百個の怪談を話すと出る怪異がいる一方で、百首の魔改造百人一首を詠むと成仏する怪異がいるらしい

黒川しらす

久方の光強すぎ夏の日に静心なく汗の散るらむ

 これは、私のひと夏の眩しくて淡い恋と、魔改造百人一首の物語である。


「暑すぎて夏来てるでしょ狼狽えの衣替えたし天の香具山」


 いや暑すぎる。暑すぎるぜ、まだ五月も半ばなのに。燦々と照りつける太陽の光が既に殺人的だ。


 火傷をしそうなほどの熱を放つ手元の端末で検索する。環境省の提言では、クールビズは五月一日からの開始だそうじゃないか。


 学生服の衣替えも、従来通りの六月からではなく、この温暖化の時勢に合わせ五月から開始すべきだね。


 と思い、制服のジャケットを脱ぎながらそんな魔改造百人一首を独りごちた。


 五月以降はぼっち飯の穴場と化した屋上テラスで一人、弁当を食べ終えて、自販機で買った炭酸飲料を飲みながら。


 無論、誰にも聞かれてないと思ったからだ。


「……あなた、百人一首に興味ある?」


 だというのに、どうやら聞かれていたらしい。突然に耳をくすぐった透き通るような声に困惑する。というのも、どれだけ辺りを見渡してみても、声の主の姿が見当たらないからである。


「あ、ごめんなさいね、えいや!」


 なんとなく背筋が寒くなる心地でいると、気の抜けた可愛らしい掛け声と共に、目の前に目鼻立ちの整った少女が現れた。


「私と歌友になりましょう!」


 真っ黒でさらさらの髪が美しい少女は、私と同じ制服を着ていた。しかし彼女には足が無かった。


 その笑顔は眩しかった。その背から透けて見える、高く登った太陽の光も眩しかった。息を呑んだ。


「誰をかも知る人じゃねえ幽霊が待つなよ握手友ならないが」

「ありがとう! じゃあ明日またね!」


 そうして私は妙な幽霊の少女に懐かれてしまった。


***


 家に帰り、夕飯時に祖母に幽霊のことを話すと、祖母の顔が一気に青ざめた。


「あんた、出会っちまったんだね、悪霊魔改造百人一首大好きに……」

「悪霊魔改造百人一首大好き?」


 思わずそっくりそのまま復唱しながら、たっぷりの麺つゆにつけた素麺を啜る。


「魔改造百人一首を詠んでやらないと泣き喚く悪霊さ」

「妖怪傍迷惑?」


 スーパーで買ったそれなりに揚げたての天麩羅もつゆに浸していただき、その悪霊の噂の意味不明さに首を傾げ続ける。


「放っておけば飽きて去っていくそうだよ」

「わりかし無害じゃない? 善でも悪でもない霊?」

「寂しいんだろうね。百首詠むと成仏すると言われているが、まあ、今も出るということは、そういうことなんだろうね」

「ふーん……」


 ざるに盛られた素麺を食べ切って、氷を贅沢に入れた麦茶を飲み、安堵と呆れのため息をつく。悪霊レベルは低そうだが、何やら大変な日々になりそうだ。


***


 それから三ヶ月。


「本っ当に暑い……」

「今日も精が出るわねえ」

「幽霊、あんたは今日も出るのね」


 もう夏休み真っ只中だというのに学校の屋上に来ているのは、無理矢理入らされた園芸部の水やりの仕事のためだ。


「久方の光強すぎ夏の日に静心なく汗の散るらむ」

「良いわねそれ!」


 屋上の植物に水をやる片手間に地縛霊らしき少女に披露した魔改造百人一首はもう何首目になっただろうか。


「風そよぐ奈良の小川の夕暮れは……風がそよぐだと奈良行けば良い?」

「風一つ吹かないものね、このあたり」


 植物への水やりが終わったら、自分への水やりの時間だ。腰に手を当て、生理食塩水に砂糖や香料を加えたという清涼飲料水をぐびぐびと飲む。熱中症で少女のお仲間になるわけにはいかない。


「幽霊、あんたも飲む?」

「ううん」


 飲みかけのペットボトルを幽霊少女に供えてみるが、幽霊には飲めないのか完全無視である。舌打ちをして残りを飲み干す。


「しのぶれど色にいでにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」

「あら? それは魔改造百人一首じゃなくてただの百人一首よ。ノーカンね」


 入学からはや四ヶ月半。ひとりぼっちだった私が彼女と出会ってからはや三ヶ月。融けるような眩しい太陽光に負けず、彼女は凛と立って朗らかに笑い花を愛でる。汗ひとつかかないその姿が美しかった。


