はそう思い、少女には礼を言って、解放し、改めて少年と向き合った。
「えっと、涼介くん。小さい子たちの前では言わなかったけれど、実は、仁美さんは何者かに殺されてしまったの。ごめんなさい。こんな話をしてあなたも不安にしてしまったかもしれない。でも、私たちは今も逃げている犯人をどうしても捕まえたいの。捕まえなきゃいけないの。だから、お願い。あなたの助けが必要なの。涼介くん、何か知っていること、あるんじゃない」
少年は唇を噛んでいる。
「知らない。本当に」
涼介は雅季を見上げた。睨んでいるような強い眼差し。複雑な感情を体に抑え込んでいるのだ。手の横で握られた拳からも、その様子がひしひしと伝わってくる。
これ以上は彼を追い詰めるだけかもしれない。そう思いつつ、雅季はダメ元で最後の質問をした。
「仁美さんの私物、施設に忘れていったものとかないかな」
少年が素直に頷いたのに、雅季は正直驚いた。
「見せてくれる?」
「ただの着替えだって」
「うん。それでも調べなきゃいけないから。できれば、預かりたいのだけど」
強く頷いて、涼介は建物の方へ走っていった。雅季も日陰を求めて、彼の入っていった通用口のドアの前へ移動し、そこで待った。
戻ってきた涼介が手にしていたのは、オレンジ色のデイパックだった。それを受け取り、ドア脇のエアコン室外機の上で中身を検めた。
ざっと見たところ、畳まれた衣類がいくつか入っていた。
「これだけだよ」
雅季はファスナーを閉めて、彼に頷いた。
「どうもありがとう。すごく助かった」
その時涼介は、初めてホッとした顔を見せた。
「もし、また何かあったらいつでもここに電話して。仁美さんのことじゃなくて、あなた自身のことでもいいから」
雅季が差し出した名刺を受け取り、少年は目を瞬かせる。雅季はもう一度礼を言うと、センターから引き上げた。
――あの子が、いつでも側に味方がいるとわかってくれますように。
胸中で呟くと、ふと久賀の顔が浮かんだ。
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