沓沢戈門

 沓沢家は、慶安元年の児島藩立藩から郡方奉行こおりがたぶぎょうを代々拝命する武家である。


 現在の党首、戈門の父、頼尚よりなおは城主、池田いけだ恒元つねもとの覚えもめでたく、父に似て生真面目で実直な戈門の二人の兄は早くも役付きで父の仕事を手伝い、それぞれ嫁をとって子宝にも恵まれ、泰平の世にあって、普通に考えれば沓沢家は磐石ばんじゃく安泰あんたいであった。


 そんな家だから、三男の戈門は気楽そのものだった。


 三人兄弟の中で一人だけ、石に顔を書いたような堅物かたぶつの父に似ず、山を駆けまわる若鹿のような奔放ほんぽうな母に似て、恵まれた巨軀きょくと武の才を思うままにふるって、ある時は小作人に混じり田を起こし、ある時は兄や父の用心棒のような事をし、またある時は流れ着いてきた水軍崩れを向こうに回して切った張ったの大立ち回りで追い払い、自由気ままに過ごして来た。

 しかし、父と二人の兄はそれを良くは思わなかった。

 藩の役に立っているとはいえ、名門の武家の子息が泥だらけで農民と笑い合っていたり、風来坊のように振る舞って好き勝手に領内の揉事もめごとに首を突っ込むのはとても褒められたものではないし、担当の役人からは苦言を呈されることも度々で、一計を案じた頼尚は、奉行所内に「万質平よろずただしたいらげ方」という役を作り戈門に推し着せてその手綱を取ろうとした。

 つまり領内で起きる面倒事の状況を確認し、それを解決する役人である。


 これは戈門にとっても渡りに船であった。


 酒場や港で噂を聞いて回らずとも、戈門の元に諸々の民の陳情や厄介事の話が集まるようになったし、それなりの禄は貰えるし、事を起こす時は父や兄が現場の役人に話を通してくれるし、報告の為の書類起こしが面倒なのに目を瞑れば、願ったりかなったりの立場と言えた。


 だから長兄、頼重よりしげから芦高山あしだかやまの村落と連絡がつかないという話を聞いた戈門は、たった今、兄に手づから注がれたばかりの酒を一息に空けて立ち上がった。

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