黙秘

川谷パルテノン

黙秘

 平成三一年四月三〇日。その日は全国的に雨が降り続いていた。目の前の少女は押し黙ったまま何も答えない。それでも俺は問うた。君は何故、友達を刺したのか。平成最後の日、市立の高等学校で女生徒が腹部を鋭利な刃物で突き刺される事件が発生した。被害者は放課後の体育館内にて発見され、すぐさま救急搬送されるも意識不明の重体。第一発見者の通報により、その場に居合わせた同校の生徒、唐沢からさわまどかを逮捕した。唐沢は警察が到着するまで現場から一歩も動かず、これといって抵抗もしなかった。彼女の着衣には被害者、光穂優みつほ ゆうのものと思われる血液が付着しており、その手には凶器と思しき包丁が握られていた。鑑識の結果、凶器は家庭科における実習のために本校が管理するもので、唐沢がそれを持ち出した後に光穂を刺したのは現場の状況から見ても明らかであった。

 「唐沢まどかさんですね。あなたには黙秘権があります。あなたの供述が場合によってはあなた自身の不利益に繋がることも考えられます。ですので我々の如何なる問いにおいてもあなたには答えない権利があります。申し遅れました。本件を担当することになりました。溝部真司みぞべ しんじです。よろしく」

 少女は俯いたまま何も反応しない。自身が非日常的な立場に晒されてなお動揺するといった様子もなく、つい数時間前に傷害事件を起こした人物、ましてや未成年と考えればひどく落ち着いた様子だった。

 「早速ですが君は本日の十五時、授業が終了した後、被害者である光穂優さんを体育館の中に誘い出し、家庭科準備室から持ち出した包丁で光穂さんの腹部を三度に渡って刺した。犯行後、部活動のために体育館へとやって来た他の生徒達に発見されるまでの五分間、どうして現場から立ち去らなかったのか」

 一般的には罪に問われることを恐れ、それを隠蔽或いは逃走をはかる筈である。ところが唐沢まどかはそうしなかった。とはいえすべてを認めたわけでもない。彼女は何も語らなかった。凡ゆる状況がこの事件は彼女の犯行であると物語っていた。それでも彼女が黙秘し続ける限り真相へと近づけずにいた。

 「今、警察は全力で捜査にあたっている。先ほどはああ言ったが、証拠が出揃えば君がこのまま黙っていてもいずれ真実は明るみになる。無駄に長引かせたくないんだ。話してくれないか。君と光穂優の間には何があったんだ」


 取調べ開始から二時間が経過し、結局その日のうちに唐沢が口を開くことはなかった。翌、五月一日。元号は令和と定められ、世の中は大型連休へと突入した。唐沢や被害者の通う市立西高校では事件のこともあって、その日は数名の教職員が登校しているだけで生徒は一人もいなかった。唐沢と被害者の光穂は同じ学級で、俺は二人の担任でもあった白石楓しらいし かえでから話を聞いた。

 「光穂さんはしっかり者で人あたりもよくて、こういう言い方が正しいのか分かりませんが人気者でした。生徒同士の纏まりも彼女を中心としていて、誰かの恨みをかうような子とはとても思えません」

 「唐沢さんのほうはどうでしたか」

 「彼女は光穂さんに比べると大人しくてどちらかといえば目立つほうではありませんでした。うちは比較的に問題の少ない学級でしたので、二人の間に何か諍いがあったとは私自身の目から見ても感じませんでした。確かにべたべたするような間柄ではなく、二人だけでみたいな機会はほとんどなかったように思いますが、だからといって今回みたいなことになるだなんて」

 白石を始め、他の教員からも二人の評判は概ね一致した。片や明朗活発で男女共から人気のある生徒、もう一方は特に目立った様子も見られない大人しい人物。同学級にいながら接点は乏しく、お互いがほぼ干渉し合わない対極に近い存在のようだった。性格の違いからくる、大人には見えない嫉妬のようなものが唐沢にはあったのか。ともあれ彼女自身が黙秘を貫いているためその心情は測りかねた。


