第19話 戦況急変
「お見事です。私の力は必要なかったですね。力になりたかったんですが」
ゆっくりと近づいてきたシキが、少し眉を下げてクリスティーナを褒めたたえる。
「ふふ、副所長の手を煩わせるにはいかなくってよ。無事に解析はできたのかしら?」
「もちろん。ティナのおかげで」
「良かったわ。それじゃあ……」
ジジー、ピッと通信回線のノイズの後に軽やかな音が鳴った。
会話を遮るように、クリスティーナのイヤーカフの通信機が反応した。
『クリス閣下、クリス閣下!』
通信機から聞こえてきたのは、戦空艇の指揮を任せたエドワードの声だった。
魔導武器を元の黒いロッドに戻しながら応答する。
「こちら、クリス。エドワードどうしたの?」
『閣下、成体のワイバーンが巣へ戻ってきた! たぶん雨が降って来たからだと思う』
クリスティーナは眉を顰めた。もう少し時間を稼げると思ったのだが。
遺跡内部にいる時にワイバーンが巣に戻ってきてしまえば、ここからの脱出が難しくなってしまう。
『まだ遺跡までの距離はあるが、すぐに戻ってきてくれ!』
「わかったわ。すぐに戻るわ!」
『気をつけて戻って来いよ!』
「あなたもね」
イヤーカフを触って通信を切ると、シキと目が合った。
彼もイヤーカフを触っているから、エドワードの通信を聞いていたのだろう。
「ギリギリ間に合った、ってところですかね」
「そうね。良かったわ。すぐに遺跡を出ま……、っ!?」
刹那、ビイイイイィン、と高音の不協和音が耳を劈く。
クリスティーナはぶわりと鳥肌が立ち、反射的に首を上げた。視界が捉えたものに目を瞠った。
「何、これ……」
「こんなものは、先ほどまでなかったはずです」
見上げた先にあったのは、緑の光を帯びた禍々しい気配を放つ魔法陣だった。
クリスティーナがごくりと生唾を飲み込んだその時、魔法陣が不穏な光を放ち始め、ビカビカと煌めいた。眩しくて目を細めていると、魔法陣から勢いよく風が吹き、クリスティーナはたたらを踏んだ。
風はやがて竜巻のようにぐるぐると渦を巻き、砂埃をまき散らす。
ひと際輝きを放ったその時、瞬間、魔法陣そのものから魔獣の手足が現れ、ズズズズッとその正体を現した。
「ギャアアアアアアアッ!」
魔獣の咆哮は遺跡内部を揺るがす。ミシリ、ミシリと遺跡の壁を軋ませた。
「うそ、ワイバーン!? まさか召喚!?」
魔法陣から出現したのは、翼を持ち大きな体躯のワイバーンだった。
ワイバーンが近くにいたクリスティーナを見つけると、ニヤリと笑ったように見えた。
その瞬間、禍々しい気配を放つ魔法陣がワイバーンに吸収される。
もう一度咆哮を上げれば、ワイバーンはその体躯に緑の魔力を帯び、凶暴なオーラを放った。
「魔法陣を吸収した!?」
クリスティーナは目を丸くした。魔法陣を吸収するなんて見たことがない。
しかし、目の前のワイバーンはそれをやってのけて、攻撃力が上がっているのが気配でわかる。
そのワイバーンが翼を大きく広げ、クリスティーナに狙いを定めて、ビュンと急滑降した。
「ティナ、伏せて!」
シキの声で反射的に身体を地面に伏せた。
刹那、ビュンッと鞭のようにしなった、魔力を帯びた三本の刀身がワイバーンに深く突き刺さる。
(魔刀アシュラ……!)
