第12話「先を越した男」
「信じられない!」
「すんません……」
開店前の割烹屋“廻る天馬亭”の石の床。その上で僕は、ヴィシュタに馬乗りされながら首元、襟を掴まれて揺さぶられている。
「誰が娼婦ですって!?」
「僕言ってないです」
「ヴィシュタのケツならそう思うのも仕方がない。うん」と、オレイステスが腕を組みながらうなずく。彼はヴィシュタの後ろに回っていた。
「殺すわよオレイステス!」
僕の襟が引っ張られて立たされた。そしてヴィシュタが乱れた襟を直してくれる。
「……オレイステスに騙されただけよね?」
「騙されました。全部オレイステスです」
「嘘吐け! 娼館だって言ったらノリノリだったぞ!? この男は嘘吐いてる!」
バガンッ。
何の音か。
店内の長椅子が砕ける音で、それは筋肉を盛り上げたヴィシュタの鈍器に使われた音である。脳天をやられたオレイステスが白目を向いているが、ヴィシュタは容赦なく、従業員に裏口から外へ捨てさせていた。
ヴィシュタの前では正直でいよう……。
「はぁ……果実酒くらいだすよ。飲んでいって。奢ってあげる。あのバカのせいだけど」
ヴィシュタが箒で散乱した破片を片付けながら言ってくれた。彼女のお言葉に甘えて、出してもらった果実酒は、酒というよりは炭酸飲料のような飲みやすさだ。
黒曜石細工のグラスが空になり、途端、ヴィシュタがお代わりを注いでくれた。
「あんた、溜まってるの? ならクシュネシワルで娼館に誘ったとき断らなきゃよかったのに。変な意地張って」
「ヴィシュタ、勘違いしないで。あの時も、今も、そういうことをやろうとしたら申し訳ない気持ちになるのは変わらない」
「へぇ」
ヴィシュタが顔を寄せる。
「オレイステスが男だから『娼館』まで来たんじゃない? 女の誘いは嫌だったんでしょ」
「違うって、ヴィシュタ。でも、シュナーンを形にした頃くらいから、確かにちょっと気が楽になったような気はするかも?
「ふーん?」
ヴィシュタは訝しんでいる。
「ヴィシュタ、他人事みたいに聞いてるけど、僕の心情の変化はヴィシュタが原因だからね?」
ヴィシュタの目が丸くなる。
「ヴィシュタが2年も一緒にいてくれたから、僕自信が気がつかないところで癒されてたんだ。大魔獣との戦いで、戦わずに生き残ってしまったし。一生、後悔するだけで押し潰されそうなとき、贖罪が開けたんだ」
「……」
「感謝してる。ありがとう、ヴィシュタ」
「あんた……」
廻る天馬亭に客が来た。開店前に来たのは、先程、伸ばされて失神していたオレイステスだ。
流石は天剣十二勇士だ。
驚くべき体力だと思う。
「ヴィシュタ! ひでぇじゃないの」
「ふんッ! おあいにくさまだよ!」
サッと近かったヴィシュタが離れる。
ヴィシュタは石の裏のうじゃうじゃ這ってる虫を見る目で、オレイステスを見ていた。
そんなにお尻触られたのだろうか?
「しっかし驚いた」
と、ズケズケと同じテーブルについたオレイステスは、酒を注文するがヴィシュタに無視されていた。頭に応急手当てをした痕がある。綺麗に包帯が巻かれていた。血のついた指紋が少し残っている。オレイステスが器用さと丁寧さも持つ男らしい。
「あのヴィシュタが、カーリアから帰ってきたら男連れときた。そりゃあ驚くれもんよ。ほんの何年か前まで処女だったのに気がつかない間に女になっちゃって──」
「──ぶっ殺すわよ?」
チラリとヴィシュタが見てくる。
え? これ、僕に言われた!?
「……と、言うのは前置きで、おかえり、ヴィシュタ。そして、ようこそ、ヘイディアス、未来のヴィシュタの旦那さん! 大変だぞこの女は」
言い切る前にヴィシュタの裏拳が、オレイステスの喉に入った。叫ぶオレイステスだが声は出てこない。
「……ヘイディアスは色々頑丈だし体力あるから大丈夫だよね?」と、ヴィシュタが照れながら言う。
「いや……シュナーン程度の負担なら余裕だけど……」と、僕が言うとヴィシュタが喜ぶ。
何が嬉しいのか怖くて聞けなかった。
僕、もしかしてサンドバッグなのか?
