第4話

 そんなこんなで時が経つのは早いもので、あっという間に学園入学である。

 グリッドの口車に乗せられて、ゲームで進んだはずの王立女学院ではなく、ヒロインが入学し、攻略対象に対しあれやこれやと奮闘する舞台、王立高等学院の入学式にグリッドと共にやって来たアリスティアは、真新しい制服に身を包み、グリッドの傍に立っていた。

 同じ制服に身を包み、隣に立つグリッドはアリスティアの刺した刺繍のハンカチを持ち、アリスティアの瞳と同じ色の宝石の指輪を身に着けている。

 それは、入学式の前にグリッドの提案で互いに贈り合った、将来を誓う二人が婚約期間に着けると良いとされる指輪で、勿論アリスティアの指にもグリッドの瞳の色の宝石が輝いているのだが、それを見るたび、嬉しさと同時にひどく悲しい気持ちになった。

 大好きな人の、大好きな瞳の色の宝石。

 ゲームの中では決して贈り合う事のなかった誓いの証。

 本来であれば心躍る嬉しいはずのプレゼントを、全てが無になり、悲しい思い出へと変わってしまうイベントの舞台となる学園入学の前日に贈り合う事になるなど、思いもしなかったのだ。 

(今日、グリッド様はヒロインと初めて会う……シナリオ通りなら、それを表情に出すことも行動に移すこともないけれど、二人は一目で恋に落ち、惹かれ合んだわ……)

 覚悟はできていたつもりだった。

 しかし、推しであるグリッドとの甘い甘い生活に慣れてしまったアリスティアは、今日という日が来るのが恐ろしくなっていた。

(……全てはリード様の幸せの為、私はお別れしなきゃいけない……)

 その日その時までの大切な思い出を胸の奥にしまい、運命の日、仲睦まじく寄り添う二人に向かって『どうぞ幸せになってください』と言えるようになろうと決意し、意を決して周囲を見渡す。

(ヒロインはどこにいるのかしら? 入学半年前には健康になり、領地から王都に戻って母親と茶会に出、その美しさと聡明さを褒め称えられるという設定だったから、相当目立つはずなんだけど……)

 あの設定も、かなりヒロイン補正(チート)の入った物だったなぁと思う。

(……ローズマリーアン公爵令嬢。そもそもなんで恋愛乙女ゲームの癖に、庶民スタートじゃなく、貴族最高位の公爵令嬢なんだ! 最初から金あり、美貌あり、才能アリのハイスペックな主人公なんて完全チートじゃない! って思ったんだった……)

 当時のもやもやを思い出しながら、入学式の会場に入ったアリスティアは、静かに辺りを見回した。

 白雪のような肌に薔薇の唇、黄金の髪、サファイアの瞳、だった気がするが、ヒロインなだけあって顔はスチルにもパッケージにも出ていなかった。

(やっぱりわからない……でも新入生は全員名前が呼ばれるから、その時に解るわね)

 一つ、息を吐く。

(……今までの夢のような生活も、これで御終いになるのね……)

 ぎゅっと、唇を噛む。

(大丈夫、たくさん大切にしてもらったもの。リード様の全てのルートをクリアーし、そのエンディングは見たけど、ヒロインと結ばれて終わるのが一番幸せそうだったもの……そう、その後は、私にも穏やかな幸せが待ってるのだもの……大丈夫よ……)

 自分の将来を示す一枚のスチルを思いだし、ぎゅっと胸が痛くなる。

 隣に立つ人は、もちろん今隣にいる人ではない、顔も知らない誰かで。

 胸が、締め付けられるように苦しくなる。

(……解っていたはずなのに、なんでこんなに胸が痛いの?)

 手足が冷たくなるのを感じて、アリスティアはぎゅっと目を閉じた。

 と、膝の上で固く握っていた手に温かさを感じて顔を上げる。

「……アリス? 大丈夫? 気分でも悪いのか? 真っ青じゃないか」

 心から心配してくれていると解るグリッドの表情に、流さないと決めていた涙が滲みそうになる。

 手を握り、声をかけてくれたグリッドから顔を背け、俯いたアリスティアは、心を穏やかに保つためにひとつ深めに呼吸をし、それからグリッドに向かって、いつもの穏やかな笑顔を浮かべる。

「大丈夫ですわ、リード様」

 正しく、答え、笑えたと思う。

 けれど、彼の目元は少し辛そうなままだ。

「アリス、無理はしないで。手がこんなに冷たいし震えてる。保健室に行くかい?」

 切なげに、心配そうに自分を見つめる瞳。

 そんな目をされてしまえば、訪れるであろう未来が訪れるのが恐ろしくて、辛くて、寂しくて。

 あんな幸せな日々を過ごすのではなかった、指輪など交換するのではなかったと、後悔だけが押し寄せる。

 けれど、それでは目の前の人は幸せになれない。

(彼の優しさは今だけ……この後ヒロインに出会ったら、彼はヒロインのところに行ってしまう。……大丈夫、耐えられる。推しが幸せになるんだもの。今辛いのは、ただのファン心理……モブなのに幸せな時間が長すぎたせいだわ)

