第22話 国境越境


「お兄さま、わたくしも一緒にお話ししたい!」


「だめだ。お前は魔力コントロールの訓練中だろ」


「いやよ!」


「だめだ!」



 金色の髪と紫紺の瞳を持つ、よく似た幼い兄妹がにらみ合っている。

 そこへ、ほっそりとした黒髪の少年が近づいてきた。



「私はいいよ。今日はしっかり訓練できていたからね。少し疲れたし。今日はゆっくり話したい気分なんだ」


「ホント!? とってもうれしいわ!」



 キラキラとした笑顔を見せれば、黒髪の少年が優しく笑った。

 少女はうれしくなって、生き生きと元気よく飛び跳ねた。



「いいのか、妹に合わせなくていいんだぞ? それに疲れたなら体を休めないと」


「いいんだ。あんなに喜んでくれるなら」


「うふふ、とても紳士なのね。仲良くしてくれてうれしいわ」


「母上」


「お母さま!」



 兄妹が振り向くと、兄妹とよく似た美しい女性が微笑んでいた。



「クリス、魔力コントロールの訓練は順調かしら?」


「もちろん! お兄さまじゃなくて、魔力の強いわたくしがお母さまを守るんだから!」


「ふふ、頼もしいわね」


「だから」






 ……だから、






「お母さまを守るのは、わたくしよ!」


「……クリスティーナをお願いね」


「お母さま!」



 いつも微笑みを絶やさない母の顔がこわばっていた。


 建物全体が焦げた匂いがする。空気が熱くて、喉が焼けそうだ。

 パチパチと炎がはぜる音、時折、ドン、と何かが落ちる音がする。


 目の前の母に向って少女が叫ぶが、母は横に首を振るだけ。

 ここに兄はおらず、黒髪の少年が傍にいる。彼が少女の肩をぐっと引き寄せ、母に言った。



「私が守ります」


「体の弱いあなたに頼むのは酷だけど、どうかお願いね」


「はい」


「クリスティーナ、愛しているわ」



 大好きな母が、場違いなほど柔らかく微笑んだ。








「……っ」



 クリスティーナは、ぱちりと目を見開いた。

 呼吸は乱れ、背を伝う汗が気持ち悪い。



(あれは何だったの……?)



 あれは夢だったのか?

 それとも、自分が忘れてしまった幼い頃の記憶?

 自分とよく似た少女がいた。

 そして、おぼろげだった母も。

 最後に見た母の笑顔を思い出すと、心臓がぎゅっとなった。



「お目覚めですか!?」



 かちゃりと扉を開いた音がした。

 首を巡らすと、メイド服を着た女性が目を丸くしていた。



「あの……」


「すぐに呼んでまいりますね!」



 バタバタと駆けだした女性をただ見送った。

 彼女は見たことがない人物だ。



(……この部屋は?)



 クリスティーナはさっと周囲に目をやる。

 気品のある調度品が並べられた、典型的な貴族が好む部屋だ。

 けれども、帝国のインテリアとは趣が異なる。

 手のひらにはさらりとしたシーツの感触があり、自分が寝かされていることに気づく。



(……ここは、どこかしら)



 皇女としてその身が危険にさらされることもある。

 すぐに逃げられるように、体を起こした。



「痛……っ」



 バタバタと数人の足音が近づいてくる。

 痛みに耐えながら顔を上げると、そこには眉根を寄せて、心配そうな顔をしたシキがいた。



「ティナ! どうしました? まだ痛みますか?」


「……シキ?」


「ええ、そうです。ティナ、大丈夫ですか?」



 顔を覗き込まれた後、シキがすぐに医者を、とメイドに指示を出した。

 すぐさま中年の医師が駆けつけると、クリスティーナをさっと診察する。

 診察結果をシキに簡潔に説明した後、医師はメイドとともに部屋から出て行った。



「意識は戻りましたが、身体の痛みはもう少し続くそうです」


「あの」


「目が覚めて良かったです。なかなか目覚めないから心配しました」



 クリスティーナの頬に手を添えたシキが、ほっと安堵した表情を浮かべた。



「わたくし、どれくらい目覚めなかったの?」



 聞きたいことは色々あるけれど、最初に口にしたのはそれだった。



「一週間くらいですね」


「一週間……」



 その言葉を聞いて、クリスティーナははっとした。



「戦空艇は!? 第三師団は無事なの!?」


「第三師団は無事に撤退しました」


「良かった……」



 ほぅと安堵の息を吐いたクリスティーナに、シキが苦笑した。



「ご自分の身体のことより、第三師団なんですね」


「当り前よ。わたくしはどうなっても構わないけれど、団員たちの命はわたくしが預かってるのだから」


「ティナがどうにかなるのは、私が困るんですが」



 シキが眉尻を下げて、寂しそうに笑う。

 シーツの上に置いていた手に、シキの手が重なりきゅっと握られた。

 温かな熱に心臓が跳ねた。



(どうして出会って間もないわたくしに、そんな表情をするのかしら……)



 これまでの婚約者たちも兄ですら、そんな表情をクリスティーナには見せなかった。

 じんわりと伝わってくる熱に気恥ずかしくなってしまい、クリスティーナはぱっと手を放した。

 きっと頬も赤くなっているはずだ。

 そんな自分をごまかすように、クリスティーナは話題を変えた。



「あの成体のワイバーンはどうなったの? だって、あんな巨大な……」



 第三師団はナウシエト遺跡で作戦を遂行していたはずだ。

 そこでクリスティーナは魔獣の巨大化に遭遇したのだ。

 そして、戦空艇がワイバーンの攻撃を受けた。



(その後は……その後は? おかしいわ……記憶が抜け落ちている気がする)



「……わたくし、どうして体に傷を負ってるのかしら」


「……巨大なワイバーンを相手にしていましたからね」



 ワイバーンの攻撃を受けてしまったのだろうか。

 クリスティーナにはその記憶がない。

 気を失ったからなのか、それとも別の何かがあったのか。



「それよりも、遺跡で遭遇したあの魔方陣は、誰かが仕掛けたものとみて間違いありません」


「え?」



 思考の海に沈みかけていたが、シキの言葉に顔を上げた。



「ワイバーンを倒した後、あの場所から逃れるために、国境を越えて私の祖父の家に匿ってもらいました」


「匿ってもらった!?」



 予想外の言葉に目を丸くした。


 シキの祖父と言えば、隣国ドルレアンにあるリヒトホーフェン公爵家の当主だ。

 つまり、この場所が帝国領内ではなく、ドルレアン領内ということだ。


 宗主国である帝国の皇女という立場のクリスティーナを、何の打診もなく従属国とはいえ隣国の国境を越えさせた。

 外交において問題行動の一つとなってしまう出来事だ。クリスティーナだけでなく、シキもなんらかの処罰を受けてしまう。


 けれども、それをしなければならないほど、クリスティーナの身に危険が迫っているとシキが判断したということだ。



「ごめんなさい。わたくしのために……」


「婚約者として当然でしょう」



 何でもないことのように言うシキに対して、罪悪感が生まれた。

 自分は婚約破棄をしようとしているのに、リスクを負った判断をしてくれる。

 こんなこと、生まれて初めてだった。

 じわりと嬉しさがこみあげてきて、クリスティーナはそんな自分に戸惑った。



「このことはすでにレオンに報告しています。レオンがなんらかの手を打っているでしょう。心配ありません」


「お兄様はなんと……」


「これを機会に婚約者とイチャイチャするように、と」



(お、お兄様……!!)



 悔しいような、恥ずかしいような、相反する気持ちが込み上げ、真っ赤な顔をぷいっと横に向けた。






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