図書室の少女

@Taichi1113

第1話

「ちょっと相談があるんだけど……」

部室に入るや否や、開口一番で彼女、古月麻乃こげつあさのはそう言った。


この部室に来客というのはなかなか珍しい。他の部でも見学で来ることはあるだろうが俺たちのいる部活、喫茶研究部なら尚更だ。それに立地条件も来客を寄せ付けない要因を後押ししている。

部室と聞けば、普通は教室なり、美術室や家庭科室等の専用の場所を思い浮かべるかもしれない。しかしここは、学校の外……敷地内ではあるが校内の庭園エリアにそれはあった。木々が生い茂り、外観にはツル植物が伸びていて手入れは殆どされていない。暗い時間帯にここへ来ればその不気味さが大幅に増すことは想像に難くない。その建物はかつて古民家の喫茶店だったらしく、現在は不本意ながら幽霊屋敷などと学生や近所では噂されていた。取り壊し予定だったこの建物は謎の事故により度々中止になり今日までここに残されている。そんな中、俺たち喫茶研究部があれこれ理由をつけて、ここを使わせてもらっているという感じだ。


…話を戻して、そんな人を寄せ付けない立地……しかも放課後のかなり遅い方の時間帯に人が来るのは稀であって、むしろその幽霊屋敷の中にいた俺、橡秋つるばみあきと白髪の少女、白神深冬しらかみみふゆの方が驚きのあまり声を出すこともなく声の主に視線を向けた。


手入れがしっかりされたクリーム色の髪にシワひとつない整った制服は、彼女の真面目さを体現してるかのようだ。背丈は少し小さめだが、アンバランスとも見て取れる豊満な胸部は制服越しでもかなり目立ち、男子生徒の視線を釘付けにするには十分すぎるほどだ。バストの大きさが女性の身体的魅力に影響を与えているのは明らかで、実際、校内でもナンパされる事も少なくなく、それもあってか古月さん自身は、胸の大きさをコンプレックスに思ってる節がある。それでも彼女の長年の友人であるはるが目を光らせているからか、最近はかなり減ってきている方だが。


相談、と彼女は言ったが見学だとか入部希望ではなさそうだ。たいていここに来る生徒は悩み事を解消ないし解決したいがためにやって来る、或いは連行されて来る。その生徒達の抱える悩みの解消が、この部の主な部活内容だからだ。

普段は図書委員の仕事をしている古月さんだが、ここに現れたということは今日は休みなのだろうか。

「……とりあえず、コーヒーでも飲むか?」

口下手な俺は、知り合いとは言え女子生徒と会話するだけでもソワソワする。相手が綺麗な人なら尚更だ。そう言いながら俺は誤魔化すように新しいコーヒーを淹れる準備を始めた。


 ・ ・ ・


…注文通り、少し甘めに作ったカフェオレを向かいの席にいる古月さんへ手渡す。カップに一口つければ、彼女の表情が和らいでいくのが見える。

「……美味しい」

ホッと息を吐くようにそう呟く。その表情を見ればお世辞を使ってるわけでもないことが分かる。

「それなら良かった」

洗い物を片しながら俺は相槌を打つ。


古月さんがコクコクと小さな口でカフェオレを堪能するその隣では、白神さんが教科書とノートを広げ自分の分のコーヒーを飲みながら、先程からやっていた学校の課題の続きを進めているが、集中力が切れたのかその歩は遅いものとなっている。


古月さんは持っていたカップをソーサーに戻すと、誰かを探すかのようにキョロキョロと辺りを見渡す。

「そういえば他のみんなはいないの?」

洗い物を終えタオルで手の水気を拭き取りながらその疑問に応える。

「あぁ、はる夏人なつとは部活の助っ人、後輩のかすみくんは店の手伝い、だな。今は俺と白神さんだけ」

喫茶研究部の部員は現在5名なのだが、人助けを主な活動としていることもあってか、校内にいても助っ人等で留守にすることも珍しくない。運動神経抜群な陽と夏人は運動部へ行くことも多いため、殆ど部室にいるのは2〜3人程度だ。全員揃うのはもっと稀だ。


