終わりの予兆③ 兄と妹

シュウは、おととい一度は捨てたグラブを見つめ、拳を握りしめる。青髪の少女は仕度を終え兄の部屋の前を通りかかろうとしていた。その際僅かに空いていた扉の隙間から立ち尽くしている兄の姿に目がとられ立ち止まった。そして昨日のことを思い返す。黒髪の少女が家にきて兄をどこかへ連れ出した。帰宅後には、今まで通りの笑顔を見せていたのだが、敗北の傷はまだ癒えていなかったのだろうかその立ち姿からは、暗い雰囲気が漂っているように見えた。

〈お兄ちゃん〉

 少女の漏れ出た心の声が届いたのかわからないが、少年はふと我に返り再度支度にとりかかる。完全に切り替えられたわけではない。ただ、くよくよしているだけでは何も始まらないのだと、あの少女が教えてくれたのだから。身支度を整えた少年は次に進むため自室の扉を開く。そこには、しゃがみこんでいる妹の姿があった。

「どうした?ヨウこんな所で。」

「うん。ちょっとね。お兄ちゃんが野球道具の前で立ち尽くしてるのを見ちゃってさ。」

「そっか。まぁ立てよ。」

シュウは、自身の頼りない背中を見て落ち込んでしまったであろう少女に手を差し出す。

「ありがとう。」

兄の表情は、笑顔だ。それに対して、なぜ私は暗い顔をしているのだろう。そんな気を紛らわせるかのように、青髪の少女は笑顔をつくる。薄暗い廊下に少量のまるで宝石のような涙が零れ落ちる。

そんな、切ない妹の表情を見て兄は微笑む。

「昨日さ、カナに言われたんだけどさ。」

少年は昨日、黒髪の少女との会話を思い返す。少女は、眼を見開きながら太陽みたいな兄の顔を見つめる。

「負けたのは確かに悔しい。ふさぎ込んでしまうのは分かる。だけど、あなたには託されたものがある、思いがある。それを、忘れては駄目。」

記憶の中の少女の顔は何かをこらえているような、それでも凛としていて美しく、それでいて熱い思いを届けてくれる。

「確かにそれは、重いものかもしれない。おろしたくなる事があるかもしれない。そんな時は、私が彼女として一緒に背負ってあげるから。って。」

「へっ、今なんて?〈カノジョ?〉」

いい話風な感じの会話から、突如聞きれられないフレーズが飛び出していた。妹のその反応は奇しくも少年が、黒髪の少女に向けた反応と同じだった。少女の思考は停止していた。

「あっ言ってなかったっけ?昨日付き合う事になったんだ。カナと。」

衝撃のカミングアウト。少年は何かを誤魔化すよう右手で後頭部を掻き、そっぽを向く。そんな兄の表情を見て少女の胸の中は、驚きという感情が怒りへと変わっていく。

「は⁈ナニ?敗戦で、沈んで落ち込んでると思ってたのに、家から急に飛び出したと思ったら付き合う事になった?意味わからない。」

妹の真っ赤な鬼のような形相に兄はたじろぐ。妹はいつにもなく目元に涙がうきでていた。

「いや、ヨウだって知ってるだろ?カナが家に来たの。」

「ええ、知ってるわよ。昨日、マーネージャーさんが家に来て貴方を、連れ出したのはね。」

ヨウは、腕を組む。そして口調は、呆れたようなそれでいて怒りを交えたようなものに変わった。

「連れ出したって、言い方・・・」

シュウの頭や脇から冷やせが滲み出ていた。

「ねぇ、あんた、昨日どこ行ってたの?」

はぁーとため息をつき、目の前のろくでなしに凍てついたような軽蔑の眼差しを向ける。

「えっとぉ。ゆうえンチ…」

「あ゛」

縮こまっていく兄の視線を覗き込むように、まるで般若とかした妹が睨つける。

心の中がぐちゃぐちゃになっている一人の女は勢いに身を任せ、デリカシーのかけらも感じられない男のネクタイを掴み身を乗り出す。

「こっちはね、敗戦に苛まれてるあんたの姿を見て、何かできるかずっと悩んでたの。それでもそっとしておいた方がいいとおもってね、ずっとこらえて、いつも通りに接っして。そんな気も知らないで、女とデートですって?それにそのあと何の報告も無しなんて。」

少女の目には、涙がにじみ出ていた。敗戦で苦しんだのは、当人だけではない。応援してくれた家族も一緒なのだと、男は再度痛感した。中でも、ヨウは一番応援してくれていた。そんな事は分かっていたはずなのに…自責の念がこみあげる。「(ゴメ…〉言葉が零れる前に痛烈な一言が最愛の妹から告げられた。

「最っ低!」

青髪の少女は、涙を拭きながら駆け出し階段を下る。少年は呆然と立ち尽くしその姿を見つめる事しかできずただ立ち尽くし、やがてしゃがみこんだ。

「なにやってんだ俺は。また」

天井を眺めながら軽く握った拳を額に乗せる。ヨウはいつも傍にいてくれた。急速に直球の速度が増した時も変化球を覚えた時も、一番喜んでくれたのは、ヨウだった。そんなヨウの姿を思い返し、そして、バシンと両手で頬を思いっきり叩く。そして、少年は再び前へ進もうとより強く決意する。

〈まずは、ヨウに謝らないとだな。〉

 シュウとヨウは兄妹である。しかし只の兄妹ではない。

 中学迄、学校も部活も同じ。互いに認めあい支えあい、相棒のような存在だった。高校に入り、兄は水泳をやめた。兄は私に水泳を続けて欲しいと言った。だが、あの女は兄と同じ部活にいる。私はそれが気に食わなかった。黒髪の女と兄が同じ部活に入っていると知ったのは私が入学してからすぐの事だった。部活動説明会で、黒髪の少女・カナと兄のシュウが並んでいるのを見た時、私は除け者にされたんだ。そう思った。今まで一緒に居て、何の相談もなく水泳を辞めて、あの女と一緒に居る。私を遠ざける為に水泳を続けるように言ったんだと思った。それ以来、あの女のことは嫌いだ。いや、それ以前から同じ部活に居た時から、兄に信頼されているあの女が苦手だった。

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