第6話


 雅季は児童相談所から出ると、小さくため息をついた。

 過去に須田家を担当したという職員は最初から迷惑顔で、ひっきりなしに鳴る電話のせいもあってか、不承不承という態度を隠そうともせず、雅季に対応した。

 当時、須田仁美に関して児童相談所には、マンションの下の階の住人から男の怒鳴り声や壁を叩く音が酷いという通報があり、学校からも須田仁美の腕や脚に痣があるとの連絡が入っていた。これを受け、昨年から今年の初めにかけて二度、訪問が行われていた。

 しかし、母親は職員に対して非常に非協力的で、何を尋ねても「大丈夫」の一点張りだった。一度は須田仁美本人とも話したが、特に異常を感じることはなく、それ以降は特に目立ったこともなかったため、問題なしと処理された。

 雅季は、仁美自身について大した情報は得られなかったが、家庭環境が穏やかでないという事実に、一応満足した。

 やはり須田家は、もう少し調べる必要がある。

 興味深かったのは、同職員が二、三度、街中で制服姿の須田仁美が男と一緒にいるところを目撃していることだった。毎回違う人物で、一人はスーツを着た社会人風、一人はTシャツにジャージ姿だったという。

 その場で仁美に話を聞かなかったのかと尋ねると、雅季に責められていると思ったらしく、『通報がないのにこちらが勝手に動くことはありません。そういう権限はありませんし』と憮然と答えた。

 それに、毎日のように来る通報に対応するだけでも大変で、そこまで手を回す余裕がないと最後は軽い愚痴をこぼした。

 仁美はどういう子だったのだろう。児相の職員の話を鵜呑みにすると、彼女は異性交友が派手そうだ。

その情報から、彼女がどういう人物だったか、ぼんやりとした輪郭が浮かんでくる。

 だが、先入観を持ってはいけない。

 家庭に居場所がないから、せめて心の拠り所を求めての交際だったのだろうか。

 もし、それで犯人の手に落ちるきっかけになったのなら……。

 雅季は複雑な気持ちを抱えながら、駐車場へ行き、車に乗った。

 ただ、収穫はもう一つ。

 仁美は一時的に、鳴海東青少年支援センターに出入りしていたこともわかった。児相が紹介したのだ。

 雅季は署に戻ると、すぐに青少年支援センターに電話をかけた。

 所長が不在だったため、折り返してもらうよう頼む。それまでも、まだ調べることは山ほどあった。

 続けて須田律子に電話をいれ、兄の所在を聞いた。

 ――須田敏弥すだ としや、二十一歳、フリーター。

 律子は「確かではないが」と前置きし、おそらく中央公園でスケートボードをやっているのではと言った。

 公園内にはスケートパークがあり、よく仲間と集まっているらしい。

 時刻は十五時になろうとしていた。

 日差しは高く、いくら若いとはいえ炎天下の戸外で活動しているとは考え難かったが、雅季は大手チェーンのコーヒー店で遅い昼食を簡単に済ませると、バスを使って公園に向かった。

 雅季の予想通り、公園には人はほとんどいなかった。入り口で目的のスケートパークの場所を確認し、木陰を選んで歩く。

 目的のスケートパークは、コンクリート面を四方をフェンスで囲まれており、その中に段差やスロープ、鉄柵のようなものが設置されていた。

 もちろん、そこに人影はなく、雅季は辺りをぐるりと見渡した。

 すると、目先の木陰でベンチに少年たちがたむろしているのが見えた。

 近づくと、皆それぞれにスマホを手にし、雅季には見向きもしない。少年は四人で、その中で一人だけが、地面に置いたスケボーに座っていた。それぞれがティーシャツにハーフパンツ、スニーカーといった格好だ。