 「君が第一発見者の真壁良まかべ りょうくんだね。事件当日のことをもう一度詳しく聞かせてもらえるかな」

 「僕は授業が終わってから部室に向かいました。そこで運動着に着替えて、練習前の清掃当番だったので部内の誰よりも先に体育館に着いたと思います。そこでボールなんかを運ぶために倉庫の中にいました。最初は何がなんだかわかりませんでした。ショックというか。少しずつ状況がわかってくると怖くなってきました。血まみれで倒れてる光穂の前にまどかが包丁を持って立ってて。すぐに先生を呼びに行きました。半分は逃げたかったってのもあったかも」

 「君はずっと見ていたわけかい。唐沢まどかが光穂優を刺すところを」

 「いえ。瞬間は見てません。物音がして倉庫を出た時にはもう光穂もまどかもその」

 「なるほど。それで君はすぐに助けを呼びに行った。それから先生を連れて戻ってきた時も二人は変わらずずっとそのままだったんだね」

 「そうです。まどかは別に逃げたり暴れたりする様子もなくて、先生達に言われてすぐに体育館を出たのでその後のことはわかりませんが」

 「君は二人とは仲がよかったの」

 「まあ光穂のほうは誰とでも仲良かったし生意気だなと思うところもありましたけど別にそんなことで嫌いにはならなかった。なんでこんな目にあったのか僕にもわかりません」

 「唐沢さんとは」

 「まどかとは小学校から同じところに通ってました。中学の二年くらいからは殆ど話すこともなくなりましたけど、でもあんなことするようなやつじゃないです」

 「でも結果的にはこうなってる。君自身は二人の間について何か知ってることはないかな」

 「特には。仲が悪かったとは思わないけど、これといって良かったわけでもないから。ただ」

 「ただ、なに」

 「光穂と特に親しかった連中はまどかのことを嫌ってました。いじめとまではいかないけど、何度か光穂からまどかに話しかけようとしたところを邪魔というか遠ざけようとしてるのは見たことがあります」

 「どうしてかな」

 「まどかはあんまり自分を出さないから、あいつらちょっと光穂のことを異常なくらい慕ってたのでまどかの態度が気に入らなかったんじゃないかな。光穂はそんなの気にするタイプじゃないけどそれもあって二人だけの接点って全然なかったから。あいつらが刺されたって言われたほうがまだわかる」

 「なるほどね。その子達のこともう少し教えてもらっていいかな」


 真壁良から聞いた内容で、光穂優と特に親しかったという二名に事情を聴くことにした。片谷小百合かたや さゆりについては、彼女の母親から事件のショックでとても話せる状態ではないとストップがかかった。もう一人、五十鈴千江いすず ちえの自宅を訪ねたが呼び鈴を何度鳴らしても一向に姿をあらわす気配はなかった。二度目の取調べには補佐官として弓削さんがついた。弓削さんは俺がまだ巡査の頃から面倒を見てくれた先輩で、見た目は無精髭を生やした小汚いおやじだが警察内では切れ者で知られていた。

 「担任の白石先生やクラスメートの真壁くんに話を聞いたよ。君と被害者にはほぼ接点がなかったんだね。尚更わからなくなった。君には光穂優に危害を加える理由がまるで見当たらないんだ。ただ彼女達に対してはどうだろうか。片谷小百合と五十鈴千江のことは知ってるよね。残念ながら二人からは話を聞けなかったが、どうも君は二人から嫌がらせを受けてたようだね。彼女達は光穂優と特に仲が良く、反対に君の光穂に対する態度をかなり嫌っていたようだ。もしかしたら君はそのことで二人ではなく彼女達の中心にいた光穂本人となんらかのトラブルに発展したんじゃないのか。その成り行きで彼女を刺してしまった。違うかい」

 唐沢まどかは相変わらず口を塞いだままで何も答えない。これまでに何度も被疑者を聴取してきたが、まだ未成年の少女が誰よりも忍耐強かった。あまり強引なやり方は好きじゃないが俺は作戦を変えることにした。机の上を強く叩きつけ被疑者を威圧する。すかさず弓削さんが止めに入り、今度は弓削さんが穏やかな態度で事件とは関係のない話を始める。そうやって相手の感情に揺さぶりをかけてみるのは常套手段だった。しかしどうやっても唐沢まどかは話すどころか表情一つ変えぬまま俯いていた。本人の口から真相を聞き出すのは至難の業に思えてくる。何か取っ掛かりさえ出来ればと思いつつもその日はまだ手詰まりだった。

