第4話 婚約締結

 クリスティーナ自身は、この国のことを愛しているかどうかはわからない。

 ただ、皇族であるがゆえに国民を守ることは義務だと思っているし、「力ある者から民を守ること」は己の矜持でもある。

 目の前にいる、眉根を寄せて口を真一文字にしている兄も、同じ考えを持っていると思っているのだが。



「ほう。それで六人目の婚約者とも婚約破棄をしてきたわけか」


「仕方がないですわ。彼に問題が多かったため、キングスコート国王自ら王太子の地位をはく奪しましたから。宗主国の皇女が小国の、しかも地位のない者と婚姻を結ぶのは、何のメリットもありません」


「で、一週間後に本国に帰還したと」


「ええ。片付けもありますからね。あ、最後の任務として魔獣を討伐しましたわ。かの地の民に罪はないですもの。レオンお兄様、何か問題でも?」


「……問題は大ありだ」



 クリスティーナの軽やかな表情とは対照的に、はぁ、とレオンハルトが深いため息を零した。

 代々の皇太子が使用してきた気品のある執務室に、クリスティーナは式典の後、渋々訪れた。

 深みのある色合いの執務机の席で、現在の部屋の主であるレオンハルトが眉間を揉みながら、うんざりと深く座った。



「キングスコート領内で魔獣を討伐したのはかまわん。婚約者の国の国防は、戦空艇団総師団長である私から与えた第三師団への任務だったしな」


「ええ、総師団長からの指令でした。わたくしは第三師団の師団長として遂行したまで。力ある者から民を守ることは我々の義務ですから」


「もちろんだ。だが、私は婚約破棄まで命じた覚えはないぞ」



 レオンハルトが突き刺すように、クリスティーナをじっと見た。

 この兄の冷ややかな双眸が苦手だ、といつも思う。逃げ道をふさがれたようで、息苦しく感じる。



「……わたくしは結婚など致しません。わたくしは軍人です。戦空艇とともに朽ちます」



 その宣言の通り、クリスティーナの今の装いは、皇女としての清楚なドレス姿ではない。

 己のアイデンティティーとも言える、戦空艇団の紅の軍服を身に着けている。すらりとした身体は華奢で、軍服を身に着けていてもどこか色気を醸しだす。その女性らしい容貌が、軍人のクリスティーナにとっては煩わしい。



「お前は軍人である前に皇族だ。皇族としての務めから逃げられると思うな」


「皇族としての務めなら、本国にとってのマイナス要因を見つけ出し対処しましたでしょう? これまでの婚約破棄も損失を被らずに済みましたが。それに、お兄様にとってもリターンが大きかったと思いますわ。帝国と従属国との風通しが、これまで以上に良くなったのですから」



 クリスティーナはすまし顔で言うと、レオンハルトが苦虫をかみ潰したような顔をした。

 実質今回のキングスコートも含めて、クリスティーナが仕掛けた婚約破棄により各国の王族の力は弱まり、クリスティーナが嫁がなくとも帝国の思惑が通りやすくなっている。



(今回の件もわずかな時間しか経っていないけど、お兄様は実感しているでしょうね)



 帝国の皇女であるクリスティーナの結婚は、帝国として最重要事項の一つだ。

 それゆえ、すでに政務の中心にいる皇太子のレオンハルトが担ってきた。

 しかし結婚する気のないクリスティーナは、元婚約者たちの不祥事や属国の不正を暴き、婚約破棄を成し遂げてきた。

 兄を納得させるには相手に不祥事か醜聞があり、帝国側から破棄する必要があったからだ。



「そもそも記憶喪失であるわたくしを、本国から出すこと自体リスクではないのですか?」



 いい加減諦めてくれればいいのに、という思いを込めて、クリスティーナは機密情報をあっさりと口にする。

 兄の顔をさらに歪ませたいという魂胆だったが、レオンハルトは涼しい顔だ。



「逆だ。お前の記憶喪失は、まだ帝位を諦めていない第二皇子派の格好の餌食だ。だから、外交政策を含め、お前を国外と婚約を結ばせてきた。婚約中からその国の国防を担う名目のもと、本国から出していたからな。それゆえ、未だ記憶喪失はほとんどの者が知らない」



 容貌がよく似ていると評される兄が、ニッと口の端を上げた。

 実はクリスティーナには十歳以前の記憶がない。幼い頃の兄との思い出を覚えておらず、亡くなった皇妃である母ロザーラの顔もおぼろげだ。だから、レオンハルトが兄であるという実感がない。容貌が似ていなければ、もっと実感がなかっただろう。

 これは隙を見せてはならない皇太子派の大きな秘密だ。



「だが、クリス。お前の言うことも一理ある。だから、今回は本国から婚約者を用意した」


「婚約者!? またですの!?」


「喜べ、クリス。今回は父帝からの後押しもある。先ほど手続きを済ませた」



 クリスティーナは目を瞠り、唇が震える。腹の底がぐつぐつと煮えくり返った。

 結婚なんてする気はさらさらない。だから、これまで己の力で六回も婚約破棄をしてきたのだ。だが、いつもこの兄に邪魔をされる。

 けれども適齢期も過ぎ、クリスティーナは二十一歳になった。これでいよいよ結婚を遠ざけられると思っていたのに。

 また、この兄のせいで!



「七人目だなんて冗談じゃありませんわ!」



 執務机に大股で近づいたクリスティーナは、拳に怒りを乗せてドンッと机を叩いた。



「わたくしは悪女と評判の女ですよ! 誰が婚約者にしたいと思うのですか。お兄様、いい加減諦めてはいかがですか!?」


「だが決まったものは仕方がない。クリス、これでだめなら私も諦めるよ。新たな婚約者は、ザートツェントル公爵家の次男シキ・ザートツェントルだ」


「はあ!?」



 クリスティーナは眉を吊り上げた。

 式典で初めて見た、三年連続受賞したあの男だ。公爵家の人間だったのか。

 そう言えば、あの時彼は父帝と褒賞の話をしていなかったか。



「私の友人であり、私が帝位についた時には、宰相になってほしいと思っている信頼できる男だ。今は断られているがな」


「まぁ、お兄様が断られているのですね」



(わたくしをダシにして、その時が来たら宰相の地位に据えるおつもりなのね。しかもお父様からの支持を取りつけている)



 兄の魂胆が透けて見える言葉に、クリスティーナは頭にきて、内心で舌打ちをした。

 どこまでも皇女というカードを使い続ける兄の姿勢に、腹立たしさが収まるはずもない。



「お兄様、何度も言いますが、わたくしは結婚なんてしませんからね!」


「お前に拒否権はない。きっちり皇族としての役目を果たしてもらうぞ」



 今度は我慢できず、皇女らしからぬ舌打ちが出た。

 兄がその態度なら、父帝が出てこようとも、遠慮なく婚約破棄を目論むだけだ。

 今度は諦めると言っているのだから。




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