 茶色に髪を染めたのが二人、一人がキャップを被り、もう一人は金髪で短髪だった。

 雅季の気配に気がついた一人が、スマホから顔を上げた。ほとんど目にかかっている前髪の隙間から雅季を確認し、すぐにスマホに顔を伏せる。

 ピンポンと絶えず軽快な音が鳴る。チャットらしい。友達が隣にいるのに。

「ケーサツの人でしょ」

 素早く返事を打ち返しながら、少年が言った。

「お母さんが電話してきたの?」

「チャット」

 息子は仁美より、親子の繋がりがあるようだ。

「じゃあ、あなたが須田敏弥くん? 私がここに来た理由もわかる?」

「あいつが殺されたんだろ?」

 まるでサッカーの勝敗を話すような口調だ。きょうだいの仲が悪いと聞いてはいたが、兄のこの反応に少なからず困惑した。

 家族の誰一人として仁美の死を心から悲しんでいないようだ。家族の誰も彼女の死を悲しまないなんて。彼女の死はこの家族にとってなんなのだろう。

「それだけ? 冷たいのね」

 敏弥は雅季を見上げ、首をかしげた。

 その顔は仁美の面影があるような、繊細な面立ちだったが、目は眠そうで、生気がない。

「今まで無事だったのが不思議」

 ひでえ敏弥、と隣の少年が薄ら笑った。

「どうしてそう思うの?」

 雅季は、母親の語った「会うたびにきょうだい大喧嘩」という言葉が誇張ではないと納得した。

「あいつ、ヤリマンで男好きだから。男にだらしねえし。おおよそ、金でトラブったんじゃね?」

 雅季の背中を冷たい汗が流れた。

「お父さんもそんなこと言ってたけど」

「あいつを知ってたら、誰だってそう思うよ、なあ」

 ——オレ黙秘、と『キャップ』が言い、残りは笑って肩を揺らす。敏弥は再びスマホに目を落とした。

 雅季は思わずそれを取り上げたい衝動に駆られたが、かろうじて抑えた。

「何か、そう思う理由があるの?」

 敏弥は大袈裟に、聞こえるようにため息をつき、スマホをハーフパンツのポケットにしまった。

「そもそも俺が知る限りで、あいつが男といないときってなかったし。一度なんか、昔行ってた塾の講師とやってたらしくて、親父が遭遇してさ、それからあいつ、部屋に鍵つけやがって。家に連れ込まなきゃいい話なのに、バカじゃねえの。まあ、ある意味『ヤリマン』はあいつにとって称号」

 敏弥キチク、とまた誰かがチャチャを入れた。

「塾の先生? 学生? 成人?」

 相手が成人なら、さらに別件だ。錠も家族を入れないため、と。雅季が手帳を取り出し書き込むと、敏弥は露骨に顔をしかめた。

「知らねえよ。なんか母親がそんなこと言ってた」

「私はそこまで詳しく、聞かなかったわ」

「普通に恥だろーよ。あの人にもさすがに体裁ってあんじゃない? カントクフキ……トドケ? フイ……なんかそんなか感じ」

「監督不行届」

「そう、それ。もうあのバカと関わりたくなかったんじゃん? 自分の娘だけど、だから余計タチ悪いよね」

 ヘラヘラ、と再び顔に笑いが広がった。

 そんなことはない。と、雅季は言いたかったが、それは本心だろうかと自身を疑う自分もいた。

 母親は娘よりも生活のことで、精一杯だったのかもしれない。貧困はそうやって心まで貧しくしてしまうのか。

 母親を語る兄の口調は家庭に無関心のように聞こえたが、一緒に暮らしてきた者だからこそ、そこに諦めのようなものがあるのかもしれない。

「でも、あなたは仁美さんのことをよくわかっているみたいね」

「『よく』ってわけじゃないけど。俺もあいつと極力関わりたくなかったし。逆に、知りたくないっつうか。底知れぬバカって言うの?」

「じゃあ、もしかして家出していた理由もわかる? どうして家出したか知ってる?」

「いや全然」

 多分、これは真実だ。

「あなたたち二人は、仲が悪かったの?」

 薄く笑っていた顔が、急に険しくなった。

「あの人、そう言うことはケーサツに言うんだ」

「聞き出すのがこちらの仕事だから。あ、それから、あなたは彼女の携帯電話の番号を知ってる?」

「だからあ、あの人の言う通り、お互い口きかねーし」

「じゃあ、犯人と思われそうな人に心当たりはある? 家に出入りしていた人の中に、なんとなく怪しそうな人がいたとか、しつこく仁美さんにつきまとっていたとか、ストーカーっぽい人がいたとか」