「百人一首って恋の歌ばっかじゃん。昔の人って恋愛脳すぎん?」

「ふふふ、そこが良いんじゃない。いつの時代も恋は素敵なものよ」


 毎日のように求愛の歌を詠んでいたから引き摺られてしまったのだろうか。いや、そうでなくても彼女は──


「どうしたの?」


 首を傾げる彼女は、とてもこの世のものとは思えないほど愛らしかった。まあこの世のものではないんだが。顔が熱く火照るのは日差しのせいだけでないと、私は自身で気がついていた。


***


 夏休み最終日。今日は彼女の姿が見えない。屋上の向日葵も旬を終えて暑さに負けてすっかり全滅だ。赤いトンボが青い空を横切る。もうじき秋が来る。


「来ぬ人を待つほの浦の真昼間に焼ける暑さに身も焦がれつつ」


 彼女に披露する魔改造百人一首も九十九首目となる。そろそろ彼女もこの遊びに飽きたころだろうか。それなら良いな。新学期からも彼女と会える。またジャケットを着た彼女に会えるだろうか。


「あと一首ね」


 などと、妄想にふけっていると、背後から彼女が現れた。三ヶ月間聞いてもまだ慣れずにどきりとする、風鈴を揺らすような声だ。


「どう? 学校は慣れた? お友達は出来た?」

「先生かよ。……出来たよ」


 屋上テラスの柵からグラウンドを覗くと、遠くから園芸部の同期、友人と言っても良いだろうかが手を振ってくる。


 幽霊と歌友になったんだからもうなんでも出来るんじゃないかと思い話しかけてみたら、仲良くなることが出来た。


 やはりこの幽霊は悪霊ならぬ善霊なのではないだろうか。守護霊的な。無理に成仏させなくても良いんじゃないだろうか。そもそもあの意味不明な除霊方法は本当なのだろうか。


「出来たみたいね。じゃあ、安心して行けるわ……」


 なんて考えていたら、さらりとそんなことを言われてしまった。ひゅうと秋の始まりの風が吹いた気がした。


「え……」


 穏やかな笑みでこちらを見つめる彼女の瞳に、夏の終わりの太陽と私の酷い泣き顔が映る。視界が歪み、蜃気楼のように彼女が揺れる。


「嫌だ。行かないでよ」

「最後の一首、聞かせて」


 あっさりすぎるんじゃなかろうか。薄情だ。

 そんなことを思うのは筋違いと分かりつつも、ぼろぼろと涙が溢れて止まらなかった。この暑さで蒸発でもしてくれれば良いのに、湿度の高い夏の終わりの日の涙は、温いままに私の頬を濡らした。


「……ねえ、お願い。あなたの作る魔改造百人一首、どれも素敵だったわ」


 夏なのにひんやりとしていそうなその体を、ぎゅうと抱きしめたいのに。彼女に触れることが出来ない。彼女がもし生きていたら、この暑さの中で抱きついたらどんなに暑くて苦しかっただろうか。それを知ってみたかった。


「じゃあ、私の方から魔改造でない百人一首を一首」


 決して触れない腕がそっと私を包み込むように伸ばされる。彼女は温かくも冷たくもなかった。


「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」


 まろやかで爽やかな声がやはり魅力的だと思った。いつか、いつか、私も向こうに行く日が来たら、その時に私が彼女を忘れていなければ、また会えるのだろうか。


「三ヶ月間、ありがとう」


 笑顔が眩しい。眩しすぎる。くらくらとする。ジリジリと喧しい蝉の声に負けぬよう、最後の一首を叫ぶように詠む。


「忍ばないから色に出でてよ我が恋よものや思ふと君の問ふまで」


 眩しい光に溶けていく彼女の手を掴んもうとしてすり抜ける。じりじりと身を焦がす夏の太陽が、彼女の背から透けて見えて、その光がどんどんと強くなっていった。


「ありがとう、私も大好き」


 それから何年経っただろうか。


「心まだあるでうき世にながらへば恋しかるべき夏の君かな」


 彼女は間違いなく面倒な悪霊だった。死ぬまで私の心に取り憑いていたのだから。


 あの日のような夏の眩しい光の方へ歩いていくと、彼女が歌を詠む声が聞こえた気がした。

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百個の怪談を話すと出る怪異がいる一方で、百首の魔改造百人一首を詠むと成仏する怪異がいるらしい 黒川しらす @shirasukurokawa

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