第9話 新任副官


「閣下から離れてもらえねーかな。ザートツェントル殿」



 ドンドンドン、と荒々しい靴音を立てて、体格のいい赤い軍服が、ぐいっとクリスティーナとシキの間に割って入った。

 肩を怒らせ、腹の底に響くような声を発したエドワードだ。

 クリスティーナはホッと息を吐いたが、すっと距離をとったシキが、降参のポーズを取りながら悪びれもなく笑った。



「すみません。つい婚約者とイチャついてしまいました」


「イ、イチャついてなんかないわ!」



 声が上ずりながら噛みつくクリスティーナを、エドワードがさっと背に隠し、威嚇するように睨みつける。



「クリス閣下はあんたの上官になるんだぞ」


「上官ね。……君は先輩副官殿ですか?」



 突如、シキの纏う雰囲気が、肌を刺すようなものに変わった。

 口角は上がっているのに、切れ長の双眸に冷ややかな温度が宿る。



「エドワード・トリアトトだ。これ以上閣下に近づくなら、容赦しねーよ?」


「へぇ……副官殿は保護者ですか? それともナイト気取り?」



 エドワードの背中越しにちらりと見れば、シキの冷淡な双眸と視線が絡んだ。

 彼の端正な容貌も相まって、どこか凄みがある。

 エドワードの足元を見ると、本人は気づいていないのだろうが、一歩足を退いている。



(なかなかのプレッシャーだわ……なぜ、そんなことを……?)



 先ほどまでは穏やかな振る舞いだったはずだ。

 困ったように眉を寄せたクリスティーナが、シキから目を離せずにいると、彼は目元をふっと和らげ、ニヤリと口の端を上げた。



「ああ、なるほど。副官としては心配でしょうね。社交界では悪女と評判が立っていますが、恋愛には初心そうな感じがしますからね、ティナは」


「ティ、ティナですって!?」


「か、閣下のことを、そんな愛称で!?」



 面食らった表情のクリスティーナとエドワードに対して、シキがこてんと首を傾げた。



「皆さんはクリス閣下と呼ぶのでしょう? 私は婚約者だからティナって呼びますね」


「勝手に決めないでくださる!?」



 かああっと頬を上気させたクリスティーナは、エドワードを押しのけて叫んだ。

 第三師団の団員からはクリス閣下と呼ばれているし、兄や父帝もクリスと呼ぶ。

 クリスティーナとしても、中性的な響きが気に入っていた。

 女性であるという煩わしさが、少し減る気がするからだ。

 それなのに、彼は女性的な響きを持つ名前で呼ぶと言う。



「もしかして特別感が出て恥ずかしいのですか? やっぱり初心ですね」


「なんですって!?」



 ニヤニヤしながら言い放つシキに、頭にカッと血が上る。

 クリスティーナはシキに詰め寄り、自分より頭一つ分背の高い彼を見上げた。



「う、初心なんかじゃないわ! わたくしには六人も婚約者がいたのよ。恥ずかしくともなんともないわ!」


「へえ、恥ずかしくないんですか?」


「当たり前でしょう!」


「ティナでいいんですね」


「いいわよ。呼べばいいでしょ、呼べば!」


「それでは、許可が出たということで」



 にっこりと笑ったシキに、はっと目を見開いた。



(し、しまった……っ)



 一瞬で顔から血の気が引いた。

 売り言葉に買い言葉。勢いあまって、とんでもない約束をしてしまった。



「ひ、ひきょうよ!」


「ティナが許したんでしょう?」



 思わずシキの胸倉をつかんで、クリスティーナはギリリと睨みつけた。

 なんという腹黒。さすが兄に友と言わしめた人物。

 それに高位貴族の扱い方を分かっているのは、さすが公爵令息と言ったところか。



「閣下、カワイイ。萌える!」


「これは珍しいよな、モニカ。振り回されてるよ。閣下がお姫様にしか見えない」


「マルスさん。閣下は本物のカワイイお姫様ですよ。はぁ、カワイイ」


「カワイイって言わないで。わたくしはお姫様じゃなくて、軍人!」



 クリスティーナが噛みつけば、モニカとマルスぷっと吹き出し、意に介さず茶化す。

 シキもくすくすと笑うから、クリスティーナが子どもっぽくムッとしていると、胸倉をつかんでいる手にシキがそっと触れてきた。



「そろそろこの手を外しましょうか。ティナに触れられ続けると、私がどうにかなってしまうかもしれませんので」



 クリスティーナより一回り大きく無骨な手のひらが、彼女の手を優しく包み、きゅっと握りしめた。

 触れた硬い皮膚が彼の熱を伝えてくるようで、胸の鼓動が早鐘を打ち、落ち着かない。

 さらに蜂蜜のようなとろりとした視線を向けられて、クリスティーナは耐えられなくなり、パッと胸倉から手を放した。



(な、何なの! 調子が狂うわ。わたくしとしたことが、翻弄されている気がする……)



「コイツ、さっきから油断ならねーな!」



 戸惑うクリスティーナの意識を戻したのは、エドワードの叫びだった。

 ふうふうと動物のように呼吸を荒げるエドワードの背中を、ポンポンとマルスが軽く叩く。



「まあまあ、エドワード。落ち着けや」


「これが落ち着いていられるかよ!」


「面白いヤツがきたじゃねーか。第三師団にとって、いい刺激になるんじゃねーか?」



 ワハハと豪快にマルスが笑うが、エドワードは納得がいかず口をへの字に曲げる。

 シキがそれを見て苦笑しながら、マルスに声をかけた。



「そう言っていただけると助かります。あなたは?」


「俺はマルスって言うんだ。よろしくな。平民だから敬語は勘弁してくれよ?」



 茶目っ気たっぷりに挨拶をしたマルスに、貴族らしい嫌がるそぶりをみせず、シキがよろしく、と手を差し出し握手を交わした。



「ティナがあなた方の振る舞いを許しているのでしょう? だから私も気にしませんよ」



 さも当然だというような態度のシキに、クリスティーナはわずかに目を瞠る。

 確かにこれらの振る舞いについては、クリスティーナが許しているが、貴族社会や帝国軍の他の部隊では、身分に敬意を払わないのは許されないものだ。

 他から見れば異常な雰囲気なのに、それをあっさりと受け入れるのか。



(シキ・ザートツェントル……一体、どういう人物なのかしら?)



 クリスティーナがシキをじっと見ていると、彼はマルスの腰に佩く、魔導ライフルを指差した。



「ところで、その魔導武器は……魔導ライフルですね。見せてもらっても?」





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