そう聞くと古月さんはハッとしたあと、少しバツが悪そうに眉をひそめる。

「……もしかしてお邪魔だったかしら。アレだったら出直すけど…」

俺と白神さんは交互に顔を見合わせる。

「んーと、別に帰る必要はないんじゃ……?」

「それに相談があってここに来たんだろ?」

俺たちの引き留めに古月さんは一瞬出遅れ、唖然とした、或いは呆れるような顔をし、軽くため息をつく。

「………そうね。じゃあ、お言葉に甘えて」

何かを諦めたかのように古月さんはそう言って、カップの残りを飲み干すと「ごちそうさま」とお礼を言い立ち上がる。


「ちょっとだけ着いてきてくれない?」


 ・ ・ ・


俺たちは、古月さんに案内されるがまま着いていく。一度外へ出て下駄箱で上履きに履き替え廊下を歩き階段を上り、着いたそこは学校の図書室だった。時刻は18時を回っており中にいる生徒の数も疎らで人の気配は殆どない。

音を立てないよう静かに引き戸を開ける。


「それで相談って何なんだ?こっちで話すって言ったから来てみたわけだけど…」

「あれよ」

と声量を僅かに抑えた古月さんがある方向を指差す。


彼女が指差す先には本棚がある。俺の胸の位置くらいの高さほどで、入り口から見て最初に目に付く場所にそれはある。本棚自体には特に違和感は感じない。違いがあるとすれば少し小さめなくらいなのと、ポップで【図書委員オススメ本!】と記されており、そこには実際にお勧めなのだろう本達が表紙が見える形で陳列されている。主に小説が多い傾向にあるように見える。そこへ白神さんが子どものような軽い足取りで近付きひとしきり確認したあと、

「ん〜……見たところ普通の本棚ですが?」

目をパチクリさせながら俺と同じ見解を示す。

本棚もそこにずらりと並ぶ本にも、何か作為的な所は無さそうに思えるが。


「相談したいのはこれ。私たち図書委員の推薦図書なのに、殆ど貸し出されていないの」

そう言われて改めて見返せば、確かにこのコーナーの本棚には本が綺麗に置いてあるままだ。それこそ空いている箇所が無いくらいに。

「…えっと、つまり、ここに来る人達にお勧めの本を読んでもらいたいって事ですか?」

「…まぁ、そうね」

せっかくここに置いてるんだもん、と小さな声で付け加える。その声色は何処かふてくされたように感じる。心なしか、子どもみたいにムスッと頬を膨らませてるようにも見える。


その気持ちは分からないこともない。自分の自慢のオススメだと本なりアニメなり映画なりを紹介して、結局誰にも注目されないというのは哀しい。「後で観るわー」とか「時間あったら観とくね」などは当てにならない。LTライントークで遊びに誘った時『行けたら行くわ』並に信用できないし逆に向かっ腹が立つ。

とはいえ、無理強いさせて読ませたいわけでもないだろうから、その辺の塩梅は難しい。彼女の相談は「読んでもらいたい」のであって「読ませたい」のとは違うのだと思う。一応確認のために敢えてその辺りの線引きを探る。

「別に無理に読んでもらう必要はないと思うんだが、そこんとこはどうなの?」

「それは確かに橡くんの言う通りだけど、けど読んでもらわないならこのコーナーもわざわざ置いてく必要はないでしょ。けっこう場所取ってるし」

「なるほどな」


強引な手を考えれば幾つか考えがある。

例えば、古月さんと親しい朱城陽あけしろはるの力を使えば、ゴリ押しで他の生徒に読ませるのも難なくできてしまう。陽はお気に入りの女の子には甘い節がある。アイツの持つ、人を巻き込むカリスマ性を利用すれば、古月さんの願いも叶うこと間違いない。

しかしそれは禁断の果実のようなもので、そんな裏ワザには当然リスクが付いてくる。人間掌握は力技のようなところがあり、今回の場合を例にすれば、集団をある明確な目標に誘導している。強制力に頼ったやり方は人を動かせても心までは動かせない。心まで支配されまいと反発する。そうなれば終わりだ。

学校の勉強は嫌でも、好きなゲームの攻略に熱中できてしまうのは、当事者が強制されてるように感じてるか、そうでないかの違いだ。今回の相談はその線で事を進めなくてはならない。


「そういえば、ここに来る生徒達は普段どんな本を借りてるんですか?」

と白神さんが質問する。

ふむ、と古月さんは柔らかそうな頬に自身のしなやかな指を添え、考える仕草をとる。

「そうね…。大体小説か授業で必要な資料かしら。最近なんかはライトノベルも借りてく人が増えてるわね」

「小説はどういうジャンルが貸し出しされます?」

「んー流石に全部は把握してないけど、王道のミステリーじゃないかしら。流行りのものとかはよく無くなるわ」

と2人の会話が次第に膨れ上がり、あれやそれやと質疑応答の応酬が繰り広げられる。気になる事は何でも探る好奇心の塊、白神さんの探索スキルがまさかこんな形で役立つとは。欲しい情報がどんどん引き出されて行く。それこそ推理小説の世界に入り込んだ気分だ。存外悪くない。