 「弓削さん、唐沢まどかの両親はどうでした」

 「どうもこうもねえよ。娘があれなら親もあの調子で、まあ親のほうは自分の子供がしでかしたことへのショックで言葉にならないようだったが。溝部、この事件は言っても唐沢まどかの犯行なのは十中八九間違いない。証拠だってそのうち揃うだろう。本人から何も出てこなかろうがいずれ鑑別所送りになって処分が確定する。お前、何を必死になってんだ」

 「刑事なら目の前の事件を追うのは当然でしょ。弓削さんこそ焼きが回ってんじゃないすか」

 「ガキが一丁前に。俺は引き続き両親や自宅近辺をあたる。お前も学校関係者や本人の交友関係をもう少し洗ってくれ」

 「言われなくとも」


 相変わらず片谷と五十鈴への聴き込みは漕ぎ着けれずにいた。あらためて白石から学校内の様子を伺うことにする。

 「この家庭科準備室ってのは生徒も自由に出入りできるんですか」

 「いえ、普段は施錠したままになっています。担当教諭がスペアキーを管理していて、マスターキーは職員室に常備されているので生徒達が許可もなく立ち入ることは出来ません」

 「事件当日の出入りはどうでしたか」

 「記録では二年生のクラスがその日の最終授業で利用しています」

 「では三年生の唐沢まどかがここから包丁を持ち出すことは出来なかったわけですね。それ以前に、例えば犯行当日より前に備品が紛失していたなんてことはないですか」

 「毎日チェックしているわけではないですが、それでも授業前に担当教諭が不備にそなえて確認する決まりになっています。警察の方にはお伝えしましたけれど、少なくともその日、二年生のクラスが退室し終えるまでそこから包丁が持ち出されたなんてことはありませんでした」

 「だとおかしいですよね。その理屈なら唐沢が一人で凶器を獲得することはほぼ不可能だ。今見ているとおり無理にこじ開けた形跡もない。そうなってくると手引きした人物がいることになります。先生の話だと教職員の誰かがね」

 「待ってください。どうして我々が。でも」

 「でも、なんですか」

 「私の立場から軽はずみに言っていいことではないですが生徒がこっそり持ち出すことは可能です」

 「と言いますと」

 「職員室で保管している鍵は準備室のマスターキー以外にも校内の凡ゆる施設のものが揃っています。当然生徒が黙って持ち出せるわけではないですが、正当な理由さえあれば申請して許可されることがあります。例えば部活動などで利用する際は準備のために借りれてしまうということです。その際に準備室の鍵を一緒に持ち出したとしてもお恥ずかしい話ですが私たちは気づけなかったと思います」

 「その日、鍵を借りに来た生徒は」

 「何人かいますが、事件が起きるより前に借りにきたのは一人だけ。真壁くんです」


 真壁良から事情を聴くため向かっていた最中に弓削さんから一報が入る。片谷小百合の母親からの通報で、娘と昨日から連絡が取れないでいるとのことだった。嫌な予感がした。片谷小百合の捜索については弓削さんに任せて、俺は五十鈴千江の自宅に向かう。相変わらず呼び鈴は虚しく響くだけ。もう丸三日になる。連休で旅行か。だったら何故、庭にいる飼い犬はほったらかしなんだ。「後で責任はとります」俺は独り言を吐いて縁側の窓ガラスを叩き割った。そこでようやく犬が吠え出した。家の中に入ると異臭が立ち込めていた。「馬鹿野郎が」おそらく五十鈴千江の両親と思われる男性と女性が横たわっていた。「忙しいとこ悪い。すぐに応援を寄越してくれ。場所は」応援が到着するまで室内を見回ったが当の五十鈴千江本人は見当たらない。

 「弓削さん、聞こえますか。よく聞いてください。片谷小百合と五十鈴千江は今一緒に居るかもしれません。早く見つけ出さないとヤバいです。おそらく二人ともかなり限界の状態かと。理由なんて後で説明しますからッ。はやく母親から向かいそうな場所を聞き出してくださいッ」


 市内中を出来る限り総動員して探し回った結果、最終的に辿り着いたのは廃業したまま手付かずになっている大型スーパーの跡地だった。俺は弓削さんと合流して現場に踏み込む。すっかり日も暮れて、廃墟の中は真っ暗だった。