嫌すぎるんだけど……。
「けほっ。ヴィシュタより頑丈だって? 化け物がよ……いや、だからこそ一緒にいられるんだろうな。並みの男ならヴィシュタに殺されてる」
「あんたを先に殺すわよ」
「冗談、冗談だってヴィシュタ」
「あんたが私のことを『鉄処女』だってヘイラ中の噂で広めたの忘れてないから」
「あれは俺じゃないんだって!」
ヴィシュタは、エパルタの王都ヘイラでは有名人物らしい。凄いことだ。僕も逆の意味でクシュネシワルで有名だ。工房で凄い嫌われている。出禁で発注不可能なくらいだ。泣ける。
「……」
ヴィシュタとオレイステスの痴話喧嘩みたいな会話を聞いていた。聞いているが右から左に流れていく感じで上手く処理できない。
こういう会話の経験は少ないし。
まあ僕には学友みたいな友達だとかは1人も生きていないわけなんだけど。このジョーク鉄板ネタにしようかな? ははは……。
辛い事も時間が解決する、だったか。
最初に言ったやつを絞め殺してやる。
「で?」
ヴィシュタが態度が更に大きく、ドカリと黒曜石のテーブルに足を置く。給仕さんとは思えないような鉄鋲ブーツだ。山登りでもしてるのかな?
「ヴィシュタには、このヘイディアスを借りたい。ゲリュオネス・シュナーンも一緒に。恐獣がうち側の霊山で猛威奮ってる。どうもヘカトンケイルじゃ力不足なんだ」
「ダメ。ヘイディアスはカーリアだし、シュナーンは1人じゃ飛ばせないもの」
「そうなのか?」
「えぇ、あたしとヘイディアスが一心同体になることで初めて動く特殊な子なのよ。わかったならさっさと帰って、オレイステス」
シュナーンは2人乗り前提だ。
フォースアンプがあっても僕だけでは、シュナーンの黒曜石総質量を満たすだけの魔力は無い。電池にはなるけど……。
「そうなのか? 外したなぁ」
オレイステスはガッカリする。
僕は申し訳ない気になってる。
ヴィシュタは鼻を鳴らしている。
「恐獣がどうかしたの?」
つい、余計なことを訊いてしまう。
恐獣だ。弱い大魔獣みたいなものだ。クラーケン並みとは言わないが、恐獣も怪獣も大差がない同じ意味なので少し気になる。
「……うちの部族のとこで恐獣が出ているんだが、厄介な奴で、討伐が上手くいってない。犠牲者も出てる。だから頼んだてわけ。まいるよな」と、オレイステスはため息を作る。
「他の天剣十二勇士や騎士団に頼めば?」
「ヘイディアスは純真か? 他の部族の土地なんて知ったことじゃないさ。天剣十二勇士だってそれぞれの部族から、エパルタ王家を守る為の貸し出し。連帯する証明の為の制度だしな。エパルタの命令に逆らえば口実に袋叩きされるが、部族の問題なんて利益にならないだろ?」
「そういうものなんだ。知らなかった」
「……まっ、そういうわけで良い時期に来た外人を雇おうて思ったわけだ。それがヘイディアス、お前とゲリュオネスだ」
「ヘカトンケイルの団より強いけど」
「ヘイディアスも、はっきり言ってくれるな。だがその通りだ。何より気に入ってるのは最悪、死んだとしても損失は、ヘイディアスへの前払いだけで済む」
「死んでも……」
「恐獣相手だからな」
「ヘイディアス! あんた、部族の仕事なんて外人が受けるもんじゃないて覚えておいて。平気で使い潰そうとしたり、支払い拒否もする。報酬が足りないとごねたら脅してくる自己中心主義者の集団! エパルタとは違う」
「酷いこと言うじゃないか。同じ部族じゃないか、ヴィシュタ。血を辿れば同じ系統だってのに」
「一緒にしないで、オレイステス」
「もう言わない、ヴィシュタ」
部族の話はともかくだ。
恐獣に困っている。これを助けるか助けないかという僕の視点ではシンプルな話だ。
リアー姫には暇を出されている。
カーリア王国に帰れない可能性を考えて、エパルタ王国に足掛けの縁を結ぶのも良い話な気がする。知り合いになれさえすればそのうち何かしらの役に立つかもだ。
縁てそんなもんだろ。
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