第3話 張家界の旅行(3日目)猿との遭遇、プレゼント


メイリンと一緒に行動を開始して3日目の朝。午前7:30に僕のホテルのロビーでメイリンと待ち合わせ。一緒にホテルのレストランで朝食をとる。今日は曇り時々雨の予報。僕らは武陵源の袁家界/楊家界風景区を散策する。


国立公園内の周遊バスにて袁家界風景区に向かい散策を開始する。点在する絶景展望台を歩いて巡る。

標高1000mの岩山が何本も塔のように屹立している。そんな岩山が林立する光景はまさに絶景。小雨がパラつく中、岩山群の間を雲が流れていく。異国情緒というか、現実離れした世界に来てしまったなという気にさせてくれる。

この眼前に広がる絶景にダイブしていこうと意識を集中させるが、そんな時に決まって、他の観光客などの発するけたたましい中国語の会話が聴こえてきて、意識が切れてしまう。

僕は心を集中しその絶景に没入したいタイプなのだが、なかなか中国ではそのような静寂の中で絶景を思う存分鑑賞するのは難しい。うるさいのだ。

観光客同士のおしゃべりもうるさいが、ツアーガイドや有料写真撮影サービス、果ては韓国客向けの土産物屋や軽食レストランの呼び込みまで、拡声器を使って観光客に営業をかける。とにかくうるさい。これは外国人観光客からすると中国観光の残念なポイントだろう。


ちなみにメイリンはどんな所でもとても静かだ。彼女は外国に長年住んでいた経験があるので、静寂の尊さを知っている。

僕らは一日中一緒にいるわけなので、もちろん、ずっと会話しているわけではない。

むしろ双方無言の時間も長い。その無言の時間、お互いの心は離れているのではない。

むしろ一緒にいる最中、常に二人の心は共鳴しあっていて、その余韻を双方無言で楽しんでいる。そう僕は感じている。


話す時も2,3m離れた人からは聞こえない程度の音量で話す。

彼女ほど優しく耳に心地よい中国語を話す中国人を私は知らない。


僕に話しかけてくる中国人は大体、ギョッとするくらい大きな声で語気荒く、まくしたてるように話すので、余計にメイリンの話し方のほうが抑制がきいていて好感を持つ。


山道を歩いている二人。

「中学校や高校でどんな部活動してたの?」僕がメイリンに問いかけた。

「当ててごらん」

「ウーンなんだろう?オーケストラ?」

「ノー」

「美術部?」

「ノー」

「卓球?」

「ノー(笑)ボランティアだよ」

僕は驚いた。老人ホームや障碍者施設を周ったり、募金活動などをしてたらしい。

要は他人の幸せのために自分の時間をささげる活動。メイリンがやっていることが意外なのではなくて、中国でボランティアというのが意外だった。


大体、中国で他人のことを思いやる姿勢をあまり感じたことがない。

バスや飛行機から降りる時、乗客全員が我先にと出口に殺到する。基本的に誰かとタイミングが重なれば、相手に譲ってあげる紳士的な僕は、往々にしてバスや飛行機を最後に降りるはめになっていた。行列に並んでいる時に列の順番を守らず横入りする中国人も本当に沢山いる。そんな社会なのだ。

そんな中国社会でボランティアをする心の綺麗なメイリン。

ちなみに張家界の中にはいくつか寺院があり、メイリンはそういった寺院では仏像に参拝する。

何をお願いしているのか?という話になった。

「世界平和」と言っていた。僕は冗談だと思った。もちろん世界は平和なほうが良いけれど、僕の場合は「家族や友達の健康」だとか、「仕事の成功」とかそういったよりプライベートなことをお祈りするからだ。でもボランティア活動に青春時代の貴重な時間を使えるメイリンなら、寺院での参拝で「世界平和」を祈るのもあり得るなと考えを改めた。


張家界の岩山が林立する絶景は確かに絶景だが、見る側は安定した地盤の上に立つ堅牢な展望台の上にいる。

鑑賞対象となる岩山群は遠い向こう側にある。はじめは興奮していたが、そのうち、段々と個々の名所の違いが分からなくなり興奮度が減ってきた。なんというか、絶景と僕らの間に距離があるのだ。

