第12話 研究所員
戦空艇のドックから繋がる細い通路を行くと、先立って歩いていたシキが立ち止まった。
クリスティーナがシキの背中越しに見ると、彼がわずかに錆びついた鉄製の扉のドアノブに手をかけ、ガチャリと開けていた。
「ティナ、どうぞ。ここが……」
「ちょっとシキさん、どこに行っていたんですか!? 探していたんですよ! 確認してもらいたいものが……って、え!?」
案内された研究室に入ったとたん、青い軍服を着た青年が、ぽかんと口を開けて固まった。
どうしたのかしら、とクリスティーナが小首を傾げるのと同時に、青年が叫んだ。
「ひ、ひぇっ! 何でここに噂の悪女殿下が!? ウソでしょ……」
ドタン、と大きな音を立てて青年が尻もちをつき、後ろへずりずりと下がる。クリスティーナの顔を凝視したまま、どんどん青ざめていく。
騒ぎを聞きつけたのか、研究室の奥から、やはり青い軍服を着た二人の青年が駆けつけてきた。
「どうした、ヨアン……って、うわぁ! なぜここに悪女殿下が!?」
「遠くからしか見たことなかったけど、すげー美人! 良い匂いがするねぇ」
彼らは鼻息荒く、興奮を隠さないまま、クリスティーナをまじまじと見る。
こんなところまで自分の評判が伝わっているのか、とクリスティーナは逆に感心した。
「ヨアン、叫ばない。ポール、ご本人に悪女と言わない。それとハンス。嗅ぐな、変態が」
シキがクリスティーナをさっと背に隠し、言葉の終わりはドスの利いた低音で、冷ややかに睨みつけた。
「やだなー、シキったら。冗談、冗談だよねぇ」
「おい、ハンス。やめろ。シキ、マジで怒ってんじゃん!」
シキに睨まれているのにへらへらと軽々しいハンスに、髪を逆立てて慌てふためくポールの振る舞いが、第三師団の団員に重なって、クリスティーナは思わずひょっこりと姿を見せた。
「面白いのね、あなたたち。研究者だからもっとお堅いのかと思っていたわ」
団員とどこか似ている所員たちと目が合うと、クリスティーナはふふふ、と目尻を下げて柔らかく笑った。
「皇女殿下が笑った!」
「かわいいねぇ!」
「うるさいですよ、あなたたち。皇女殿下の御前です。それに本日は師団長としてお出でになったのでで、閣下とお呼びするように」
ポールとハンスが目を丸くして、鼻の下をデレっと伸ばした。
シキはその様子に溜息を零すと、愁傷に詫びを口にする。
「すみません、うちの所員がお騒がせして」
「気にしてないわ。第三師団も似たようなものだもの。みなさん、初めまして。お仕事のお邪魔だったかしら?」
「滅相もない。閣下ならいつでも!」
「閣下、どうぞお席にお座りください。案内しますねぇ」
「いや、それは私がするんですが……」
簡単にあしらわれているシキの珍しい姿に、クリスティーナはわずかに目を見開いた。
彼らは研究所の所員たちで、ポール、ハンス、ヨアンと名乗ってくれた。
ポールとハンスはシキと同期で、ヨアンはその一つ下ということだった。
ヨアンだけはクリスティーナを未だ警戒してか、ポールとハンスの後ろに隠れてこちらを伺っていた。
「閣下、今日はどうしてこちらに? 研究所なんて滅多に客がこないところなんですが」
案内された、研究所内にある応接セットのソファにクリスティーナが腰かけると、待ってましたとばかりにポールから質問が飛んできた。
「製作会議で提案したいことがあって、シキに招待してもらったのよ」
「え、閣下が製作会議で提案を!? 閣下は悪女ではないのですか?」
「ヨアン、口が過ぎますよ。それに噂を鵜呑みにするものではありません」
シキに諫められながら隠れていたヨアンがひょこっと顔を出す。どうやらクリスティーナに興味を持ったらしい。
「あの、閣下がどうして提案なんて? 正直、うちの連中はそれなりのレベルですし、必要な魔導機械や武器はすでに作らせてもらっていると思うんですが」
「その中であえて提案されるんですねぇ」
ポールとハンスが不思議そうにクリスティーナを見て、首をひねった。
