第4話 張家界旅行四日目 老人の笛、タイに続いて中国でも終電のために再び走る二人

いつものように朝、僕のホテルの一階ロビーに集合し、二人で屋外テラスのテーブルで朝食をとる。

屋外テラス席からはホテルの前を流れる川が見える。初日に二人で川沿いを歩いた思い出の川だ。この川はこの旅行中、ずっと僕らと共にあった。どこへ行っても川を辿ればホテルへ帰れるというのは安心感があった。川やその向こうに聳え立つ岩山群を見ると異国の地にいるのだなと実感する。

そして白いテーブルクロスを挟んで向かい側には静かに朝食を食べるメイリンがいる。メイリンを見ているだけで何時間でも過ごせるくらい魅力的だ。心が綺麗で清楚なところが素晴らしいと思う。僕は過去に外国人の、しかも異性とこんなに長い間、ベッタリと一緒にいたことはない。英語で会話することが当たり前になっている自分に驚く。


今日はまずは三姉妹峰と呼ばれる三連の岩山を鑑賞する。ミニ観光列車に揺られ三姉妹峰に到着し、メイリンに三姉妹峰を背に立ってもらって「これで四姉妹だね」なんて言いながら写真を撮る。メイリンは僕が写真を撮ろうとすると「私の写真は撮らなくて大丈夫」なんて言って撮らせてくれないことも多々ある。もちろん、この時のように素直に撮らせてくれることも多いけど、どんな時にOKなのかは僕は分からない。彼女の気分次第なのだ。


三姉妹峰の鑑賞エリアには猿が放し飼いにされている猿園が隣接している。

僕は動物はそれほど得意ではないが、折角来たので猿園を眺める。

こちらの猿達は人間に餌付けされていて友好的だ。

少なくとも昨日、一歩登天で出会った孤高のオス猿とは全然違う種類の生き方をしていることが容易に想像できる。

同じ猿でも生き方によって全然違う。見た目も雰囲気も。

これは同じ東アジア人である中国人と日本人も全然違うことから、見た目や雰囲気の醸成については後天的な影響が大きいと分かる。

ちなみに僕はこの旅行中、基本的に現地の中国人に第一印象から外国人として見られていた。これは真実なので正しい。が、笑ったのはメイリンも同じくらいの確率で外国人だと現地の中国人達に思われていたことだ。確かにメイリンは服装も洗練されているし、表情に中国人女性のキツイ印象がなくソフトだ。中国の美女というよりは東洋の美女、東南アジア女性の微笑みを常に含んでるような顔立ちである。


この猿園の付近で鳥の鳴き声のする笛を売っている老人がいた。老人が笛を吹くと、軽妙な鳥のさえずりのような音が出る。

メイリンは老人の前にしゃがみ込み笛の値段を訊いている。1本3元(60円)、3本で5元(100円)だそうだ。

ちょうど僕も老人の吹く笛の音に心惹かれていたので、3本買うことにした。1本をメイリンにあげて2本は僕。

次の目的地へ向かうのに際し、往復切符を買っていたので普通であれば行きと同じ観光列車に乗るのだが、帰りは下り道だし、ゆっくり景色も堪能したいので歩くことにした。

観光列車では10分程度で到着する道も、歩く速度だと30分位かかる。その分、ゆっくりと岩山や森の景色を自分の好きなペースで堪能できる。

そして、老人から買ったこの笛は山道を下っている間中、二人でピーヒャラピーヒャラ吹いたので充分すぎるほど元はとったと思う。

僕はメイリンに訊いた「何で笛を買おうと思ったの?」

「あの老人は露天商をするには歳をとりすぎているわ。だから。」

さすがボランティアを中学生時代から続ける優しい女性だと思った。

僕のほうはといえば、観光列車とすれ違う旅に乗客達に笛を吹いて見せて爺さんの笛の営業活動にセッセと励んだ。

メイリンはそんな僕の後を笑顔でついてきて、「ソウター、フォトー」と言って振り向かせ、僕の写真や動画を撮っていた。


三姉妹峰の後は金鞭渓と呼ばれる川沿いの渓谷沿いを歩く。渓谷の底部に川が流れ、川に沿って遊歩道があり、渓谷の両側には張家界独特の岩山が聳え立つ。独特な景観だ。山も近い、川も近い。

渓谷を歩いていると、お昼時になった。ちょうど川沿いに広い河原があって、他の観光客もいない。

僕らが大切にしている「静寂」を楽しめそうだったので、そこで手持ちの食料で休憩にすることにした。


毎朝、出かける前にホテル併設の売店で買うチョコパイ、それに昨夜の夕食後に青果店で買った桃や葡萄を食べる。

メイリンはご飯はあんまり食べないが、チョコパイとフルーツはよく食べる。

河原で岩にチョコンと腰掛けて、幸せそうに口をモグモグさせているのを見る。とても愛おしい。


二人で川の流れる音を静かに楽しむ。中国の観光地で静寂を楽しむのはとても難しいので、この瞬間は貴重だ。

靴と靴下を脱いで裸足になり、川の水に足をつける。水の冷たさが気持ちいい。リラックスタイム。会話もなく、メイリンと僕は少し離れた場所で思い思いの時間を過ごす。

僕は珍しい石を探してみた。岩山を見る限りこのあたりの土は脆く崩れやすいことがわかる。なので河原にある石はどれも小粒で角の取れた丸い石が多く、なかなか「これは」というものが見当たらない。