こちら側の展望台に立って、あちら側にある岩山群を眺める。岩山群は名所ごとにそれぞれ多少の違いはあるのだが、結局、岩山であることには変わらない。つまりどれも似ている。


「天然長城」という名所がある。午前中にバスを降りたってすぐに二人で歩いて「天然長城」へ行った。

その後、その他の名所も周遊して歩き、路面店の軽食レストランでランチを食べた。そしてそのレストランの女店主にオススメされたからと言って、メイリンが「天然長城」という名所に行こうと言い出した。僕が「午前中にもう行ったじゃない」と言うと、「行ったっけ?多分二か所あるんだよ」というので、ランチしたお店からまた天然長城へと続く遊歩道に向かった。

僕はその遊歩道の感じから、「やっぱり午前中行ったんだけどなー」と思っていたが、メイリンちゃんが信じていることを強く否定するのも可哀想だし、しぶしぶついていった。その時にメイリンに「天然長城」をオススメした女店主が偶然そこを通りかかった。

女店主が「天然長城行った?」なんてメイリンに訊いているので、僕が午前中に「天然長城」で撮影したスマホの写真を見せて「これがオススメしている天然長城ですか?」と質問したら、「そう、これよー」という回答だった。

僕は「ほらね、やっぱり(笑)」というと、メイリンは「あーん、またソウタが正しかった~」と可愛い顔でふくれっ面していた。


無事、天然長城へ二度も行くことを回避できた僕らは、次に一歩登天という名所に行くことにした。

ただ、一歩登天へと続く舗装された遊歩道は工事中であり、未舗装の雨でぬかるんだ山道を行くしかないようだ。

雨をたっぷり含んだ泥の山道は滑って危ないし、靴も汚れるし、そもそも非常時の経路なので案内板も不親切だ。

意を決して未舗装の山道を歩き出したはいいが、あまりにも深い泥で、なかなかスムーズに進めない。引き返すべきか行くべきか、躊躇していたところ、先に一歩登天まで行ってきたという旅行者に話を聞くことができた。大体片道40分程度の未舗装山道を歩く必要があるが、一歩登天はそうまでして行く価値がある。ということだった。それを聞いて安心した。

メイリンは例え悪路だろうが、歩くことについて積極的だ。旅行先では何か新しいものに出会うためにはとにかく歩き回らないとダメなのだ。疲れていても、道が悪くても、どんな天気でも、直感に従って歩けば何か面白いものに出くわすのだ。

これがメイリンと僕がお互いを「良い旅のパートナーである」と思っている理由だ。

僕らは歩くと決めたら歩く。


靴を泥で汚しながら40分程度山道を歩き、ついに一歩登天と呼ばれる岩山山頂の直下まで来た。最後は急な鉄製の梯子を15mほどよじ登る。そして着いた先が、10m四方の岩山の山頂=一歩登天である。


山頂に着くと先客の旅行者3人が何やら騒いでいる。見ると山頂を囲う柵の上に一匹のオス猿がおり、旅行者達に対して牙を向き、今にも飛び掛からんとする体勢で毛を逆立てて威嚇している。

先客の旅行者たちは登山用のステッキで猿と一戦交える気合が感じられる。

しばらく一色触発の状態が続いたが、ふとした瞬間に猿が柵の上を横に移動した。

これで先客旅行者は猿がいた場所で目的の写真を撮影でき、満足して山頂から去っていった。

なんとか実際の戦闘は回避された。

猿は旅行者達が山頂から去ると、山頂に残っている私やメイリンには特に関心を示さず、山頂に設置されているゴミ箱をあさり、旅行者の誰かが捨てたのであろうトウモロコシの芯をかじり始めた。

メイリンは先ほどの一触即発状態だった時の猿の印象が強いのか、何枚か写真を撮影すると「猿が怖い」とすぐに山頂を去った。

今度は一歩登天の山頂には僕と猿だけが残った。

中国の山奥の狭い山頂に日本人と猿しかいない奇妙な空間。

猿も僕も互いに不干渉とする暗黙の了解ができたようだった。


僕は絶景を独占した。

それまでも張家界で多くの岩山が作り出す絶景は見てきたが、僕は安定した陸地側に立っていて、遠い向こう側に存在する細長い危うく脆いであろう岩山を眺める感じだった。見ている側の私と、絶景の景色が同じ空間に存在している気がしなかったのだ。しかし、一歩登天は僕自身が1つの岩山の山頂に立つ。乱立する岩山の1本の山頂に立っているのだ。まさに絶景の中に僕自身が存在している。その感覚に興奮した。