 「そこにいるのか」

 「来ないでッ。近づいたら死んでやる」

 「片谷小百合と五十鈴千江だな。馬鹿な真似はよせ」

 「もう遅いよ。アタシ、お父さんもお母さんも殺しちゃった」

 「何があったんだ」

 「優ちゃんが、優ちゃんが意識戻らないって聞いて、アタシも死んじゃおうって思った」

 「どうしてそこまで」

 「お前らになんか分かるかよッ。あんたもババアとおんなじ。死のうとしてるアタシを抑えつけて。アイツらそんなことでって言った」

 「千江」

 「小百合ならわかってくれるよね。優ちゃんはアタシらの光だった。神だった。なんでも出来て、アタシにはないもの全部持ってて。それをあのクソ女が、まどかが全部壊したッ。殺してやりたいのにッ。あんた警察でしょ。連れてこいよ。あのクソ野郎ここに引き摺り出せよッ」

 「君らのやってることは間違ってる。光穂優はまだ死んでない。それなのに君達は諦めるのか」

 「ねえ、千江。もうやめよ。刑事さんの言うとおりだよ。優ちゃんだって頑張ってるだから」

 「やめろッッ」

 「小百合まで裏切るんだ。あーあ、もう誰も居なくなっちゃった」

 俺はすぐさま五十鈴千江を取り押さえた。片谷小百合の腹部には鋏が突き刺さっていた。しかしながらまだなんとか意識を保っているようだった。弓削さんと警官隊で彼女を搬送した後、俺は五十鈴千江を取り調べることになった。彼女は真壁が言ったように狂気的なまでに光穂優に心酔しており両親殺害についても全ては光穂優への信服からくる歪みであったことが窺えた。五十鈴の情緒は不安定で、聴取の最中に自らが犯した行いへの懺悔なのか誰にともなく「ごめんなさい」と繰り返した。


 「君はあの日、本当は唐沢まどかが体育館に来ることを知ってたんじゃないのか」

 真壁良は落ち着いた顔つきでこちらを見ていた。

 「知るわけないじゃないですか。僕はただ部活であそこに居ただけです」

 「君はその部活動のために体育館の鍵を職員室へと借りに言った。その際、家庭科準備室の鍵を一緒に持ち出して誰でも出入りできる状況を作った。唐沢まどかに凶器である包丁を手に入れさせるために」

 「警察ってそんなふうに憶測で決めつけていいんですか。だいたいなぜ僕がまどかのためにそんなことを」

 「それがわからないから聞いている」

 「お笑いですね。話にならない。僕はやってません。あなたとは話したくない。黙秘します」

 「黙秘か。だけどね唐沢まどかは最初から君みたいに話してくれなかったよ。君のおかげで片谷小百合は一命を取り留めた。君がさもこうなると知っていたかのように俺たちは誘導されていたのかもしれない。唐沢まどかが君みたいに喋ってくれたならこんなに苦労はしないのにな」

 「何がいいたい」

 「これが各施設の鍵の貸出記録だ。唐沢まどかが犯行に及ぶまでの時間、家庭科準備室を経由し包丁を獲得するためにそこを解錠できたのは君だけだと物語っている」

 「それだけで。鍵をこの時間までに借りにきたのが僕だけだから。でもそれは生徒の仕業ならってことですよね。じゃあ先生達はどうなんですか。僕が持ち出せるくらいに杜撰な管理なら先生達はもっと楽にやれたはずですよ。どうせ僕がやったんじゃないかって言い出したのも白石先生なんでしょ」

 「何故そう思う」

 「図星みたいですね。じゃあ言いますよ。僕は体育館に向かう途中で見たんですよ。白石先生が家庭科準備室の前で鍵を持っているのを。その時は戸締りでもしてたのかと気にしませんでしたが。それに挨拶もしましたよ。嘘だと思うなら本人に聞いてみてください」

 「仮にそうだとして認めると思うのか」

 「白石先生は生徒の味方ですから」


 真壁良の異様なまでの自信が腑に落ちなかったものの、それは彼の言うとおりになった。白石楓は事件当日、職員室からマスターキーを持ち出し、自らが準備室を解錠したことをあっさり自白した。