 ぎゅっと自分の手を包んでくれる大きくて温かい手の存在に、止めたはずの涙が再びこぼれそうになるが、それも必死にこらえて微笑む。

「いいえ、大丈夫ですわ」

「本当に?」

「えぇ。緊張しているだけです」

(本当は大丈夫じゃないわ、大好きなこの手を離したくない……)

 けれど、それを口に出す事は出来ないアリスティアは、柔らかく微笑んだ。

「ではリード様。お願いを聞いてくださいますか?」

 そういえば、彼は嬉しそうに目を細めた。

「なんだい? アリスの願いなら、ひとつと言わず、いくらでも叶えてあげるよ」

「いいえ、ひとつだけでいいのです。……式の間だけ、ずっと手を繋いで離さないでいてくださいますか?」

 アリスティアの言葉に、わずかに目を見開いたグリッドは、傷ついたように目を細め、手に力を入れた。

「アリス、式の間だけなんて言わないでほしい。僕は君の手をずっと繋いでいるよ」

 ゆっくりと、手に、目に、力を込める。

「死が二人を分かつことがあっても、絶対にこの手は離さない」

(嘘でも、嬉しい)

「ありがとうございます」

 その言葉に、アリスティアは心から微笑み返した。


 ------ +*+ ------


 入学式が終わったところで、アリスティアは放心していた。

(なんでローズマリーアン公爵令嬢が、いえ、ゲームの登場人物がリード様しかいないの?)

 そう、式典の途中。

 新入生全員が名前を呼ばれるなか、ヒロインの名前どころか攻略対象の名前すら呼ばれなかったのだ。

「……なんで……?」

「どうかした?」

 式典も終わっても、ずっと手をつないだまま、帰宅するため馬車置き場に向かっていたアリスティアの呟きに、グリッドは首を傾げる。

「い、いいえ……。なんでも……」

「アリス? 今日はずっとおかしいけれど、何が心配事があるならちゃんと言ってほしい。それとも、僕はそんなにも頼りにならない?」

「いいえ! いいえ、そんなことは!」

 悲しげな声に顔を上げ、首を振ったが、真摯に見つめ返してくるグリッドの目力に、アリスティアは一度のみ込んだ言葉を、戸惑いながらも口にした。

「い、いえ……あの……。お茶会で、ローズマリーアン公爵令嬢も受験なさっていたと聞いていたのですが……その、お見かけしなかったな、と」

 戸惑いながらも言葉にすれば、何だそんなことか、とグリッドは呟き、それから聞き流してしまうくらいさらっと、驚くべき言葉を吐いた。

「彼女なら学院史上最低点を叩き出して、試験に落ちたよ」

「え?」

 聞き間違いではないかと思い、アリスティアはグリッドに問う。

「で、でも。お茶会でお聞きする限り、とても優秀な方だと……」

「彼女が優秀? そんなデマカセ、誰から聞いたの?」

「そ、それは……」

 実際はそんな噂は聞いたことがなく、ゲームの内容であるわけなのだが、何故そんなことになってしまっているのかと首をひねるしかない。

 すると、そんな様子を見たグリッドが、溜息をつきながら教えてくれた。

「彼女とは同じ公爵家だから会う機会が何度かあったけれど、自分は『乙女ゲーム』の『ヒロイン』だから、勉強なんかしなくても学院に合格するわとか言って、これっぽっちも勉強せずに、お茶会に買い物に観劇……まぁそんなことばかりしてたらしい。ご両親も何度も諫めていた? らしいけれど、聞く耳も持たず、そんなだから落ちるのは当たり前だよ。まぁこの世界はゲームだとか本気で言っているあたり、そもそもの出来が残念な訳だから、受かるわけないよね。変な妄想癖もあったし」

 ため息をつき、珍しく苛立ちを隠せないでいるグリッドに、アリスティアは首を傾げる。

「……妄想癖、ですか?」

「そう。僕に会うたびに、僕と自分は決められた運命の相手だから、絶対に結婚するんだから、今すぐアリスとの婚約を解消しろって大騒ぎしてね。父上が厳重に抗議してくれたけれど……そもそも、自分は『ヒロイン』だから『攻略対象』と一緒にいるのが当たり前だとか言って、いろんな男に媚を売る阿婆擦れ……いや、言葉が過ぎた。彼女が入学してこなくてよかったとほっとしているよ。あんな害虫がいたら、アリスの目を穢してしまうからね」

(……え? 入学しない……? それよりも、阿婆擦れ? 害虫? 妄想癖? 逆ハーレム狙えるヒロインなのになんでこんなことになっているのかしら……?)

 珍しいくらい言葉が乱れまくっているグリッドに驚き、そしてヒロインのあまりにも残念な情報の量の多さに、アリスティアは事態が理解できないまま、馬車置き場に着き、その後、アリスティアはグリッドと共にレオンハート公爵家で入学祝いのささやかなパーティに参加することになった。

 そしてその後も、いつも通り隣にグリッドが手をつないでくれているという、穏やかな学園生活が待っていたのだった。

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