第36話 元婚約者

 マックスが指示を出している間、クリスティーナは何気なく中庭に視線をやった。様々な花が咲き乱れ、頑強な城にまさかこんな場所があるとは想像していなかった。



「城に似合わず、素晴らしい庭でしょう」


「帝都でもなかなか見られない美しさですわ。これは体の弱いご令嬢のために?」


「そうです。娘は薬が手放せず、遠くへ外出ができないくらい体が弱いのです。せめて好きなものに囲まれてもらいたくて、腕のいい庭師に来てもらって手入れをしておるのです」



 中庭を見ているとそこにお茶会の準備を始めた、シキとサラがいた。

 二人の距離は近く、穏やかで親密な雰囲気に少し感情が揺れた。



「シキとは知り合いでいらっしゃるのね?」


「ええ、そうです。シキとはご婚約されたそうですね、殿下。おめでとうございます」


「閣下、ありがとうございます。もう七度目ですけどね」


「殿下も大変ですな」


「率直に言ってくださるのは閣下くらいですよ」


「私はどうも隠し事が苦手で。隠し事ついでに……殿下、ご気分を悪くされた申し訳ございません」


「何のことでしょう?」


「ご存じだとは思いますが、我が娘とシキは婚約している時期がありました」



 クリスティーナは微笑みを崩さなかった。

 ひどく動揺したが、皇女としての振る舞いが身に沁みついているせいか表に出すことはなく、そんな自分に安堵した。



「身分が釣り合っている上、彼は会えば病弱の娘に真摯に接してくれていましたからね、良い夫婦になると思っておったのですが……。帝都で天才機械士として活躍し、多忙を極めていた彼と辺境伯領にいる娘とでは、続けていくのが難しかったのでしょうなぁ」



 まさかシキの元婚約者に出会うとは。

 この時ばかりは、もっと調べればよかったと思った。



「娘は婚約者に会えぬことに耐え切れず、婚約破棄を申し出ましてな。武官の血が流れているとはいえ、娘も普通の令嬢だったのだと思ったものです。彼もすんなりと受け入れました。もう終わったことゆえ、どうか気になさらないでいただきたい」


「ええ、もちろんですわ」



 そう言いながらも内心動揺が収まらない。

 クリスティーナは無意識に、首元にあるペンダントを一撫でした。ひやりとした冷たさは、心をより粟立たせる。

 その時、侍女がノックとともに入って来た。



「失礼いたします。お茶会の準備が整ったようです」


「そうか。殿下をご案内して差し上げて」


「かしこまりました」


「殿下、夕食もご一緒していただけますかな?」


「もちろんです。お気遣いいただきありがとうございます」



 クリスティーナは軽く会釈して、侍女に先導されて応接室を出た。

 侍女に気づかれないように小さく深呼吸をする。

 少し廊下を進み案内された中庭に足を踏み入れると、微笑み合っていたシキとサラがこちらを見た。



(ああ、こういう二人をお似合いというのね)



 上背があり容姿端麗なシキと、儚げな雰囲気を持ちかわいらしい令嬢であるサラの二人が並び立つ。

 そんな二人の姿にまた気持ちが揺れる。

 軍人として腕を磨くのに忙しく、恋愛や結婚なんて興味がなかったのに。

 どうして、こんな。



「殿下、お待ちしておりました」



 クリスティーナに気がついたサラが、嬉しそうに微笑んだ。

 そのサラの後ろを支えるような位置にシキがいる。



「ティナ、閣下と話はできましたか?」


「ええ。とても気遣ってくださったわ。それとお礼を辞退しようと思ったのだけど、閣下からお礼として泊っていってほしいと」


「ふふ、父らしいです」


「素晴らしい方ね。そういうことだから、シキ」


「かまいません。安全面とティナの怪我の具合を考えるとその方がいい」


「では、ゆっくりしていただけるのですね。うれしい。さっそくお茶を用意させていただきますね」



 無邪気に微笑みお茶の準備をするサラに、クリスティーナは目を細めた。

 無邪気に微笑むだなんて、自分は一体いつからできなくなっただろうか。

 それはもしかしたら、記憶を失う前からかもしれない。



「ティナ、お話が」



 シキがすっと傍にやってきた。



「何? もしかして、元婚約者のこと?」



 心の揺れを隠して、さらりと言ってのける。

 シキが困ったように眉を下げた。



「知っていたのですか。後でお伝えしようとしていたのですが」


「閣下が教えてくれたわ」


「早く私から話すべきでしたね。サラは私の二度目の婚約者でした。色々あって婚約は破棄されました」


「……彼女を手放すなんてもったいないわ」



 自嘲のような響きがこもってしまったかもしれない。

 シキはいいえ、とゆっくりと首を横に振った。



「彼女は体が弱くて、無理をするとすぐに倒れてしまう。お茶会の準備も侍女がいるのに気になってしまて。彼女を支えてあげたいと思いましたが、妹のような存在でした。ティナとは違う」



 はっとして顔を向けると、こちらを見ていたシキと視線がぶつかった。

 そこにはクリスティーナへの熱が込められているようで、吸い込まれそうになる。



「ごほごほごほっ、うぅ……ぐ……っ」


「お嬢様!」



 突然、侍女の叫びが中庭に響いた。

 その叫びに反応すれば、侍女がいる先にサラが倒れこんでいた。



「サラ!」



 シキが駆け出し、クリスティーナも後に続いた。

 地面にうずくまっているサラは激しく咳き込み、顔を真っ青にしていた。



 ドクンッ



 不意にクリスティーナの心臓が激しく動いた。

 目の前が一瞬で暗くなり、映像がフラッシュバックする。



(なに、これ……)



 金色の髪と紫紺の瞳を持つ、よく似た幼い兄妹が焦りをにじませていた。





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