中編
私は王都から十日ほど馬車に揺られた辺境の、小さな領地にしがみつく貧乏男爵の末娘だった。
兄弟より少しだけ頭が良く、試しに受けた試験が好成績であったため、学費・寮費用免除となる特待生に慣れた為、王都の学園に通う事が許された。
入学してからも身の丈にあった生活をしていた。ただ人より事務処理能力、計算能力が高かった為生徒会の補佐人になれた。
たかが男爵令嬢の私が補佐とはいえ生徒会の一員になることを高位貴族の方は快く思わず、いじめられることは多かった。
ただ2人。
実力が伴えば地位は問わないと取り立ててくださった生徒会長であり王太子殿下のジースムント様と、副会長であり、ジースムント様の婚約者でもあるアーデルハイド様だけは、とても優しくしてくださった。
特にアーデルハイド様にはよくして頂いた。
最初は、恐れ多くも私がお手に触れてしまった。そんなことがきっかけだった。
いつも暖かい私の手を気に入ったと、2人の時は手を繋いでくれ、バターと砂糖たっぷりのお菓子と美味しいお茶をくださった。
田舎貴族で令嬢として十分ではなかったマナー、教養、所作、ダンス。それらを勉学と生徒会の仕事の傍らに私に教えてくださった。
いつも表情を崩さず、全てが完璧。王太子殿下をお傍に控えるお姿は王妃に相応しい、淑女の鑑と言われるけれど、お菓子が好きで可愛いものが好きで冷え性のアーデルハイド様を、私は心から敬愛していた。
アーデルハイド様の仕事を手伝わせていただけることは本当に誇らしく嬉しかったのに、ジースムント様の告白以来、生徒会室に向かう事が苦痛になった。
あの日から、ジースムント王太子殿下はことあるごとに、2人きりになる機会を作り、愛を囁こうとした。
私はそれを無視するわけにもいかず、かといって決して受け入れることなど考えられず、不敬と知りつつ拒絶を言葉にし、態度に示し続けた。
神経をとがらせ、決して二人きりにならぬように行動していたのに、なぜか二人になる機会はどんどん増えた。
二人になれば愛を囁かれる。そんな状況に私は耐えきれず、学院を辞めたいと思うようになっていた。
しかし両親は私の将来の為にも学園の卒業を望んでいて、両親を裏切ることもできず、ただ耐えながら、このような不義理をアーデルハイド様に知らせるわけにはいかないと、私は必死に逃げた。
気持ちを押し付けてくるジースムント様から。それでも優しくあるアーデルハイト様からも。
なのに。
いつの間にか学園には妙な噂が広がっていた。
ジースムント王太子殿下と私の身分を越えた運命の愛と、嫉妬ゆえにそれを阻み、私を生徒会室で陰湿に虐め抜く悪女アーデルハイドという、根も葉もない出鱈目な噂だった。
私は火消しに躍起になった。
男爵令嬢に出来ることなど何もないが、それでも必死で皆に訴えた。
違うのだと、私と王太子殿下はそのような関係ではないと。
私はアーデルハイド様を心から敬愛していて、その婚約者である方とは決してそのような関係にはならないと。
だが下級貴族は誰も信じず、それどころか、この恋物語は私たちの希望だと、勝手に応援するようになった。
否定すればするほど、照れているだけ、そんなところもいじらしいと称賛され、誤解は尾ひれ背びれをさらに増やし上書きされた。
上位貴族の方は、最初は私に冷たい言葉を投げつけた。
あんなに優しくしてくれたアーデルハイド様を裏切るなど最低だと。
私は必死にすべて根も葉もない噂だとその度に説明をした。
なのに日ごと大きくなる噂。
悪意あるそれに、私の心はつぶれそうだった。
そんな中、同じ生徒会の書記を務めていたオリュー公爵家令嬢レインデル様だけは、私と共に噂を消そうと奔走してくださった。
しかし噂はどんどん真実からかけ離れ広がっていく。
そのうち上位貴族からも『嫉妬にかられたアーデルハイド様が私に嫌がらせしている。あんなにアーデルハイド様を一心に慕う男爵令嬢が可哀想だ。淑女の鑑が聞いてあきれる』という声が上がり始めた。
なぜ? どうして?!