この岩山の山頂の名称「一歩登天」とは「一歩で天まで届く」という意味だそうだ。

まさに天空に届かんとする岩山の頂に立ち、眼前に広がる岩山群を見る。見る側と岩山群が離れているために感じていた距離を、一歩登天では感じない。なぜなら僕自身が岩山のうちの一本に立っているのだから。

それに他に観光客がいないのも良い。この頂上は静寂だ。

このままずっとココにいたいと思った。1000m級の岩山の頂、一歩登天から見下ろすと、大地は遥か下方にある。僕の目の前すぐ近くを雲が流れる。遠くには雲が折り重なり白く濃く雲海となっている。その雲海からにょきにょきと僕が立っている岩山と同じような岩山が突き出している。まさに胸のすくような絶景だ。


しかし、その静寂の中での一歩登天の独占も、じきに終わりが来る。他の旅行者がやってきた。

中国人は1人なら静かだけれど、2人以上いれば基本的に騒々しい。

まずは二人のオッサンが来た。山頂に到着するなりタバコを吸いだした。公共の場所での禁煙が社会的に徹底されている国から来た旅行者にとっては辟易としてしまう。タバコの匂いがいっきに気持ちを萎えさせる。

続いて旅行者と思われる男女カップルもやってきた。

この時点で山頂はかなり賑やかだ。僕もそろそろ山頂から去るべき時が来たようだ。


僕が山頂から梯子を降りてみると、東屋でリンと二人のオッサンが話していて、その傍らに猿もいた。

二人のオッサンにリンが聞いたところによると、一歩登天にいる一匹のオス猿は、だいぶ以前に集団から抜け出した天涯孤独の猿なんだそうだ。この二人のオッサンは大声で話し、タバコをバカバカ吸って唾をそこらにまき散らす典型的な中国人のオッサンだ。

特に一人は素足にサンダル履き、しかもその両足は腿のあたりまで泥だらけだった。何回も一歩登天に訪れていて、オス猿のこともよく知っているらしい。

僕は山頂下の東屋で仲良く座り談笑する3人と一匹を見て、メイリンが三蔵法師で、猿が悟空(中国語発音ではウーコン)、二人のオッサンは猪八戒と沙悟浄のように感じた。なぜだか理由は分からないけれど。


また泥濘んだ登山道を転ばないように下る。時々、急斜面や水たまりがあるので、メイリンに手を貸す。付き合っているわけではないので、毎夜のハグを除いて普段はなかなかメイリンと触れ合う瞬間がないので、手を繋ぐ瞬間は僕としてはとても嬉しい。でもその気持ちを悟られないに自然に振る舞う。


この日も沢山歩いて観光した。

一度ホテルへ戻り、シャワーを浴びメイリンが今回の旅行初日にプレゼントしてくれた黒いシャツを着た。メイリンはシャワーを浴びず僕の部屋で寛いでいた。僕がシャツを着てメイリンの前に現れると「あ、着てくれたんだ、とてもよく似合っているよ」 と言ってくれた。

このシャツはメイリンの住む地方に古くから伝わる狼の伝説にちなんだ柄なんだそうだ。

一方、僕からは二人で行こうと約束している北海道の先住民族アイヌの独特の模様のポーチを送った。

メイリンが日常的に使ってくれているといいけど。


着替えを終えて夜は湖南省にちなんだミュージカルショーを観に行った。

中国国内でとても評判が良い作品らしく会場は超満員だった。中国語の上演なので細部の内容までは分からなかった。ただ歌と踊りはそれだけでも観ていて楽しめた。

ショーの後、露店に入る。メイリンはシルバー地にターコイズやエメラルドでトライバル紋様のはいったイヤリングが気に入ったようだ。試しに耳にあててもらうと、とてもよく似合っている。

僕が買ってメイリンへのプレゼントにすることにした。お店の中でメイリンの両耳にイヤリングをつけ、二人ルンルンな気分で夜の街でレストラン探しへと向かったのだった。

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