第20話 戦線離脱

  ふっと短い息を吐いたクリスティーナは、カヴァルリーのステップに軍靴をガチリと固定する。操縦桿を器用に操りながら、己の肚に力を込めて、すくっと立ち上がった。



「撤退なさい」


『クリス閣下!?』



「わたくし以外は全員撤退! わたくしが引きつけるわ。これ以上、被害を拡大することは許さなくてよ」


『何言ってんだよ!』


「わたくしは師団長。これは師団長命令よ。副官は従う以外の選択肢はないわ」



 通信機からはっと息を飲む音が聞こえた。

 クリスティーナはもう一度、黒いロッドを握りしめながら、なけなしの魔力を込めた。



「もう一度言う。撤退なさい。わたくしは皇女である前に軍人であり、第三師団の師団長よ。団員を最後まで守るのがわたくしの使命。あなたたちを生かす義務がある。指示に従いなさい」



 ハルバード、と呟けば、ロッドがブンッと低く短い音を発したと同時に、ぶわりと光を放つ。魔力で作られた鋭い斧が生成され、右腕に重みが加わった。



『……了解。閣下、必ず帰って来いよ』



 わずかな沈黙の後、エドワードが了承した。

 エドワードは通信機の向こうで、ナウシエト遺跡からの撤退を指示する。少ししてから戦空艇が戦場を離脱する動きを見せた。



「……シキ。今の話、聞いていて?」


「もちろん」



 クリスティーナは通信機を切りながら、雨を厭わず、今までの背後に控えていたシキに声をかける。



「あなたもよ。副官として従いなさい」



 ことは一刻を争う状況だ。戦空艇が離脱するサポートをすぐに始めなければならない。

 シキを振り返ることなく、クリスティーナは三度カヴァルリーの操縦桿をフルスロットルにし、雨を切り裂いて戦場へ向かった。


 クリスティーナの視線の先には、降りしきる雨の中、ドパパパパパンッ、と魔力のこもった弾丸が、三体の巨大化したワイバーンを襲った。

 第三師団の殿を務める戦闘部隊が、魔導ライフルで一斉に射撃したのだ。だが、巨大化したワイバーンたちは、避けることなくその体で受け止めていく。

 そこへ召喚されたワイバーンが翼を大きく広げて猛進し、長くて太い尻尾を振り上げた。団員は寸でのところで避けはしたが、風圧でカヴァルリーごと飛ばされた。



(なんて力なの……!)



 クリスティーナはカヴァルリーを加速させながら、唇を噛んだ。戦闘部隊はマルスがいない上、いつも以上に団員が減っている。これ以上、団員に怪我をさせるわけにはいかない。

 戦闘部隊がワイバーンを引きつけている間に、クリスティーナは雨雲に近づき姿を隠す。

 眼下ではドパパパパパンッ、と団員たちが後退しながら一斉に射撃した。しかし、ワイバーンたちはものともせず、速度を緩めず団員たちを襲う。



(そのまま、引きつけていて!)



 クリスティーナは魔獣たちの上空を取ると、一体の巨大化したワイバーンに狙いを定めて、一気にカヴァルリーを下降させた。

 ぐっと奥歯を噛みしめて、右腕に渾身の力を込め、ハルバードでズバンッと大きく斬りつけた。



「ギャアッ、ギャアッ!!」



 隙を突かれたワイバーンが痛みに声を上げるが、致命傷には程遠い。

 クリスティーナを敵と認識した魔獣たちが、血走った鋭い眼光でギロリと睨んだ。



「閣下!」


「クリス閣下!」


「撤退なさい!」



 クリスティーナは団員たちを背に隠しながら、すぐさま指示を出した。



「しかし……!」


「致命傷は与えられていないわ。師団長命令よ!」



 エドワードに告げたことをもう一度伝える。

 団員たちをちらりと見れば、ぎりっと奥歯を噛みしめているが、カヴァルリーをくるりと操り、戦空艇に向って走り出した。



「閣下、すみません!」


「クリス閣下、ご無事で!」


「必ず戻ってきてくださいよ!」


「わかっているわ。早く!」



 ギロリと睨んだワイバーンたちが翼を広げ、一斉にクリスティーナに向って猛進した。

 クリスティーナはすぐさま操縦桿を操作し、ワイバーンを振り切るようにカルヴァリーを加速する。



(そのままわたくしを追いかけなさい)



