第8話 婚約者殿
「私が生み出したモノを乗りこなしてくれるのはうれしいですが、もっと丁寧に扱っていただかないと」
「あなた……!」
クリスティーナは目を見開き、己の手首を掴むと男を凝視した。
視線が絡むと、男はニッと口の端を上げ、手首を掴まれたまま、ぐいっと引き上げられる。
そのまま腰を抱かれて引き寄せられると、男が乗るカヴァルリーの前に乗せられた。
「ちょ……っ!?」
後ろから抱きしめられるような格好に、クリスティーナは抗議するために声を上げかけた。
しかし、被せるようにワイバーンがギャアッ、と短く吠えた。
獰猛な視線で狙いを定めて、翼をばさりと羽ばたかせながら、こちらに向かって飛んでくる。
はっと気がついたクリスティーナが、手元の黒いロッドを見るが、すでに元に戻っている。
それでも応戦するために立ち上がろうとすると、無骨な掌でぐっと肩を押さえられた。
「操縦をお願いします」
「え!?」
パッと手を離された操縦桿を、クリスティーナは慌てて握りしめる。
手を離した本人はステップに軍靴を固定していたのか、すでに立ち上がっていた。
男はワイバーンを睨みつけて何かを呟くと、男の拳からブンッと短い音が鳴り、同時に光を放つ。
思わず振り返ったクリスティーナは、男の手にしているものを見て、目を瞠った。
「……魔刀アシュラだわ」
男が握りしめている黒い柄の先に、魔力を帯びた長めの鋭い刀身が生成されている。まるで異国の地の文化にある刀のようだ。
一直線に向かってくるワイバーンに対して、男はアシュラを構えた。
そしてワイバーンに向って、八の字を描くようにすばやく刀を動かした。
瞬間、刀身が三本に増え、ビュンッと鞭のようにしなる。
三本の刀身が電光石火の勢いで、ワイバーンに喉に突き刺さった。
ワイバーンがこれでもかと目をひん剝き、全身を痙攣させ、声もなく絶命する。
その巨体は魔力の炎に焼かれ、塵となって消滅した。
(一瞬で殲滅したわ。すごい、これが魔刀アシュラなのね。初めて見たわ)
魔導武器・魔刀アシュラは、扱いが難しいと言われている武器の一つだ。
通常より魔力を多く使用するのと同時に、繊細なコントロールが必要とされる。
しかし、その武器の威力は絶大だ。
ほうと感嘆の溜息を零すと、魔導武器を元の黒いロッドに戻した男と目が合った。
男がふっと笑うと、あっという間にクリスティーナの背後に座り、さらっと彼女から操縦桿を取った。
「全て殲滅できたみたいですよ、婚約者殿」
「あなた、どうして……」
魔刀アシュラを操る男は、天才機械士と名高いシキ・ザートツェントル。
この世界で初めて戦空艇を開発した張本人だ。
それだけでなく、小型迎撃艇カヴァルリーや魔導武器を開発したのも彼だ。
帝国軍魔導研究所に所属し、副所長の肩書もあり、帝国軍内での発言権も強いと聞いている。
そんな男だが元は近衛騎士団の所属で、魔力保有量がトップクラスで実力も高い。
彼が頭角を現したことで、彼が身にまとっている魔導研究所の青の制服に憧れを持つ者が多いと聞く。
これがクリスティーナの調べた表向きに流れている情報だ。
しかし、なぜこんなところに彼がいるのか?
