追跡

 戈門はすぐに足音を追った。

 

 遠くに一瞬見えた人影は建物の影に消えた。どんな人物かは距離もあり見えたのも一瞬だったために詳しくは分からなかった。敵であるかもしれず、また護るべき領民であるかもしれなかった。


(だが人だ)


 天まで伸びる龍や、小山ほどの体躯の虎などではない。あれは二本の足で地に立つ人の影だった。


(人ならば、どうとでもなる!)


 走った。


 最早もはやこそこそしている場合ではない。太刀を履き帷子かたびらと木綿重ねの道着を着込み黒鉄三本筒くろがねさんぼんづつ毘沙門籠手びしゃもんごてで両手を締めた六尺二寸の大男が、嵐の前に吹く強い風のように駆けた。


 人影が消えた先は山肌にそって左に曲がる下り坂になっていた。左手の奥に家が一軒。右手は段々の畑が山のかなり下まで続いている。道に沿って目線を送れば、更に先で道は林に飲まれていた。

 その林の入り口で、何かが動いて見えた。


(逃すものか!)


 空はにわかにき曇り、ごろごろと雷鳴の産声が辺りに響いた。ぽつり、と額に雨粒が当たる。戈門が林の口に至る頃には、辺り一面がさあああと雨音あまおとに鳴いていた。


「待て!!!」


 薄暗い林道の、頭上の枝葉から絶えずしたたる大きな粒の秋雨あきさめに打たれながら戈門は鋭く叫んだ。三間さんけんほど先で、網笠にみのの後ろ姿がぴたり、と歩みを止めた。戈門にはそのみのに見覚えがあった。


「二つ訊く。おぬし何者だ? この村に、なんの用がある?」


 戈門の右手は太刀のつかわずかに触れて添えられ、左手は帯の背にはせた短刀を抜く位置にあった。相手が忍びならば、苦無くない手裏剣しゅりけんが飛んでくるやもしれぬ。


 相手は動かない。


 斬れるか? 女を


 ざう、と強い風が吹いた。

 網笠が雨を巻いて高く舞い上がった。


(短筒たんづつ!!)


 素早く振り向く女の手にある見たことのない道具。銃だと確信した時には既に戈門の左手は短刀を敵の喉元目掛けて投げていた。

「南無三!」

 右に一歩だけ偽歩を混ぜ左から回り込むように戈門は飛び出した。女は後ろにるようにして投擲とうてきされた短刀をかわした。

 女が体勢を戻した時、戈門の姿が消えていた。何かが雨をさえぎる。振り仰げばそれは、太刀を振り上げ斬り掛かる侍であった。女はそれを銃で狙いなおしながら跳んで退こうとした。その束ねた長い髪が重たくはずむ。稲光が辺りを白と黒だけにした。


(遅い!)


 かんっ


 林間りんかんに竹を打ったような音が響き渡った。

 戈門の渾身こんしんの一撃は、女の手にあった銃を半ばから斜めに斬り落とした。

 どおん、と雷鳴が辺りを揺らす。

 驚いた顔の女は更に二度後ろ跳ねして地面に片膝を突いた。

 太刀を立て、隠の構えで戈門が追いすがろうとしたその時。


『待て!』


 女は左の掌を広げて戈門に向けた。

 初めてまともに見る女の顔。

 美しい、と戈門は思った。


『私は、敵じゃない』


 二人の丁度真ん中に編笠が一つ、ぽちゃり、と落ちた。


 

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