唯一見つけたのが貝のような小石だった。座っていたメイリンにこの貝の形の石を披露したら、静かに笑っていた。

小一時間ほど休憩した僕らは歩行を再開した。今日は黄石賽まで行くので先は長い。

だが天候は急速に崩れ、本降りの雨となった。僕らは雨の中、道を進んだ。


二人ともそれぞれ傘をさして歩いている道中、リンが彼女の背負うナップザックからティッシュを取ってくれないかと言うので取ってあげたら、ティッシュケースに小石が入っていた。「あれ、これは?」と訊くと、「さっきソウタがくれた貝の石だよ。君が今回の旅行でくれたプレゼント。アイヌのポーチに、イヤリング、それに貝の小石」

メイリンが僕のことを想っていてくれるのが伝わってきて照れてしまった。

激しく雨が降っていてお互い傘をさしているので、適切なタイミングではないが、メイリンを抱きしめたかった。


雨の中、2時間程歩き、黄石賽に向かうケーブルカーに乗る。

ケーブルカーを降りると岩山群の観覧場所が比較的コンパクトにまとまった山頂エリアだった。

山頂エリアは雲の中なので、下界のような雨粒が落ちてくる感じではなく霧雨のようだった。

正確には雲なのか霧(きり)なのか靄(もや)なのか僕は分からない。が、ここでは雲と呼ぶ。

岩山群と僕らがいる展望台の間には雲が大量に存在している。真っ白で視界がない。

こりゃ絶景を拝むのは難しいか・・・なんて思っていると2,3分後にはその真っ白い雲が流れていき、向こう側から雲海の上に突き出す岩山群の絶景を眺めることができる。同じ場所、同じ日でも、数分の違いで見られる景色が全然違う。この変化は劇的だ。芸術作品を包んでいたベールがサっと脱がされる感じ。メイリンと二人で展望台で目の前で起こっている雲と岩山絶景が作り出すショーの見事さに絶句して、しばし立ち尽くした。

気が付けば、周囲に誰もいない。もうケーブルカーの運転終了時刻間近だった。小走りでケーブルカー駅に戻った。

その戻っている最中、こんなことを思い出していた。


メイリンと初めて会ったタイでのこと。一緒に行動を開始して3日目。翌日早朝にメイリンはホテルを出発してバンコクから中国へと帰国する予定だったので、僕ら二人の旅行としては最終日だ。その日、僕らはバンコクから電車に乗って世界遺産の都市アユタヤへ行った。アユタヤの遺跡は素晴らしく、象と人間が一緒に水かけ祭りを楽しむ姿も印象的だった。アユタヤ観光を楽しんだ僕らはバンコクへ戻ろうと駅へ向かった。僕らはアユタヤからバンコクへ戻る最終電車の切符を既に買って持っていた。

ただ電車の到着が遅れていた。

僕ら二人ともタイ語は分からないし、他の乗客の様子などで、なんとか電車が遅れているのは分かっていた。

ただ、どれだけの時間、遅れるのかは全然分からない。駅員も分かっているのか不明だ。20分程待っただろうか。

20分以上電車が遅れている中、僕は駅を出て300mほどのところにあるコンビニヘアイスを買いに行くかどうか迷っていた。

5分程度で戻ってこられるとは思うが、タイミング悪くその間に電車が来てしまう可能性もある。


僕の話をフンフン聞いていたメイリンは「ソウタ、行こう!」と言って、駆け出した。

え、ホント?大丈夫かな?と思いながら、僕もリンを追いかけた。駅を出てコンビニまで二人で夜道を走る。

「もし電車に遅れたら」メイリンが走りながら叫んでいる。

「もし電車に遅れたら、明日の中国へ帰る飛行機もキャンセルしなきゃいけない!でもそれでもイイ!」

って叫びながら走っていた。カワイイ。


アイスを買って、また小走りで駅に戻った。ホーム上の光景は先ほどと変わらず電車待ちの人々が大勢いた。

電車はまだ来ていなかった。ホームのベンチに腰掛けて二人アイスを食べた。

アイスを食べ終わって暫くしてから、電車が来た。

無事、電車に乗ってバンコクに戻り、それぞれのホテルでシャワーを浴びた。

アユタヤへの小旅行をシャワーで区切りをつけて、リンのホテルの中庭に集まった。

もう深夜だった。僕らはバンコク滞在中にいつも待ち合わせていたベンチに二人で座り、今回の旅の僕ら二人の出会いがいかに奇跡的で楽しかったかについて語り合い、バンコク最後の夜を名残惜しんだ。

熱帯タイのバンコクのホテルの中庭、蝦などが沢山いたはずだが気にならなかった。

見上げた明るい月夜に頭上の樹木がサラサラと風に揺れていた。

その時に「一緒に他の場所も旅をしようね」と、再会を約束してお別れしたのだ。


そして、今、僕はメイリンと中国の張家界で再会し、今度はケーブルカーの終電に間に合うようにまた一緒に走っている。

僕らが会うのは旅先でだけ。タイで3日、中国で4日一緒にいるだけだけど、密度はとても濃い。

こんなに惹かれていいのだろうかというくらい惹かれている。どうしたらいいんだろう?

独身で中国在住のメイリンと、妻子持ち日本在住の僕。

結局、今のこの友達関係を継続するしかないというのが僕の結論。

つまりプラトニックな関係だが、心は身体の関係以上に彼女を想ってしまっている。

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