眉根を寄せ、問い詰めようとくるりと振り向けば、端正な男の顔が間近にあった。
ひっと短く悲鳴を上げそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。
「まずはあなたの無事な姿を団員に見せてはいかがですか? ほら、戦空艇が見えてきましたよ。着艦しますね」
シキが手慣れた手つきで操縦桿を動かすと、カヴァルリーのモーター音が静かになると同時に、徐々に速度が落ちていく。
バラバラバラ……と、勢いよく回転する戦空艇のプロペラ音が、だんだん大きくなっていく。
二人を乗せたカヴァルリーは、戦闘を終えて空に佇んでいた戦空艇の甲板にふわりと着艦した。
「クリス閣下、ご無事で!」
「閣下、おかえりなさい!」
戦空艇内に入室したとたん、肩の力を抜き、ホッとした表情の団員たちが次々と迎えてくれた。
そこには戦闘部隊の団員もいる。どうやら自分たちより先に、無事に戦空艇に戻っていたようだ。
「クリス閣下、大丈夫かよ!?」
「エドワード」
エドワードが団員たちを押しのけながら、慌てて駆け寄ってきた。
おそらく指令室から、クリスティーナが落ちたところを見たのだろう。
心配性の副官に、クリスティーナは苦笑した。
「また余計なことを考えたんじゃないだろうな?」
「……こうして無事だったんだから、問題なくてよ?」
「そういう問題じゃねーよ。……で、誰だコイツ?」
エドワードがシキに警戒心たっぷりの視線を向けた。明らかに不審者を見る目つきだ。
その場にいた団員たちも、釣られて同じようにシキを見る。
だがそんな視線を気にも留めずに、シキの双眸と口元がゆっくりと弧を描いた。
「皆さん、初めまして。私はシキ・ザートツェントル。帝国軍魔導研究所副所長であり、クリスティーナ殿下の婚約者になりました」
エドワードがひゅっと息をのみ、団員たちが目を丸くし、ポカンと口を開けた。
「ああ、それと。戦空艇団総師団長の命により、明日からこの第三師団の副官として着任します。というわけで、よろしくお願いしますね」
「は、はああああっ!?」
皇女らしくからぬ叫び声が、戦空艇内に反響する。
少し遅れて、団員たちの驚愕の叫びが追いかけた。
「ふ、副官ですって!?」
「ええ、副官です」
「お兄様がそうおっしゃったの!?」
「もちろん。今日は挨拶をしにきただけなのですが……たまたま出撃していて、たまたま師団長が空から落ちてくるとは思いませんでしたが」
にこにこしながらも、こちらを見透かすような目を向けられ、クリスティーナは口元が引きつった。
時折、衝動的にあの瞬間を感じたくなるだけだ。
自分が宙ぶらりんの存在のような気がして、薄ら寒くて。
しかし、あの意識を失う間際、いつも同じような「夢」を見る。
胸の内をじんわりと温かくする、あの世界は何だろう。
「ああいうことはよくあることですか?」
話しかけられてハッと意識を取り戻す。シキはこちらをずっと見据えたままだ。
「……いいえ、まさか。助けてくれてありがとう。偶然あなたがいてくれて良かったわ」
「偶然ですか」
「ええ、偶然よ」
まだこちらを訝るような気配を感じたクリスティーナは、面倒だと思い、あえて口角を上げて、露骨に話題を逸らした。
「というか、あなた、本当に第三師団の副官として着任するのかしら?」
「副所長と兼務ですけどね」
「うちにはすでに、エドワードという優秀な副官がいるわ」
「知っていますよ」
「兼務なら、なおさらあなたは必要ないって、ちょっと……」
コツコツと靴音をさせて、なぜかずいっとシキに距離を詰められていた。
クリスティーナは反射的に一歩退くが、退いた分、また靴音をさせてシキに詰められた。
(な、なんで……!?)
「まあ、そうおっしゃらずに。悲しくなってしまいますよ?」
「あの、ちょっと……」
「私は婚約者殿と、公私ともに一緒にいられてうれしいのですが、あなたは違うのですか?」
「あの……ち、近い。近いわ!」
クリスティーナは徐々に壁際に追い詰められ、シキが目の前の彼女を囲うように壁に片手を突いた。
男の吐息が感じられるような距離感に、クリスティーナの心臓が跳ねる。
婚約者は六人いたが、いずれ婚約破棄をするつもりだったから、極力接触しないように心がけていた。
だから、こんなに男性に近づかれたことがない。
そわそわと落ち着かず、どうしたらいいのか戸惑っていると、シキがさらに近づき、形の良い耳に唇を寄せた。
「私はあなたの婚約者です。ですので、私のことは暴かないでくださいね」
どこか甘く響く低音が紡いだ言葉に、クリスティーナははっと息を飲み、唇を嚙みしめた。
(知っているんだわ。わたくしがこれまで、婚約者の不都合な点を暴いて、婚約破棄してきたことを)
厄介な相手が婚約者になった。
兄が笑っているような気がして、クリスティーナは内心で舌打ちをした。
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