第37話 黒髪少年
「ごほごほごほっ、うぅ……ぐ……っ」
「どうしたの、苦しいの!?」
今まで一緒に遊んでいた黒髪の少年が、苦しそうに咳き込み、地面にうずくまった。
「大丈、夫……だよ」
不安気に瞳を揺らす少女を心配させまいと、少年は薄く微笑んだ。
「大丈夫なものか! お前の発作は一時を争うことを知っているんだからな!」
「お、お兄様どうしましょう」
「クリス。俺がこいつを連れて行くから、母上たちに知らせてくれ!」
「わかったわ、お兄様!」
震える体を叱咤して、少女は駆け出した。
(この感覚を知っている。これは過去の記憶……?)
「サラ、大丈夫ですか!?」
緊張感を走らせたシキが、サラを抱き上げて名を呼んだ。
はっと意識が引き戻されたクリスティーナは、反射的に彼の顔を見た。
(え……どういうこと?)
「あなたを、知っている……?」
目を見開き、思わずぽつりと言葉を零した。
フラッシュバックした映像の少年と目の前のシキが、なぜか重なって見えたから。
「……ティナ、どうしました?」
眉根を寄せ、訝し気なシキの視線にぶつかった。
「いえ、何も……」
「ティナ、私はサラを部屋へ運びます。医者の手配は侍女に任せましたが、この状況を閣下にお伝えしてもらっても?」
「わ、わかったわ」
シキがクリスティーナに伝えると、サラを横抱きにして中庭を後にした。
その姿を呆然と立ち尽くして、クリスティーナは見つめていた。
「わたしくしはあの時もお兄様に言われて、誰かに知らせに行ったと思うわ」
過去の記憶が呼び覚まされているのだろうか。
記憶を喪失している頃のことがおぼろげに見えた気がした。
ブランデンブルク家が住むバーグ城に一泊したクリスティーナだったが、倒れたサラとは結局お茶会も夕食も一緒にはできなかった。
翌朝、出発の用意をしているとサラの侍女がやってきて、サラが会いたがっていることを伝えてきた。
「皇女殿下、お呼び立てして申し訳ございません」
侍女に案内された部屋には、ベッドヘッドに体を預けて座っているサラがいた。
眉を下げ申し訳なさそうにしているサラに、クリスティーナは微笑んだ。
「わたくしもあなたに挨拶しようと思っていたところよ」
「お気遣いありがとうございます」
侍女に勧められてベッドサイドに用意された椅子に腰かけると、シーツの上に置かれたサラの手が震えていることに気ついた。
「手が震えているわ。まだ具合が悪い?」
「申し訳ございません!」
突然、頭を下げ謝罪の言葉を述べたサラに、クリスティーナは目を丸くした。
「どうしたのかしら?」
「私は殿下にシキさまとのことを秘密にしておりました」
「……婚約者だったことかしら」
クリスティーナの言葉に、今度はサラが目を丸くした。
「ご存じだったのですか」
真実は告げずに、クリスティーナは微笑みを保った。
「あの、婚約破棄の理由はご存知でしょうか?」
「物理的な距離があって、彼の仕事が忙しいからと……」
サラは弱々しく首を横に振った。
「いいえ、違うのです。私はシキさまに甘えてしまいました」
「甘え?」
「はい。表向きは多忙だからと婚約者を蔑ろにしてきたゆえ、私から婚約破棄をしたということになっております。父もそう思っておりますし社交界もそういう認識で、こと婚姻に関してはシキさまのキズのような扱いになっていると聞いています」
ふと魔導研究所の所員たちとの会話を思い出した。
「シキさんは機械が永遠の恋人ですよ」とか「顔がいいことに去る者追わずを、地でするヤツですよ」とか「こいつはやめた方がいいです。傷つきますよ」とか。
なるほど、これは社交界での共通認識だったのかと理解する。
「それは表向きなのね?」
「はい。私が婚約破棄を申し出たのは、帝国軍で活躍しているシキさまをお傍で支えきれないと思ったからです。体の弱い私がシキさまの足を引っ張りかねないと。でも、シキさまはご自身も幼少の頃は病弱だったようで、私のことをよくわかるとおっしゃってくださいました」
「……彼も子どもの頃は体が弱かったの?」
「はい。そうおっしゃってました」
……昼間に見た記憶にいる少年も体が弱かった。
サラのように倒れて、そして少年も黒髪だった。
まさか。
クリスティーナは眉根を寄せた。
「だから、シキさまは俺のことは気にするなと言ってくださったのですが、それでは……私が耐えられなかったのです。そういう理由だったのですが、社交界では面白おかしくシキさまの噂が立てられました」
「二度目の婚約だったものね」
「私はその噂を耳にしたとき、すぐに止めようと動きたかったのですが、シキさまに止められてしまったのです。私に噂の矛先が向けば、次の婚約に支障がでるからとかばってくださって。ですので、心無い噂話は無実ですので……」
「そう。シキのことが心配だったのね」
「はい。私は誰よりもシキさまの幸せを願っています。皇女殿下と幸せになり、シキさまの噂が無くなるといいのですが……」
そう言いながらも、サラの揺れ動く瞳は内面を雄弁に語っていた。
(まだシキのことが好きなのね)
彼自身を想い、身を引き、彼の幸せだけを願う。
昨今の令嬢とは比べ物にならないくらい、純真で気立てのいい令嬢だ。
彼の隣にいるのは、本来なら彼女のような人物がいいのだろう。
でも、現実は戦場に出て戦う軍人であり、皇女という地位にある自分だ。
「大丈夫よ。わたくしの方が十分なうわさがあるわ」
もう一つ噂が増えても誰も驚かないでしょう、とクリスティーナは自嘲した。
自分が思っている以上に、シキに執着しているようで怖かった。
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