第23話 公爵夫妻
クリスティーナが隣国ドルレアンで目覚めてから、五日が過ぎた。
シキの祖父であるリヒトホーフェン公爵家、正確には公爵家が所有する別荘の一つに滞在している。
ようやく体の痛みもひき、体を動かせるようになったのだが。
「ティナ、あーん」
「……」
「ほら、口を開けて?」
「は、恥ずかしいからやめて!」
クリスティーナはベッドの上でふるふると体を震わせ、キッとシキを睨んだ。
けれども、シキがにっこりと笑いながらリンゴが刺さったフォークを、口元に差し出していた。
シキは看病と称して、何かとクリスティーナの傍にいる。
目覚めた直後は、心配して親身になってくれていたのだが、だんだんとからかってくることが増えてきた。
今もこうやって堂々と。
(もう、からかってばかり! でも、きっと食べないって思っているはずだわ)
クリスティーナは悔しいから、差し出されたリンゴをぱくっと食べた。リンゴの甘酸っぱさが口に広がる。
少し驚いて目を丸くしたシキに、してやったりとほくそ笑んだ。
「失礼いたします。シキさま、旦那様と奥様がこちらにご到着されたのですが……」
部屋に入って来たのは、最初に目覚めた時に出会った侍女セリだ。
この別荘の専属の侍女らしく、目覚めてから献身に世話をしてくれている。
「わざわざ来られたのですね」
「シキさま。旦那様と奥様は殿下にご挨拶したいとおっしゃられているのですが……」
少し困ったようにシキを伺うセリに、彼は一つ息をついて、クリスティーナと向き合った。
「ティナ、私の祖父であるモガミ・リヒトホーフェンと公爵夫人のカエデが、皇女殿下に挨拶をしたいそうだが、どうしますか? 静養を理由に断ってもかまいません」
「いいえ。わたくしもお会いしたいわ。わたくしをこちらに置いてくださっているのだもの。ちゃんとお礼を言いたいわ」
「わかりました。セリ、ティナの準備を」
「かしこまりました」
シキの指示通りに、セリがクリスティーナの準備を手伝ってくれた。
シンプルだが上品なドレスが用意され、セリが着飾ってくれる。
準備ができたクリスティーナは、部屋に戻ってきたシキにエスコートされ、この屋敷の応接室へと入った。
そこには、黒髪の一部が美しく白く染まった、渋さがにじみ出る老年の男性と、柔和な顔つきをした上品な年配の女性がいた。
先にクリスティーナに気がついた男性が口元を笑ませた。
「これはこれは、皇女殿下。ご無沙汰しております。モガミ・リヒトホーフェンでございます。こちらは妻のカエデです。覚えておいでですかな?」
「ええ。リヒトホーフェン卿。それに公爵夫人も。その節はお世話になりました」
クリスティーナが計算されつくした美しい微笑を浮かべると、シキがあっ、という表情をした後、苦笑した。
そんな孫の表情を見たカエデがふふ、と笑うと、柔和な顔をクリスティーナに向けた。
「王弟殿下との婚約を破棄された後に、再びお会いできるとは思わなかったわ」
「わたくしもですわ。この度はわたくしをこちらに置いてくださり感謝しています」
「皇女殿下をお守りする……いや、孫の婚約者を守るのは当然のことですよ」
クリスティーナとシキの祖父母であるモガミとカエデが会うのは、実は初めてではない。
初めて出会った場所は、この国ドルレアンの王宮だ。
モガミは公爵家当主であり、この国の政治の中枢を担う人物の一人。そして公爵夫人であるカエデは、王太后の右腕と呼ばれるほどの人物である。
「ティナがドルレアンの王弟と婚約していたことを、すっかり忘れていました」
「ふふ。わたくしもこの国に来るまですっかり忘れていたわ。三人目の婚約者だったかしら」
クリスティーナは当時のことを思いだし、苦笑した。
この時ももう婚約することはないと思っていたが、今では七人目の婚約者を迎えている。
クリスティーナはモガミにすすめられて、応接室のソファに腰かけた。その隣に当然のようにシキも座った。
「この国から殿下が去られたことは残念でなりませんでしたよ。この国の膿を出してくださった、殿下のような気骨のある人物は少ないですからな」
「何をしたんですか、ティナ」
にこにこと笑みを向けるモガミとは対照的に、シキから胡乱気な視線を向けられたが、クリスティーナは嫣然と微笑んで見せる。
「あら。わたくしはただ王弟が外交の職務の裏で、海外の多くの令嬢をたぶらかしていたことを、みなさんに教えて差し上げただけよ」
「それだけじゃないでしょう?」
「そうね。外交ルートとは別ルートで勝手に交渉して、私腹を肥やしていたことも暴いたかしら」
「それはそれはすばらしい婚約破棄劇でしたな。王弟殿下の振る舞いは目に余っておりましたから。プライドも高い方でしたから、鼻をへし折るにはちょうどよかったですよ」
「おかげさまで、悪女と呼ばれるようになったけれど」
六人目の婚約者からも言われた悪女という評判は、このドルレアンから始まった。
三人目の婚約者であった王弟ナガト・ドルレアンは、端正な顔立ちで貴族令嬢に人気があった。
婚約破棄をされた王弟は、令嬢たちの噂好きを利用して、一方的にひどく振った悪女だとクリスティーナにレッテルを貼ったのだ。
はあ、と深くため息をついたシキは手を伸ばし、クリスティーナの頭をぽんぽんと撫ぜた。
「無茶をしないでください。それに悪女と噂を流されるなんて……」
「悪女である前に、わたくしは血を恐れない軍人よ。悪女ごとき、何を恐れることがあるのかしら?」
「さすが殿下でいらっしゃる。軍人としてもすばらしい方だと私は思っております。この国も何度か第三師団に助けてもらっていますからな」
「ふふ、お上手ね」
「……お爺様、ティナをそんなに褒めちぎって、何かあるのですか?」
シキがモガミをひたと見据えた。
モガミはにこにこと笑っていたが、その笑みを深くした。
「いい勘をしておるな、シキ。殿下宛にこれが届いておりますよ」
すっとクリスティーナの目の前に差し出されたのは、高位貴族からと思われる手紙だった。
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