 「どうして唐沢まどかに協力を」

 「私は唐沢さんに協力したわけじゃありません」

 「ならなぜ」

 「私は過ちを犯しました。教育者としてあるまじき」

 「それはどういう意味ですか」

 「私は 私はかつて生徒の保護者と不倫関係にありました。そのことで脅迫を受けていました」

 「誰から」

 「わかりません。差出人不明のメールが届いて、当時関係のあった男性と撮った写真が添付されていました」

 「それで」

 「嫌がらせだと思いました。でも写真がある以上従うしかありませんでした。それに相手の要求は四月三〇日の、事件があった日に家庭科準備室を開けておけとそれだけだったので。でもまさかあんなことになるなんて、私は 思いも しなくて」

 「どうして今になって告白する気になられたんですか。貴女が自らを悔いているなら何故最初の時点でそれを警察に相談しなかったんですか」

 「私が 弱かったからです 私が光穂さんの代わりになればよかった 申し 訳  ありません」

 差出人不明のメッセージを用いて白石に自供を促したのは真壁だった。

真壁良はただ償ってほしかっただけだと言った。白石楓があの日、鍵を開けていなければ唐沢まどかが罪を犯すことはなかったのだと。彼は唐沢まどかに好意を持っていた。鍵を持って準備室の前にいた白石にもっと注意していればと自らを責め続けていたという。では何故そもそも白石を脅迫して鍵を開けさせたのかと問えば、そのことについては自分の仕業ではないと言った。事件の日から一日が経った日、真壁の元にも差出人不明のメッセージが届いた。そこには白石の過去について記されていたという。その証言どおり真壁のアドレスにはその時のメールが残されていたが差出人を特定するには至らなかった。


 唐沢まどかの少年鑑別所送致が決まった。事件発生から六日が経過した五月五日。俺にとってはその日が彼女と話す最後の機会になった。聴取が始まっても俺はしばらく言葉を出せずにいた。これまで何一つ語らなかった少女に対してどう話せばいいのかがわからなかった。だからといってもう時間は戻せないのである。何故こうなってしまったのかとどれだけ悔やんでも。

 「光穂優が先程亡くなった。よって君は今から殺人事件の被疑者となる。これがどういう意味だかわかるかい」

 それでも口を開かない唐沢まどかを前にすると自分でも説明が出来ない感情がある。

 

 「ごめん  優」


 ようやく出た言葉は全てが遅すぎたのかもしれない。それでもそれまで溜め込んできたものが堰を切ったようにあふれだすのを俺は黙って聞いた。

 「殺すつもりなんてなかった 優は この学校に入ってはじめて出来た友達だった 本当はわたしなんかと仲良くなんてしなくていいのにずっと優しくて わたしにはもったいない友達だった でもいつからだろう 優のことが眩しければ眩しいほど わたしには陰が差していった このままじゃダメだと思った だからわたしは優から離れようとした なのにあの子はどこまでも追いかけてきた 朝がきたら日が昇るみたいに わたしはその度に自分が焼かれてしまうみたいな気持ちになって逃げなきゃってばかりで でも三年になって同じクラスになって 近くにいれることを優は喜んでたけど わたしは上手くやれなくて もうこれ以上 優みたいになりたいって 思いたくなかった あの日は偶然が重なって わたしはいつの間にか包丁を手にしてて 体育館にわたしと優がいて 刺したつもりなんてなかった でもわたしには優の血がべったりついてて 倒れる前に優が耳元で言ったんだ まどか、頑張れ って ごめんなさい ごめん 優」


 俺は署の屋上に上がって空を見上げていた。久しぶりに日差しを感じた気がした。弓削さんに「お疲れさん」と声をかけられ、缶コーヒーをもらう。


 「どう思う」

 「どうもこうもないですよ。俺にはわかりません。わからないことだらけです。唐沢まどかがデタラメを言ってるようには見えなかった。真壁や白石にメールを送ったのは誰なのか。どうして唐沢まどかが逃れられないほどの殺意を抱いてしまったのか。結局何もわからなかった」


 どこまでいっても誰かの光でしかなかった光穂優という少女。君はいったい何者だったんだ。その答えが語られることはもうない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黙秘 川谷パルテノン @pefnk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