その様子にどこか違和感があり、クリスティーナはわずかに片眉を上げた。
(驕り、なのかしら……)
一瞬思考の海に沈もうとしたが、ぐっと顔を出して目をキラリとさせたヨアンの声で、我に返る。
「もしかして、閣下は魔導機械や武器にお詳しいのですか!?」
「ええ。第三師団の武器はわたくしが考えて、第三師団の技術士が作っているのよ」
「わわわ、ホントですか!? オリジナルの武器を作っているなんて、すごい!」
「だから、提案しにきたのよ。シキが第三師団の副官になった縁もあってね」
「そうだ、こいつ第三師団の副官になったんだ!」
「シキってば……うら、うら……うらやましい!!」
ガタリ、とポールとハンスがガタリと立ち上がり、拳を握って叫んだ。
予想外の反応をされ、クリスティーナはぱちぱちと瞬きをする。
てっきり、第三師団にも所属したことを裏切った、とでも言うかと思っていたのだが。
「あの……裏切り者ではなくて?」
「単純にうらやましいですねぇ。美人さんの閣下と一緒ですよ? 専属の技術士もいるというし、オレたちでもいいじゃないですかねぇ?」
「ティナ、もうこの者たちの相手はしなくてもいいですよ」
呆れて投げやりなシキの態度とは対照的に、シキの言葉にポールとハンスはぴしりと身体を固くし、息を飲んだ。
「……待て待て待て。シキ、閣下を愛称で呼んでいるのか?」
「もちろん。あれ、言っていませんでしたか? 先日、私はクリスティーナ皇女殿下の婚約者になったんですが」
「「「はああああ!?」」」
息の合った、素っ頓狂な声が部屋に響く。三人ともこれでもかと目を丸くした。
「お、お前……ホントか!?」
「シキってば、よく考えたら公爵家のボンボンだったよねぇ」
「それに、シキさんは皇太子殿下のご友人だったような」
三者三様の驚きの後、三人の顔は一気にクリスティーナに向いた。
「閣下、いいんですか? シキさんは機械が永遠の恋人ですよ!」
「顔がいいことに、去る者追わずを地でするヤツだしねぇ」
「悪いことは言いません。シキはやめた方がいいです。傷つきますよ!」
三人ともマシンガンのようにしゃべりだし、圧倒されたクリスティーナは思わずポカンと口を開けた。
「えっと。わたくし、六回も婚約破棄をしているし、傷はすっかりついているわよ?」
「閣下とシキは違いますよ」
「シキも婚約破棄されていますけどねぇ。シキの場合、機械ばかりいじくってて、愛想つかされていますからねぇ」
ポールとハンスが頷きながら言っている言葉に、クリスティーナは目を丸くした。
(しまった、迂闊だったわ。情報の取り忘れがあるなんて)
いつもなら婚約者の仕事やプライベートについて、洗いざらい調べ上げる。
けれど、今までの婚約者たちはクリスティーナが初めての婚約者だったし、シキの場合、兄の友人であったから、婚約破棄をしている情報があるとは思わなかったのだ。
「まあそうですね。二回ほどですが」
「まあ、二回も。意外ね」
「意外ですか。確かに複数回の婚約破棄なんて、普通はありませんからね。そう考えると、ティナには複数回経験している私こそ相応しいでしょう?」
クリスティーナをじっと見つめて、シキが目を細めてにっこりと微笑んだ。
(相応しい? ……正気かしら?)
常識の外からの答えに、クリスティーナは半目になり、呆気にとられてしまった。
「うわー、キザだねぇ」
「自分の顔の良さをわかった上でのセリフですね」
「いっぺん崖から落ちろ」
すぐさま反応したのは同僚たちの方で、シキがどことなくむくれている。
そんな彼の姿に、思わず声を立てて笑ってしまった。
「シキったら、言われ放題ね」
今日はシキの意外な部分を目にしている。
婚約破棄を二回も経験していることもそうだが、第三師団を一気に自分のテリトリーにしてしまったあの貫禄が、鳴りを潜めている。
そんな姿もあるのだと、クリスティーナはほんの少し親近感を持った。
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