 降りしきる雨の中を縦横無尽に動き回り、長い尻尾や重い拳を振り上げるワイバーンたちの攻撃を避けていく。

 そして、避けながら視界の端に捉えたのは、戦闘部隊を引き上げて、順調に戦線を離脱する戦空艇だった。



(このままいけば、無事に撤退させ……、っ!?)



 瞬間、クリスティーナはぶわりと鳥肌が立った。殺気だ。



(下!?)



 すぐに殺気が飛んできた方向に視線を向ければ、召喚されたワイバーンが猛スピードで、こちらに突っ込んできていた。



(まずい! 避けきれない!!)


「ティナ!!」



 刹那、鞭のようにしなった魔力を帯びた三本の刀身が、電光石火の勢いで、側面から召喚されたワイバーンに深々と突き刺さる。



「ギャアアアアアアアッ!」



 召喚されたワイバーンが絶叫し、全身を痙攣させた。そのまま魔力の炎に焼かれ、塵となって消滅した。

 息を飲んだクリスティーナの視線の先には、魔刀アシュラを構えたシキがいた。

 さらにシキは、八の字を描くようにすばやく刀を動かす。再び刀身が三本に増えてビュンッと鞭のようにしなり、今度は後ろに控えていた三体の巨大化したワイバーンに襲い掛かかった。



「ギャアッ、ギャアッ!!」



 ワイバーンたちが痛みに声を上げる。三本の刀身が次々にワイバーンを斬りつけた。

 致命傷には至らないが、魔刀アシュラを嫌がったワイバーンたちは、バサリと翼を羽ばたかせてゆっくりと旋回すると、大きく後退した。



「シキ!」



 眉根を寄せたクリスティーナはワイバーンと距離を取りつつ、シキのもとへカルヴァリーを寄せた。



「ティナ、大丈夫でしたか?」


「あなた、撤退を命じたはずよ!」



 シキに助けてもらったのはありがたいが、上官の命令に従わないのはいただけない。

 クリスティーナが食って掛かれば、シキは秀麗な顔を顰めた。



「婚約者を置いて逃げる男が、どこにいるんですか」


「婚約者の前に、わたくしは上官よ!」


「私は副官の前に婚約者です。助けるに決まっているでしょう」


「でも!」


「ほら、ワイバーンが来ますよ!」



 クリスティーナは唇を噛みつつ、再び翼を羽ばたかせて接近してくる三体のワイバーンを睨みつけた。

 それに反応してか、威嚇するようにワイバーンがギャアッ、と咆哮を上げ迫ってくる。

 クリスティーナとシキは一瞬視線を交わし、同時に左右に分かれてカルヴァリーを加速した。



(わたくしについてきたのは、ワイバーン一体ね)



 巨体を揺らし飛行するワイバーンが、クリスティーナの背中を追ってくる。ちらりと後ろを確認したクリスティーナは、さらに速度を加速した。

 シキが戦闘に加わっているとはいえ、この状態の三体と同時に戦うのは分が悪いなんて、初めからわかっている。今は戦空艇が撤退できればいい。その時間を稼ぎたい。



(早く離脱ラインを越えさせないと……)



 クリスティーナはハッと息を吐いて、右手のハルバードを握りしめ、構えた。

 すぐさまカルヴァリーを操作し、くるりと方向を転換した。すると、なぜかワイバーンもくるりと方向を転換した。



「え?」




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