 これだけ話していても、両親同様、まだ確実に仁美の死に強く絡んでくるような情報が何もない。

 雅季は焦りを感じた。

「知らねって」

 明らかに疎まれている。

 しかし、雅季は食い下がった。近親者とのファーストコンタクトはかなり重要だ。人の記憶は時間が経つうちにどんどん書き換えられる。それらが色あせないうちに、なるべく多くを引き出さなくてはならない。

 無関心を装っていても、家族が死んだのだから動揺はしているはずだ。そこを突いて、聞き出せるものは全て聞き出したい。

 嘘を考える余裕を与えずに、質問を重ねる。

「じゃあ、友達とか知ってる? 連絡を取り合ってたとか、よく遊んでいた子とか」

「て言うか、刑事さんいくつ?」

「それは関係ないと思うけど」

「自分ばっかり聞いててずるくない? 二十七、八? いいじゃん、教えてよ」

「三十二です」

 雅季がため息交じりに答えると、相手は目尻を下げた。

「へー、アラサー、見えないね。じゃ、彼氏いるの? いるよね?」

 一瞬、久賀の顔が浮かんだが、慌てて頭から追い払う。

「いません」

「え、じゃあ俺どう? 俺今フリー。年下だけど、こう見えて尽くすし」

「今フリーって、お前の『今』ってどんだけ長いの。ていうか金ないじゃん、金のない男は問題外、デスヨネー」

 ドッと周りが湧いた。

「あの、話すつもりがないなら、残念だけど引き上げますね。ご協力ありがとうございました」

 雅季が踵を返しかけると、敏弥は慌てて呼び止めた。

「待って待って。話すって。もっと協力するって。けーじさんになら」

 雅季は再び少年たちに向き直った。スマホを見ていた少年たちは今は全員二人に注目している。雅季と敏弥のやり取りを楽しんでいるようだった。

 これは捜査で見世物じゃない——不満を覚えるが、相手は暇で仕方ないのだ。

「なんだっけ、友達? ……いるわけないじゃん。あいつ、やるための男以外家に連れてきたことないし、もし友達連れてきたとしても……」

「俺は全く、興味なし?」

 雅季は後を引き継いだ。

「さっき妹さんがドアに閂錠つけた、って言ったでしょう。それが壊れていたのは知ってる?」

 敏弥は束の間、無表情で雅季を見上げていたが、ニヤリと歯を見せた。

「それ、親父だと思ってる?」

「いえ、まだ何も」

「嘘だね。児相と同じ」

「親父はそんなことできねーよ。仕事クビにされてからすっかり参って弱えし、ウツだし」

 初めて彼の口から出た父親への印象。よく覚えておこう。

「じゃあ、だれ?」

「俺だって。他に誰がいるのよ」

「どうして」

 木陰といえど、だんだん暑さがこたえてくる。つい口早に質問を畳み掛けてしまう。

「金欲しくて自分のもの売ってたわけ」

 確かに、親に期待できないなら、自分で稼がなくてはならない。

 でもそれはこの兄も同じではないのか? 無職なのにスマホでゲームを一日中やって、通信費は大丈夫なのだろうか。

「そんで、あいつ売るものがなくなると、勝手に俺のもの売り始めてさ、バレないって思うとこが頭おかしいでしょ? そんで、あいつが勝手に部屋から持って行ったもん、取り返して錠もついでに壊しておいた」

「もしかして、君はキレやすいタイプ?」

「あ、好きな子には優しくするよ」

 ちげーよ、バカ。とキャップが突っ込む。

「まあ、あいつ生意気だしさ」

「暴力は?」

「それねえわ」

 まるで雅季が冗談を言ったかのように、唇を歪めた。雅季はため息をつき、彼をじっと見据えた。

「お父さんを、庇ってる?」

 一瞬の沈黙の後、相手は失笑した。

「あの負け犬を? なんで? もし刑事さんが本当にあの人が仁美に手を出してたとか、犯人だとか思ってるなら、それまじ時間の無駄だから」

「そうだといいんだけど。あなたのお父さんのためにも」

 雅季は礼を言い、今度こそ彼らに背を向けて公園を後にした。

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