光刃剣 邪獣斬り

木船田ヒロマル

梨の実一つ

「おっと」


 沓沢戈門くつざわかもんは自分がぶつかった女の、抱えた荷物から跳ね出た梨の実を空中で掴んだ。


「すまん。軽業師かるわざしの芸に見惚みほれ、よそ見のまま歩いておった」

「……」

 彼が梨を差し出した相手は小柄な女で、戈門かもんから見ると編笠のふちから白い顎と紅い唇だけが覗いていた。何かの革を鋭角に切って重ねた変わったみのを着込み、手には白く染めた革の手甲てっこうみのすそからすっと伸びた足もまた白い革の地下足袋じかたびのような物で覆われていた。


 差し出された手に梨を渡しながら(変わった装束しょうぞくだな)と戈門かもんは思った。


 ちらりと見えただけで細かくは分からないが、手甲てっこう足袋たびも部分的に革が厚く重ねられ金具で補強されており、ちょっとした防具になっているように見えた。鋭角に切った重ね革のみのなんて聞いたこともないが、例えばこれは並大抵の矢や斬撃であれば通すことはないだろう。

 それに女の身のこなし。

 六尺二寸(約189cm)の自分が、かなりまともにぶつかったにも関わらず女は背筋の垂直を保ったまま足のさばきで力を逃がし瞬時に体重を移動して平衡へいこうを失わず、転倒を防いでいた。その動きに抱えた荷の梨は着いて行けずに、上向きに開いたままの袋の口から戈門かもんの胸元に残されたのだ。女は袋の口に元通り受け取った梨を納めた。


(こやつ──)


 戈門かもんが無意識に腰の太刀のつかに手をやろうとした、正にその瞬間、


 わあああっっっ


 二人を囲む群衆が一斉に大きな歓声を上げた。周囲は皆同じ方向を一心に見つめていて、その視線の集中の先では高い梯子はしごの頂点で軽業師が片側の支柱に左手を突いて綺麗な片手逆立ちをきめた所だった。

 

 戈門かもんが視線を戻すと妙な女の姿は既になく、慌ててきょろきょろと探しても見える限りは賑やかな市に雑踏ざっとうがうごめいているだけで、その影すら認めることはできなかった。


(他藩の隠密おんみつか。いや、それにしては──)


 戈門かもんは少しの間、軽業の笛拍子ふえびょうしを聴きながら雑踏を見つめていたが、ふと口の端で笑うと、その日の宿を取るために歩き出した。

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