亡き父の口癖は「戦争は気が狂う」でした。
また、母の年上の兄二人はビルマで戦死、シベリア抑留で亡くなりました。
徳島市に住む友人の母は徳島大空襲で、徳島城の堀に入っていたところ、水が熱くなってきたので、さらに近くの川に入って助かったそうです。
このような話は語り継ぐべきです。
無差別攻撃の段階になった戦争で誰でも命を落とすことを実感するのは、ニュース映像ではなく、身近な人や語り部の証言です。
どうぞ気兼ねなくお書きください。
作者からの返信
セオリンゴ様、お話下さり有難うございます。ご親族の方の御冥福をお祈りいたします。
戦争は気が狂う…その通りと思います。生き残りの方の手記を読んでも常識に照らすととんでもない事をしているのを書き記していらっしゃったりします。
今でも戦争が無くならず、「無差別攻撃」が常識化しつつありますよね…
私は話を聞く事が少なく、身近な人に伝える術も皆無。故に大空襲の慰霊に合せて筆を取らせて頂きました。
重ねて御冥福をお祈りいたします。
私の家族は誰も体験していないらしいのですが(祖父母はその時は満州に行っていたらしく)その前日の8月1日に私の住む町も空襲で焼け野原にされたそうです。
悲しいものはどれだけ時間がたっても悲しいし、許せないですよね。
作者からの返信
川中島ケイ様。コメント有難うございます。
他の方のお話ですと、7月辺りから地方都市への空襲が増えたそうです。
許せないですが憎む事は控えたいですよね。台湾が日本を許したように…
お祖父様お祖母様満州にその時期いらしたと言う事は終戦により本土に引き上げて来られたのでしょうか?
引き上げも十分に危険を孕んでいたとか…大変だったと思います。
重ねてお話下さり有難うございます。