芦高村

(あれか)


 翌日、朝から昼に差し掛かろうかという頃、戈門の姿は芦高山の山腹に開けた村の入り口にあった。


 近くの茂みに身を隠し、一度辺りをうかがうが、何度も修羅場をくぐった戈門の感覚にも何も引っ掛かるものはなかった。


(……静か過ぎる)


 戈門は、徳永の言う通り盗賊や山賊が村を占拠せんきょしたという線はありそうだと思っていた。大工の虎太郎は熊も疑っていたようだが、四十人からの人間を一人も下山させずに仕留める熊がいようか。


 戈門は村の入り口とおぼしき、小さな石柱の手前まで身を低くしたまま素早く移動した。


 徳永に描いて貰った見取り図によれば、石柱を過ぎると村の南半分を占める多目的の広場で、それをぐるりと囲むように家屋が並び、大まかに言えばあとは北西の坂を上がると村長が住職を兼ねる小さな寺、東の坂を下ると畑と廃坑、その間それぞれにまばらに何軒か家が建つ、といった構成だった。


 戈門は、一つの可能性を考えていた。


 それは、訓練された特殊な戦闘技能を持つ集団による村の占拠だ。四十人を瞬く間に漏らさず制圧し、屈強で腕の立つ三人を恐らく苦もなく同時にほふるような──例えば他藩、いや、「異国の忍び」──とか。


 そう、いちで見かけた梨の女。

 戈門はあの女が今回の件に絡んでいるだろうと確信していた。

 だがあの女がそこらの近隣諸藩の手の者とはどうしても思えない。見慣れぬ装備。女にしてあの身のこなし。「異国の忍び」なんてものがいるのかどうか正直戈門は知らないが、その想定は細工箱の切り欠きがまるように、ぴたりと戈門の経験と勘とにしっくり収まるのであった。


 しかし──


(何の気配もない。本当に無人だ)


 村全体から今、戈門は風下にいるが、人の営みの形跡どころか音も匂いも、一切が無である。戈門は村の中に踏み込んだ。罠や弓矢を警戒するが、それらのきざしも全くない。広場からぐるりと見渡す村の家々には大きな破壊や血の跡などもなく、不気味なほどに静まり返っている。


(はて、異国の忍びが徒党で隠れて国盗りでも画策しておるかと思ったが……)


 戈門は警戒の気配りは張ったまま、手近な家の戸に近づき、音を立てぬよう戸を引いて中を確かめた。


 がらんとした屋内は薄暗く、草鞋ぞうりは二足が三和土たたきに残されていて、奥にはすみがめくれた薄い布団が見えた。


「誰かある。助けに来た。いるならば音を出して合図いたせ」


 家内かないだけに聞こえるほどの声でそう告げてみたが、勿論もちろん誰も応えるものはなかった。


 その時、戈門の感覚が外の広場に一つの気配を捉えた。


 そして戈門の耳は、かすかだが何者かが地を踏んで歩む音の遠ざかりを確かに聴いた。

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