第11話 軍事機密

 帝都郊外にあるヴィクトール帝国軍指令本部は、ロの字型に建てられた本棟を中心に、広大な敷地面積を誇る。

 その本棟よりもやや離れた場所に、ひっそりと石造りの塔があった。塔は古びていて石壁は風雨によって風化し、装飾の鉄柵は随分と錆びついていた。



(古びた塔はカモフラージュ。お兄様はそう言っていたわね)



 紅の軍服姿のクリスティーナは、天を仰ぐように見上げた後、塔の鉄製の扉の前に、誰かが立っていることに気がついた。

 彼女はその人物を目指して舗装された道を進んでいると、相手も気がついたようだ。



「ようこそ、誇り高き魔導研究所へ」


「お招きいただきありがとう」



 塔の前で待っていたのは青い軍服を身に纏い、優雅に腰を折って恭しく挨拶をしたシキだった。

 シキと出会ってから数日後。約束通り、クリスティーナは魔導研究所にやってきた。



「初めてだわ、ここに来るのは」


「場所柄、軍事機密が多いですからね」



 魔導研究所は軍人でも皇女でも、おいそれと入れる場所ではない。

 戦空艇や魔導武器が生み出された場所かと思うと、クリスティーナは身体中がむずむずとして、胸が躍るのを止められない。

 けれでも、シキの手前、落ち着き払った振る舞いを徹している。



「ティナ、お手を。お連れいたしましょう」



 すっとエスコートのために差し出された手を見て、ツンとそっぽを向いた。



「結構よ。わたくしは婚約者としてきたのではないわ。それよりも、わたくしはあなたの上官ではなくって?」



 招待されたのはあくまで第三師団師団長だ。婚約者として振舞うはずがない。

 不遜に目を細めて見据えれば、シキがふっと笑った。



「つれないですね。せっかくエスコートをさせていただこうと思ったのですが。では、改めてクリスティーナ閣下、ご案内いたしましょう」



 こちらです、と言われて、シキを先頭に鉄製の扉をくぐる。

 扉の先は薄暗い通路が続き、そこを少し進むと、網目状の鉄柵に囲まれた昇降機が現れた。

 シキが昇降機のボタンを押して扉を開け、クリスティーナに乗るように告げた。

 箱の中は二人が乗り込むだけで、肩が触れそうになるくらいに狭い。

 クリスティーナがふと顔を上げれば、昇降機のボタンを操作するシキの、思いのほか真剣な表情が間近にあって、とくりと胸が跳ねた。この近さは慣れない。


 ギギギギ、と扉が軋む音とともに閉まると、昇降機のモーター音が静かに鳴った。

 一瞬、足元にふわりと浮遊感を感じた後、緩やかに下降し始める。

 この昇降機は、どうやら塔の地下へと案内してくれるようだ。



「上官殿は今日お一人で来たのですね。お供はどうされましたか?」


「お供? エドワードのことかしら」



 胸が跳ねたことがバレないように、一つ呼吸をしてから、シキから視線を逸らした。



「一緒に行きたがったのでは?」


「そうだけど。どうしてわかったの?」


「想像をするのは容易ですが?」



 どこか呆れたような声音に、クリスティーナは小首を傾げた。



「そうなの? 副官だからといって、ともに行動する必要はないわ。彼にはわたくしがいない間の師団をお願いしているもの。今日招かれたのはわたくし一人だし。……それに」


「それに?」


「副官は彼だけじゃないわ」



 クリスティーナは背の高いシキを見上げて、強い眼差しでじっと見つめれば、シキが目を瞠った。



「……私、ですか?」


「今日にふさわしい副官だわ。あなたの初仕事でしょう。期待しているのよ?」



 第三師団の副官に任命された青い軍服姿の男なんて、利用する外ない。

 クリスティーナが嫣然と微笑めば、シキが肩をすくめた。



「魔導研究所と第三師団の板挟みですね。立場的にはつらいことです」



 わざとらしく溜息を零して眉尻を下げているが、全く辛そうな声色ではない。

 そういう態度が彼の本心を覆い隠す。

 つかめないわね、とクリスティーナは内心で舌打ちをした。

 その時、ガガガゴン……と鈍い金属音が響き、足元ががくんと揺れた後、モーター音が止まった。どうやら目的階に着いたようだ。



「降りてください。ここからすぐです」



 再びギギギギ、と軋む音とともに扉が開き、シキに促されて降りると、目に飛び込んできた光景に肌が粟立ち、引き寄せられるように一歩、二歩と進んだ。



「これは……」



 クリスティーナの眼前に現れたのは、一機の巨大な戦空艇を飲み込む大きな空間だった。

 ここは戦空艇のドックなのだろう。船舶のドックと同様、周りを階段状の壁にぐるっと取り囲まれている構造になっている。何基もある魔力を利用した照明が下を向き、戦空艇を煌々と照らしている。