私はさらに心を疲弊させながら、ジースムント王太子殿下から逃げ、アーデルハイト様に顔向けできない日々を送った。
事あるごとに愛を囁くジースムント王太子殿下を諫め、盾となって私をその場から逃がしてくださるレインデル様に感謝をしつつ、日に日に顔色が悪くなっていくアーデルハイド様に申し訳なくて、私は泣いて暮らした。
悪夢なら醒めてほしいと願い、卒業して男爵領に帰ればアーデルハイド様にはもう二度とお会い出来ないけれど、ご迷惑をかけることも無く、私自身、こんな針のむしろの様な生活も終われると、指折り数えてその日を待った。
なのに。
それなのに。
卒業式後のパーティーで、ジースムント王太子殿下は私とアーデルハイド様を名指しで呼び付け、何故か私を自身の傍に置いた。
青ざめるアーデルハイド様に申し訳がなく、その場から逃げようとしても、側近候補の方々が私を囲み、逃げる事が出来なかった。
これは嘘だとあげた叫びは、低俗な声にかき消され、衆目を集めるだけ集めた会場でジースムント王太子殿下はアーデルハイド様を一方的に断罪した。
「寵愛を奪われたからと身分の下の者を虐げるとは淑女の鑑が聞いてあきれるっ! お前など国母に相応しくない! 私はこのメリエッタが可哀想で見ていられないのだ! 私は愛のない結婚など出来ない、お前とは婚約破棄するっ!」
そう叫ばれたのだ。
そんな殿下を見たアーデルハイト様は、ただ静かに微笑みをうかべるとカーテシーをして立ち去った。
側近に囲まれ、声をかける事すらできなかった私は、たった一瞬、アーデルハイト様と目が合った気がした。
アーデルハイド様の目には、涙が溜まっていた。
あの方にそのような思いをさせてしまった。情けなくて、苦しくて、私はその場で泣き崩れた。
そんな私を抱き締め、悲しまないで、もう悪女はいないよというジースムント様にも、真実の愛を貫いたと称賛する周囲の人間にも吐き気がし、罪悪感で気を失った。
その後のことは、よく覚えていない。
気付いた時には、真実の愛を貫くのならその責任を取れと大人達に言われ、わけもわからぬまま王宮の西の離宮に監禁され、食事とトイレと入浴と睡眠以外の時間、王太子妃教育を施された。
卒業後、男爵領に帰るために迎えに来てくれていた父と母には一度も会えないまま離宮に閉じ込められ、鞭がしなる厳しい教育を受けながら、ただアーデルハイド様の身を案じる日々を送った。
来る日も来る日も鞭と教育を叩き込まれるだけの日々。
そんな日が半年続いたある日、私は信じられない光景を見ることになった。
あの日の事は、昨日の事のようによく覚えている。
早朝から大勢の侍女に無理やり全身を磨かれ、ジースムント王太子殿下の瞳の色のドレス、髪の色の宝飾品で飾られた私は、半年ぶりに離宮から出され、王家の人間が集まる部屋に連れていかれた。
謁見の間。
そこに通された私は目を疑った。正面には、国王陛下と王妃陛下、ジースムント王太子殿下、そしてその隣にはあのレインデル様が座っていたのだ。
何故?
わけもわからぬまま叩き込まれたカーテシーを行い、口上を述べさせられた私に、陛下は満足そうに微笑まれた。
「メリエッタ嬢。君が頑張っている事は教育係から聞いている。物覚えも良く、王太子妃として公務を行うのに申し分ないと。それも息子を愛するゆえだろう。だが、ジースムントが王となるには男爵令嬢である其方では後ろ盾が弱い。そこで後ろ盾となる正妃として、ここにいるオリュー公爵家レインデル嬢を迎えたい。其方は側妃として、ジースムントとレインデルを支えてやってほしい」
国王陛下の『理解できない』言葉を聞かされた私の目の前に、柔らかなクッションが置かれ、跪くように指示される。
「……レインデル様が、正妃?」
なぜ?
何が起こっているの?
理解が追い付かないままうごけなかった私は力づくでクッションに跪かされた。
そんな私の視界に金色の靴が見え、顔を上げるとそこにはジースムント王太子殿下がいた。
「殿下……正妃がレインデル様、とは? 婚約者はアーデルハイド様なのではないのですか?」
私が漏らした言葉に、ジースムント王太子殿下は困ったように笑うと、私の手をあの日の様に無理やりねじり上げ、手の甲にわずかにも触れないキスをした。
「メリエッタ、混乱しているんだね。大丈夫、ここに僕と君の運命の愛を邪魔するアーデルハイドはいない。そして僕たちの運命の愛も嘘ではないんだ。……ただどうしても、僕が王になるには君が正妃では後ろ盾が弱すぎると皆が言うんだ。だからね、君は側妃となってもらい、僕を愛しながら、僕の公務の手助けをしてほしい。レインデルはそのための後ろ盾になってくれるだけなんだ。これは愛ではなく、政略なんだ。許しておくれ、愛しい君」
その時、肩から背中にかけ、雷が落ちたかのような衝撃が走った。
愚かにも私はここでようやく解ったのだ。
私の目の前で恭しく侍従からティアラを受け取るジースムント王太子殿下と、その後ろで美しく着飾り、誇らしげに王太子妃のティアラを付けるレインデル様こそが全ての元凶である事を。
アーデルハイド様を押しのけ、王太子妃が座るその席で、扇の端から、まるで悪魔の様に醜悪な笑顔を見せる女こそが、私と、そして敬愛するアーデルハイド様を陥れた人間なのだと。
わなわなと震える私の頭上に、ジースムント王太子殿下は侍従に渡された側妃のティアラを乗せると、結婚の誓いの様に口づけをした。
唇ではなく、そのわきに。
そして言ったのだ。
『ありがとう、予想以上に君が出来のいいことに感謝している。これで僕は真に愛する人と結婚することが出来たのだから。あぁ、それと』
真正面に顔を合わせたジースムント王太子殿下もまた、醜悪な顔で微笑んだ。
『君の敬愛するアーデルハイドは自害した。私に捨てられたことで、心の病を患ったそうだ。哀れだな。お前も、あの女も』
と。
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