徳永篤之進

「やあ、お早いお着きでしたな」


 芦高山あしだかやまふもと穴海あなみの宿場町の番所では、長を勤める同心が戈門を出迎えた。

 歳の頃は戈門と変わらないだろう。胆力が目付きに滲む凛々しい男で、折り目正しい黒巻き羽織を堂々と着こなす。浅黒く焼けたその肌は、この役人がただ文机ふみづくえかじり付く事務同心ではないことを物語っていた。


奉行筆頭与力ぶぎょうひっとうよりき、沓沢頼重の命により参上つかまつった。万質平よろずただしたいらげ方、沓沢戈門と申したてまつる」

「これはご丁寧に。穴海番所、見廻組組頭みまわりぐみくみがしら、同心、徳永篤之進とくながあつのしんと申します。さ、どうぞお上がりください」

「手土産もなく無礼をしてすまぬな」

「なんの。沓沢様は遊びに来た訳ではごさらぬゆえ。こちらも、もてなしの手間がはぶけようというもの」

 徳永は心底楽しそうにカッカッカと笑った。

 戈門は会ってすぐのこの男を気に入った。


******


「かれこれもう十五日ほどにござる」


 戈門を奥座敷に招き入れ、茶菓子と熱い茶を用意させた徳永は、いきなりそう切り出した。


「お山の中腹に、芦高あしだかという村がありましてな。かつては炭鉱で栄え三百人が暮らす大きな集落でござったが、二十年ほど前に炭を掘り尽くしてから春は菜種油なたねあぶら、秋は綿実油わたみあぶらを売り物に、四十名余りが細々と暮らしてごさる」

 ふむ、と戈門は相槌あいづちを打った。

「所がある日を境にこの村から一切人いっさいひとが降りて来なくなった。十五日前は綿実油の買い付けの約束の日で、油問屋が待っておったのですが、誰も現れず何がしかのふみ言伝ことづてもないまま。また、薬と酒を売る行商ぎょうしょうが十日前に、遊行ゆぎょうの僧が七日前に村への道を上がって行ったのですが、これも帰ってこず、以来なんの音沙汰おとさたもない」

 戈門は練りあんの茶菓子を二つまとめて口に放り込んだ。

「……人喰い村か」

「村の者と親しくしていた油問屋からの陳情もあり、五日前、当番所から岡引おかひきを二人と大柄の大工とを様子見ようすみに出しました。手前は、村が大人数の盗賊にでも押し込まれているかも知れぬと思ったのです」

「ありそうな話だ」

「だから、岡引たちにはくれぐれも様子を見るだけだ、危ないようならすぐ帰って参れと言い含めておったのですが──」

「──その者たちも帰らなかった」

 徳永は苦々しげにうなずいた。

「岡引二人の内、七介ななすけという男は町人ながら義に厚く、目端めはしが効くと申しますか、ここぞという時の勝負勘に秀でておりましてな。手前も目を掛け、右腕と頼んでおったのですが……」

「そのような者が盗賊風情とうぞくふぜいにむざむざ捕まる筈がない、と?」

「同行した岡引のもう一人、与兵衛はやわらの道場の次男坊で皆伝の腕前、大工の虎太郎は身のたけ七尺の大男で自分でこさえた、これも七尺のかしの六角棒を持ち、熊でも野盗でも鍋にしてくれると息巻いて出立しゅったつして行きました」

「並大抵の盗賊なら、その三人ともを同時に捕らえて帰さぬことは確かに至難のわざだな」

しかり。その三人が二日経っても戻らぬゆえ、恥ずかしながら郡方こおりがた様に早馬を出し、沙汰さたあおぎ申した」

 郡方様とは、戈門の父、郡方奉行、沓沢頼尚のことである。

「何を恥ずかしがる事がある。よく報せてくれた。近頃の役人はお叱りを恐れ都合の悪いことを隠し揉み消すばかりだ。だがこういった小さな不都合が、引いては藩の、更にはお国の大事の先ぶれやも知れぬのだ」

「そう申して頂ければ幸いにござる」

「あい分かった。今日は着いてのその身ゆえ、明朝早くに出立し、それがしが村の様子を確かめて参ろう」

「こちらからも人を付けましょう。信が置けて腕の立つ者がおります」

「ありがたいが途中までの道案内だけでよい」

「は、しかし──」

「俺一人なら何かあっても韋駄天いだてんの足で逃げおおせるからな」

「──承知仕しょうちつかまつった。くれぐれも、御身に大事なきよう」

「時に徳永殿、この宿場町に妙な女の噂は立っておらぬか?」

「妙な女?」

 戈門はここに来る途中で出会った不思議な女について手短に説明した。

「さあ。心当たりはござらぬが、梨を買ったとなれば出入りした店は限られましょう。こちらでも調べてみまする」

「頼む」

「見慣れぬ蓑に重ね革の小手と脛巾はばきとは……どこぞの間者かんじゃでござろうか?」

「間者や隠密が、昼日中ひるひなか戦支度いくさじたくで街を歩こうか。それに小手も脛巾も白く染め抜かれていた。白装束の隠密など、酔狂の書く絵物語の中だけの空事そらごとであろう。一体何者がそんな……」

 言い掛けて、戈門は一つの可能性に思い至った。

「沓沢様?」

 だが、その可能性を徳永に打ち明けるのははばかられた。戈門は湯気の立つ茶を一息に飲み干した。

「いや。あの時に編笠を跳ね上げ、顔を拝んでおけば良かったと思ってな」

夜目遠目笠よめとおめかさの内、とも申します。笠から出せば一つ目の化け物が舌を出して笑うやもしれませぬぞ」

 徳永はそう言って、またカッカッカッと笑った。

(異国人……)

 戈門は徳永の笑い声を聴きながら、女の正体を、ほぼそうだろうと確信していた。


 きゃあああ


 甲高い女の悲鳴が響いた。

「外だ!」

 言うが早いか戈門は太刀を取って駆け出し、徳永がそれに続いた。


 裸足のまま飛び出した戈門は悲鳴の出所を探した。


 うわぁぁぁっ

 きゃ、わぁぁ


 少し離れた人混みの中で次々と悲鳴が上がり、人波が何かを避けて二つに割れてゆく。


 戈門はその中心に向けて疾駆した。


「これは‼︎」

「沓沢殿!」


 野良犬が一匹、とことこと機嫌良さそうに通りを闊歩かっぽする。


 口に、血濡れた人間の手首をくわえて。

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