「ギャアアアアアアアッ!」
ワイバーンが咆哮を上げて、横にずれて飛び降り、ガガガッと激しく壁にぶつかった。そのままドオオオオン、と轟音とともに、ワイバーンの巨体に壁の瓦礫が降り積もる。
その隙にクリスティーナはすぐにその場から離れ、シキのもとへ駆け出した。
「ティナ、大丈夫ですか?」
「シキ、助かったわ。ありがとう」
「すぐにここから離れましょう。ワイバーンを仕留めきれていません。防御力も上がっていそうです」
「ここで相手をするのは骨が折れそうね」
討伐するなら外の方が良いに決まっている。長居は無用だ。
二人とも停めていたカヴァルリーに急いで跨り、操縦桿を操作する。ブーンと低い羽音のようなモーター音が聞こえたと同時に、フルスロットルで回すとすぐに、ブワンと勢いよく浮いて離陸した。スピードを上げて、元来た道を辿る。一度通った進路は、行きより随分早く感じられた。
「どうしてワイバーンが召喚されたのかしら?」
スピードを緩めず、クリスティーナは疑問に思っていたことをシキに問うた。
「わかりません。ただこの遺跡のワイバーンの巣は、あの魔法陣が原因の可能性が高そうですね」
魔法陣はそのほとんどが人によって作られたものだ。
どんなに古くても、それは過去の人間が仕掛けたものに他ならない。
だとしたら、あの魔法陣はこの遺跡に仕掛けられていたものと考えるのが自然だ。
けれども、クリスティーナはどうしてもひっかかりを覚える。
(あの魔法陣は、本当に過去の人間が作った物なのかしら……?)
「ティナ、出口です!」
クリスティーナが首を上げると、上空から光が降り注いでいた。最初に入った遺跡の大穴だ。
眩しさに目を細めながら操縦桿を操作して、さらにカヴァルリーを加速させる。
その瞬間、遺跡の内部全体を震わすような咆哮が、遺跡の底から響いてきた。
「ギャアアアアアアアッ!」
「え!?」
クリスティーナが慌てて視線を下に向けると、大きな塊が猛スピードで迫ってきていた。
「ワイバーン!?」
ばさりと翼を大きく広げたワイバーンの猛進を、二機のカヴァルリーがバランスを崩しながら、間一髪のところで避けた。どう見ても先ほど戦ったワイバーンだ。
カヴァルリーの態勢を戻しながら、目を丸くしているクリスティーナたちをよそに、ワイバーンが大穴へと向かい、彼女たちより先に地上へ出た。
「まずいわ!」
クリスティーナは眉を顰めて、耳のイヤーカフを触り、通信機を起動させた。
ジジー、ピッと通信回線のノイズの後に軽やかな音が鳴り、交信を開始する。
「こちら、クリス。応答して。そちらにもう一体ワイバーンが行ったわ!」
『閣下! こっちに戻って来るな!!』
「どうして!? 何が起こっているの、報告を!」
『成体のワイバーン三体と交戦中。何かわかんねーけど、緑色の光が溢れた後、三体とも急に巨大化した! 戦闘部隊に負傷者が続出。マルスも団員を庇ってやられた! 普通じゃない!!』
報告にクリスティーナは生唾を飲み込む。
まさか魔法陣が外にいたワイバーンを強化したのではないだろうか。
背中に嫌な汗が流れる。
「すぐに行くわ!」
再びカヴァルリーの操縦桿をフルスロットルにし、速度を全開にして大穴を飛び出した。
飛び出した先の遺跡の外は、ザアアアァと音を立てて雨が降り出し、すぐさま髪がしとどに濡れた。
『閣下、来るな! 来なくていい!』
「何を」
『閣下。逃げろ! こっちでワイバーンを引きつけおく。閣下は皇女だ。失うわけにはいかない!』
「……何を言っているの」
地を這うような低い声が出る。無意識にぎりっと奥歯を嚙みしめた。
まさか団員のエドワードから「皇女」の地位を理由に、守られるとは思わなかった。
クリスティーナは身体が雨で冷えていくのも厭わず、眼前に広がる戦況を紫紺の瞳で鋭く見つめる。
上空では愛してやまない戦空艇と戦闘部隊、三体の巨大なワイバーンが交戦していた。部隊長であるマルスがいない影響が出て、ワイバーンに圧されてしまっている。
そしてそこへ、遺跡から召喚された、能力が上がったワイバーンが合流しようとしていた。
戦空艇には魔導弾があるが、中長距離が有効であって、この距離では被害が拡大しかねない。
戦況は刻一刻と厳しい状況になっていく。
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