 クリスティーナがいる場所は、ちょうど階段状の壁の一番上の部分だから、戦空艇がよく見える。

 彼女は立ち尽くすように動かず、この光景から目が離せなかった。



「ここは魔導研究所の中心部にあたりますが、この場所は所員が戦空艇の研究を行っている場所です」


「地下にこんな広大な施設があったなんて、知らなかったわ」


「軍事機密ですからね。一部の人間しか知りません。皇太子殿下からこの話を聞いたことは?」


「あのお兄様が教えてくれるはずがないわ。ただ一言、古びた塔はカモフラージュだと」


「殿下が言いそうなことです。この研究施設は、数年前に皇太子殿下の肝いりで造られたものです。これまでの戦空艇の開発もここで行いました」



 ここで愛してやまない戦空艇が生まれたのか、とクリスティーナは目を細めた。

 戦空艇は世界初の空飛ぶ戦艦だ。

 これをシキや研究所所員たちが開発したのだ。相当優秀であることは間違いない。

 シキは「誇り高き魔導研究所」と言ったが、自称でも何でもない事実なのだ。

 そして、目の前にある戦空艇は見たことがない型だ。プロペラの数や船体の装甲が違う。



「この戦空艇は?」


「やはり気になりますか。これは新型ですよ」


「新型?」


「現在開発中のものですよ。例えば装甲はこれまで木造でしたが、ミスリルを使用して強化しました。速度の向上のためにプロペラの数を増加。さらに、その動力源を魔導石じゃないものを搭載しようと進めていて……」


「待って。そんな機密情報を、わたくしに話しても大丈夫なの?」



 研究者特有の堰を切ったように話すシキに対して、思わず口を挟んでしまった。

 専門家の意見を聞くことは胸が躍るが、そわそわしてしまう。

 けれども、シキはきょとんとした後、何かに気がついたかのようにふっと笑った。



「大丈夫ですよ。新型がお披露目される時は、総力を挙げて大々的にやるでしょう。その時、この新型に誰が乗っていれば派手な演出ができるのか? レオンの考えていることぐらい、残念ながらわかるのでは?」


「……そうね、残念ながら。その時がきたら、真っ先にお兄様と顔を合わせることになるわね」


「だからティナには、このぐらいの情報は問題ありませんよ」



 シキの兄への理解力の高さに、クリスティーナは思わず笑ってしまった。

 兄が友人と言ったのを半信半疑で聞いていたが、本当に友人だったのか、と感心してしまう。

 皇族という立場上、そういった対等な関係性を得るのは難しいものだ。少し兄が羨ましい。



「お兄様のことをレオンと呼ぶのね。シキはお兄様の友人だと聞いたわ」


「そうですね。付き合いの長い友人です」


「そう。もしかして、わたくしもあなたと会ったことがあるのかしら?」



 ぽろりとこぼれ落ちた言葉に、あ、とクリスティーナは目を瞠った。

 無防備な質問だった。

 記憶にない己の過去を、普段顧みることはないのに。



「……どうして?」


「いえ、今のは忘れてちょうだい」



 こちらを訝しむ声に、ふるふると首を振って否定を示す。

 早く話を切り上げたくて、どうしようもなかった。



「この空間をいつまでも眺めていたいけれど、そろそろ先へ進みたいわ」


「そうですね。この奥が私たちの研究室です。こちらです」



 背中を向けて新たな通路を進むシキに、クリスティーナは少し遅れてついていった。

 不自然な切り上げ方に、シキがどんな表情をしているのかはわからない。

 とりあえず、最大の秘密に手を伸ばされなったことに、そっと安堵の息を零した。







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