第32話 辺境伯領

 ドルレアン王都で滞在していた、リヒトホーフェン公爵家本邸を後にしたクリスティーナたちは、一路ヴィクトール帝国帝都を目指して馬車で移動していた。



「やっと帝国領内に入りましたね、ティナ。ここまでは順調です」


「そうね」



 国境の検問所を難なく通過した。ここまでレオンハルトに注意するように言われていた、第二皇子派からの刺客は現れていない。

 クリスティーナとシキは第二皇子派対策のために、リヒトホーフェン家が用意してくれた一般的な貴族用の馬車に乗り、中位クラスの貴族の子女の衣装を身に着けていた。



「この辺りはブランデンブルク辺境伯の領内かしら」


「よく知っていますね」


「公務で訪問しているわ。辺境伯は帝国軍で国境の警備を任せられる信頼の高い一族だしね」



 そっと馬車の小窓から覗けば、連なる山々に囲まれた自然豊かで緑の多い地域だった。

 ナウシエト遺跡とは正反対の方向にある辺境伯領は、自然環境も正反対だ。この地形が自然の要塞となっており、国境の警備を堅固なものにしている。



「この街は他国との交易が盛んですから、活気がある街をめぐるのも楽しいものです。ティナ、せっかくですからここでデートをしましょうか」


「デ、デート?」


「ええ、デートです。遺跡じゃなくて、ちゃんとしたデートにお連れしたかったのです」



 ふわりと柔らかく笑ったシキに、クリスティーナの胸が騒ぎ出す。



(どうしてこんなに心臓が……)



 どうもあの王宮のパーティーから、シキに対する自分の反応が変化しているように思う。

 からかわれることもあるが、基本的にシキは紳士で誠実だ。

 今までの婚約者とは違い、軍人としての自分を否定せず、隣に立って共に戦ってくれる。そして、クリスティーナを婚約者として大切に扱う。

 婚約破棄を狙っていたのに、少しずつ心を寄せているような気がする。

 こんなことは初めてだった。



「ティナ、デートのご経験は?」


「な、ないわ」


「私が初めてなんですね?」


「……そうね」


「嬉しい」



 シキが本当にうれしそうな表情をするから、まじまじと見入ってしまった。



(わたくしが初めてだと、そんなに嬉しいのかしら)



 そんな表情をさせることができたことに、じわりと嬉しさが込み上げてくる。

 そんな時、シキにすっと隣に腰かけられ、膝に置いていた手を握られた。

 とくん、とクリスティーナの胸が高鳴り、そろりと顔を上げると熱を帯びたシキの視線と交わる。

 お互いが見つめあった時、お互いが苦笑した。



「良い雰囲気だったのに」


「帝国領内に入るのを待っていたのかしら」



 何者かが追跡していることに、お互いが気配を察知した。



(おそらく第二皇子派でしょうね。しかもこちらが気づいていることに気がついて、堂々と追跡しているという感じね。さて、どうしようかしら)



「ティナ、このまま街へ行ってデートをしましょう」



 にっこりと笑って言ったシキの提案に、クリスティーナはニヤリと口の端を上げた。



「まあ、随分挑発的ね」


「そこは一石二鳥と言って欲しいですね。刺激的なデートになりそうです」


「わたくし、デートは初めてなのに」


「ティナは刺激的な方がお好きでしょう?」


「よくご存じね、婚約者殿。素敵なデートになりそうね」



 クリスティーナはふふ、と笑った。

 シキが御者に街へ行くように指示し、あえてのんびりと向かった。

 追跡者は距離を保ちながらついてくる。

 気配を消しきれていないところが、プロの刺客ではないのだろうと推測できた。



(だけどジェレミーお兄様のことだもの、これすら計算の内かもしれない)



 やがて辺境伯領内の大きな街に到着した。街並みが美しく活気がある街だ。もともとここで一泊していくつもりだったので、スケジュール通りではある。

 すぐにホテルに入りたいが、追跡者をどうにかしないことには落ち着かない。街に着いてからも、追跡者は一定の距離を保っていた。



「ティナ、どうぞ手を」



 先に馬車を降りたシキがエスコートをするために手を差し出し、クリスティーナはその手を取り馬車を降りた。



「私から離れないように」



 手を取られたまま、導かれたのはシキの腕。

 そのまま腕を組んで、恋人のように寄り添いながら歩き出した。



「シキ、あなた結構鍛えているのね」



 腕に手を添えると、がっしりとした鍛えられた筋肉を感じる。

 クリスティーナも鍛えている方だと思うが、女性ゆえ筋肉がつきづらい。

 うらやましい、と思ってぺたぺたと触っていると、シキにそっと囁かれた。



「ティナ、あまり触れられると誘っているのかと思いますよ?」


「さ、さ、さ……っ!?」


「ふふ、本当にティナは初心ですね」



 顔を真っ赤にして口をパクパクとさせていたクリスティーナは、反射的に離れようとした。

 しかし、シキにがっしりと腕をつかまれた。



「だめです。私から離れないで」



 優しく言っているのになぜか有無を言わさない声音に、クリスティーナは自然と従ってしまう。

 エスコートとは違う恋人のような密着に、恥ずかしいと思いながらもシキに寄り添って歩いた。


 活気のある街は賑わっている。

 中位クラスの貴族の子女がお忍びで街を散策している、と上手く思わせることができたのか、市場に行っても屋台の前を通っても気軽に声をかけられる。

 皇女であるクリスティーナにとってあまり経験ができないことだから、何もかもが新鮮だった。



(あら、あれは……)







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