とはいえ、これ以上は白神さんの性格的に話が脱線しそうなので、頃合いを見て一案を投げかけて反応を窺う。

「……それこそ、お勧めというか、流行りの本とか置けばある意味で解決はすると思うけど?」

「それだとお勧め図書、というより今話題の本のコーナーになっちゃうわ。あっちの本棚にそのコーナーあるし」

と奥の方を見れば、確かにそれらしきコーナーがあるのが分かる。訊いた限りでは流行りの本はよく借りられていくらしいので、おそらく多少死角になる場所に話題の本のコーナーを作っても問題はないのだろう。


「…あれ?秋さんも普段ここを利用してるんですよね?今までこのコーナーとかあっちの話題の図書コーナーとかに気付かなかったんですか?」

「んーまぁ、俺がよく読む本って小説じゃないからな…」

目立つ場所には実用書や学術書などは殆ど置いていない。それこそ読みやすく学生でも使いやすい勉強法以外は。となると必然的に奥の方にあるのは間違いない。


「ほんと、橡くんて読書の趣味は私と同じなのにジャンルだけは違うよね–––––あ、ちょっと待ってて」

と古月さんは何かに気付くと足早に駆け出す。

何事かと見てみればどうやら本を借りようと人気ひとけのない受付カウンターでウロウロしている男子生徒がいた。本を借りたいのに受付ができないのでは困るのも当然だ。そこへ古月さんが「ごめんなさい」と胸の前で両手を合わせながらカウンターへと滑り込み、慣れた手つきで貸し出しの手続きを進める。

一方で男子生徒の方はというと、古月さんを見るや否や何やらぎこちない動きで本を差し出す。片足をぷらぷらさせ視線の動きも忙しなく落ち着かない様子だ。


(てか古月さん、ここの仕事あるのに抜け出してわざわざこっちの部室まで来たのか…)

なんだったらコーヒーもご馳走になってたし、案外、暇だったりするのだろうか。規律とか時間とか、そういうのはきっちり守る性分だと思ってたから少し意外だ。まぁ20分くらいしか経ってないし、この人気ひとけの無さだし対して問題ないのかもしれない。もしくは、この相談も仕事のうちと割り切っているのか、そんなとこだろう。


「お待たせ。まさかこんな時間に貸し出しする人がいると思わなくて」

小走りでこちらへ駆け出せば彼女の豊満な胸が揺れる。俺は思わず目を背けるがそれを見た白神さんは逆に目が釘付けになり何やら興奮している。推測だが「おっぱい触ってもいい?」とか「何カップあるの?」とか根掘り葉掘り聞きたいのだろうが、俺がいる手前、今訊ねるのはマズイ、と白神さんの理性がそれを止めたのだろう。一転して、自分で自分の手を押さえ苦悶の表情を浮かべる。


「…で、どうかな。この相談、どうにかできそう?」

上目遣いで訊ねる古月さんに、俺は瞬間たじろぐ。

こんな状況、そこらの男子なら間違いなく恋に落ちるとこだろう。平静を装うように俺は自分の黒髪を撫でながら応える。

「あー、まぁ、やるだけやってみるよ。ちょっと思いついたこともあるし」

「そう?それじゃあ任せても良さそうだね」

ひと通り話を済ませ、窓の外を見れば一面オレンジに染まっている。外の夕陽が図書室内をだいだい色へと染め上げている。そろそろお暇しようと白神さんを探し辺りを見渡せば、例の本棚の近くで何かを探しているようだ。落ち着きなく動いている様子はまるで子犬を連想させる。

