第3節「肉袋は踊る」

「オルクネイ王」


 御前会議。


 積層咒式の鎧に身を包み、伝統の複合杖ではなくニホンからコピーした拳銃を腰に差す男が言う。


 ケイネス将軍が偽りのこうべを垂れる。


「半年の猶予。まさに必勝の時間でありました」と、ケイネス将軍は赤髪を揺らし、柔らかな表情のなかに今にも、犬が紐を千切り駆けだす衝動が漏れている。


 オルクネイ王。


 ケイネス将軍は、そう言う。


 ピクトランドでの分離運動の御旗。


 不満と欲を満たす為の根拠である。


「……勝てるのか。ケイネス将軍」


 ケイネス将軍は自慢気に胸を張る。


 必勝の策があらんと言わんばかりに。


「ニホン大使館が開設されたのは我らが領土オルクネイであります、我が王よ。じくじな想いに溺れながらのニホンは、ピクトランド唯一の正統な王権はオルクネイ王にあると、外交で語りました」


 事実、と、ケイネス将軍は続けた。


「オルクネイの港を通じて、ニホンのインフラはピクトランド全域へと輸出されています。その利益は莫大でオルクネイの増強の勢いは飛ぶ竜さえこ劣るほど。しかしピクトランド議会軍は、強烈な締め付けと動員を進めております」


 私は深くうなずいた。


 議会軍は、オルクネイとの決戦を決断したことは明確だ。戦争になる。議会軍はまだ、ニホンとの波風を立てないよう活動を潜めている。だが長くはない。


 時間との勝負だった。


 期限が半年という時間だった。


「我が王よ」


 小さきケイネス将軍は語る。


 もし私が今、矮小なケイネス将軍に、砦のごとき巨掌と爪を降ろせば、これは岩肌の床との間に臓腑を撒き散らしシミとなるだろうか。


 もし私が今、それをやればオルクネイの出来損なった救済民らは発狂し、駆除され、討伐され尽くし灰となり尖塔に吊るされることもないだろう。


「仔細はいらぬ。ケイネス将軍に任せよう」


 私は、私になった爪を見る。


 巫女として救済する肉塊へと変えられたそれは、ケイネス将軍らにとってはまさしく救済の神に等しいのだろう。


 ニホンがあらわれたのは奇蹟。


 であるからこその、今なのだ。


 全てのオルクネイの子ら、弾圧され、虐殺されるに足る邪教の使徒と信徒らが今こそ、独立を勝ちとらんとする。


 そして……罪人の救済を。


 人のくびきからの解放を。


 次人となる竜体の準備を。


 ケイネス将軍が面をあげる。


 すでにそれは人の顔ではない。


 蜥蜴人の奇病である。


 ケイネス将軍の配下の騎士の動揺だ。


 腐敗して崩れゆく騎士。


 醜く奇形へと、捻れた騎士。


 そして救済された竜人騎士。


 オルクネイが集めた怨嗟と、神々の呪いを一身に受け続ける末代までの罪人どもが、封じられていた土地の外を目指さんと、報復と、同じ罰を、同じ救済に震えていた。


 罪人が引っ立てられる。


 オルクネイに進入した議会軍の尖兵だな。


 尖兵は皮を、肉を削がれ、同胞へとなる。


 オルクネイの民に罪なき者どもではない。


 生存圏拡大──。


 臓腑や血肉を奪われぬ安寧。


 薬香師どもの蛮行から逃げる場所。


 新たな秩序の皮袋へ移る為の手段。


 だがどれも……興味は失せたのだ。


 腐りゆく我が体を見た。


 オルクネイ王のうごめく肉よりも、腐り、疫病の巣窟と化した肉のが遥かに多い。もしこの肉が、オルクネイを離れ。ピクトランドを……外なる大陸に出ればたちまち穢れよう。


 古い神々は、外なる者を犯すのだ。


 我らはただ朽ちゆくべし。


 であるが、受け入れられぬものも多い。


 偽られた生命だとも知らず、なぜかと問い、怨み、憎み、そして膿のごとく弾けんとする。


「もう良い。我が眼前から去られよ、各々がた。長居すればそなたらの身もまた蝕まれよう。例え白銀や黄金の血流れていようともな」


 神の血を自負する、愚かな者ども。


 ニホンからの人扱いに焼かれたか。


 我ら人なり──毒そのものである。



 オルクネイの日本大使館は大慌てだ。


 やっと安定した外交を取り付けられると思っていた矢先にの大事件!


「ピクトランドの独裁政権の暴力装置である議会軍の虐殺がすでに始まっています。ニホンの外交官の方々は安全の確保を優先していただきたい」


「それはオルクネイから脱出せよ、と?」


「そう言っています外交官殿」


 オルクネイの国境に、ピクトランドの議会軍が集結しており、全面戦争にはまだ至っていないが武力衝突による村への虐殺が頻発している、という説明を受けた。


 絶句した。


 地球ではありえない蛮行だ!


 決して許されない。


 正義に反していた。


「ケイネス将軍、なんとかならないのですか」


 俺は知己を結んでいるケイネス将軍に聞く。


 オルクネイの歴史はケイネス将軍から聞いた。忌み地として追放者や疫病の罹患者を捨てては、浄化のための虐殺が繰り返されてきた、ピクトランドの汚点と言っていいおぞましい蛮行が積み重ねられてきた土地だ。


 オルクネイへの国民感情は良い。


 日本は、オルクネイに同情した。


 だからこそ、国際支援も手厚い。


 確かに初見では面食らった姿だ。


 だがここは『異世界中世』なのだ。


 オルクネイの人々がどれほどの差別を受けてきたか想像は容易い。国境沿いの視察に同行したとき、俺の想像は真実だったと確信した。


 日本の立場としては……議会軍から虐殺されるオルクネイを助けたいが……。


「既に『我が国』は戦争状態にあります。有力な艦隊が海上封鎖をすれば、貴方は安全にニホンには帰れない」


 と、ケイネス将軍は流暢な日本語で言う。


 ケイネス将軍に日本語を教えたのは、そして教師をしたのは俺だ。個人的な付き合いもあってケイネス将軍は友人だと思っている。


 紳士的で知的。


 娘ともすぐに打ち解けた。


 信用できる男だ。


 だからこそ日本の現状が歯痒い!!


「日本は……武力による解決、つまりは戦争行為を専守防衛に限定する憲法があります。しかしケイネス将軍、私は貴方たちを見捨てて逃げろと?」


「いまだ浅学ながらニホンの置かれた複雑な環境には多少理解があるつもりです。ニホン人を戦争から逃げた卑怯者などとは私の名にかけて言わせません。安心して、ニホンへ。……それに、大切な友人をどうして戦争へ巻き込めるでしょうか」


 と、ケイネス将軍は爽やかに笑う。


 俺にはケイネス将軍がまぶしかった。


 侍と会ったならこういう男だろうか?


 目頭が熱くなるのを感じた。


 こんなかっこいい男には報いないと。


「ケイネス将軍。この私が、日本政府を説得して見せます! なあに材料が多くあるのです、日本だってオルクネイから撤退したくはない。任せてください!」


 俺は妻と娘らだけ日本へ帰した。


 俺には、俺にしかできないことがある!


 急ぎ、政府高官と情報高官だ。


 もし首相が決断できれば撤退は無くなる。


 むしろより、異世界と親密になれるのだ。


 それこそが日本の正義なのだ。


 自由と平和と平等。


 今こそ日本が動かなければ!

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