「麻乃さん。麻乃さんの一推しオススメ本ってどれですか?」

純粋な紅玉色の目を古月さんに向ける。人間、自分が好きなものに興味を向けてもらえればそれはとても嬉しいものだ。

古月さんもその純粋さに当てられ自然と笑みが綻ぶ。


「この本、すごくお気に入りなの。……もし、良かったら読んでみる?」


 ・ ・ ・


あれから1週間程が経ち、放課後、俺と白神さんは図書室へ向かう。静かに扉を開ければ受付には古月さんがいた。


経過報告を聴きに行くと古月さんは控えめながらも嬉しそうな顔をしていた。どうやら作戦は上手くいったようだ。

「ありがとう。お陰で貸し出しが増えたの。感想とか話してくれる人もいてね。今度お礼にお菓子でも持って行くわ」

「大袈裟な、たまたまだよ」

普段は表情が出にくい彼女だが、あんな嬉しそうな顔の古月さんは初めて見る。数多の男子生徒から注目を浴びるのもこの表情を見れば納得できる。


「……それにしても、私のお気に入りの本を手元に置くだけで、生徒達が借りてくれるなんて………どういう原理なのかしら?」

受付の机に置いてある、彼女のお気に入りの本であろうそれを撫でながら不思議がる。


古月さんに伝えた作戦はシンプルで簡単だ。古月さんが受付にいる時、自分のお気に入りの本を他者に見えるように手元に置いておく。可能であれば手に取って読んでくれれば尚良し、とだけ伝えた。それだけのことで、顕著に結果が出たのだから、彼女が不思議に思うのは自然なことだろう。

「あー…あれだ。単純接触効果、だよ。古月さんも名前くらいは聞いた事あるだろ?」

「えぇ、そうね。うん…」

多少無理があるかとも思ったが、適当にそれっぽい事を言えば彼女も納得してくれるだろう。丁度、本を持った生徒が受付へ来たため古月さんもそれ以上追求することはなく図書委員の仕事に戻っていった。これ以上ここにいても邪魔になるだけだろう。

「……俺たちも部室に戻るか」

「ですね」


 ・ ・ ・


「本当のところ、どうして急にお勧め図書の貸し出しが増えたんですか?」

帰り際の誰もいない校舎の廊下、ふと白神さんがそんなことを聞いてきた。さっきの理由では納得言ってないようだ。…というより、俺が誤魔化してたのを悟ったのだろう。

「んー…、あんまり褒められたやり方ではないんだけどね…」

と俺自身、言い淀んでしまう。

というより、本人にはとてもじゃないが聴かせることはできないなと思う。めちゃくちゃ怒りそうだし、なんならその光景が目に浮かぶ。

「聞かせてください。凄く興味があります」

今の白神さんの好奇心を失わせる事は不可能に近い。飽きるのは自分の成長が止まっているからだと言うが、もしそれが本当なら彼女は留まることなく童話の豆の木のように成長し続けるに違いない。

俺は「これは他言無用で」と念を押し、廊下を歩きながら図書室の貸し出しの魔法を種明かしする。


「前に俺たちが図書室に行ったときに本を借りた生徒がいたでしょ。どういう生徒が来てたかってちょっと観察してたんだけどさ––––––」

2〜3日程、昼休みや放課後、顔を出し生徒たちの動向を追うとひとつ分かったことがある。

全員ではないが、一定数の生徒が古月さん目的で来ている事に気付いた。古月さんは一部の男子生徒から人気がある生徒だ。同じ男子ゆえ、どのタイミングで視線を向けるか、話すきっかけを作り出すかと考える男子生徒の動きはある程度読める。しかし幾ら古月さん目的とはいえ彼らも露骨に接触はしづらい。図書室に来ている以上、本を読んだり勉強をするという建前は必要な筈だ。そして古月さんとの接触を図るなら受付に近付くのが無難だろう。ではどうすれば古月さんに近付き、会話のキッカケを自然に作れるだろう………。

「あ!それで推薦図書と同じ本を麻乃さんに持たせたんですね!」

白神さんの赤い瞳が無邪気な子どものように輝き、彼女の動きに合わせてスカートがふわりと揺れる。どうやら、真相に辿り着いたようだ。


つまり、俺は彼らに話すきっかけを与えたのだ。

古月さんがオススメ図書と同じ本を持っていれば、男子生徒は同じ本を借りようとする。好きな人の読む本は気になるし、読んだら読んだで感想を話すなどの会話の種にもなる。古月さんは目的を達成できるし双方にとってメリットがある。実際、広告等も美人な人を起用することも少なくない。なぜなら注目されるからだ。そんな逸材があるなら使わない手はない。3Bの法則だったか…。


不意に白神さんが俯く。…いや、白神さんは自身の胸元に視線を向けるために下を向いたのだ。

「……私も、もう少し大きければ……」

「…………」

ぼそっと独語する白神さんの声に、俺は冷や汗をかきつつも平静を装い気付かないフリをする。



–––––––そうして俺たちは軽い足取りで部室へ戻っていった。

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