第3話 悪女殿下
大陸随一を誇る城下町を見下ろすように、高台に建てられた壮麗な城・ヴィクトール城。柔らかな月明りを反射させ、輝いているように見えるその姿は、宗主国であるヴィクトール帝国の威光を示しているようだ。
その城の華やかな大広間に、着飾った貴族たちが続々と集まっている。
本日は城で開かれる、年に一度の帝国授与式典の日だ。従属国も含めて帝国に貢献した者が表彰される日である。
思い思いに着飾った貴婦人たちが会話に興じているが、ちらちらと壇上にある帝国の皇族席に視線を送っていた。
「まあ! 皇女殿下が六回目の婚約破棄をなさったですって!?」
「そうなのよ。ご覧になって。皇女殿下が式典に出席されているけれど、帝国側のお席にいらっしゃるでしょう?」
「本当だわ。相変わらずお美しいけれど、婚約された男性たちはお気の毒ね。いつも婚約期間は半年も持たなかったはずよ」
「今まで婚約されていたのは、従属国と言えども王族だったはず。婚約破棄後はその地位を追われた方もいるとか」
「怖い方ですわ。きっと悪女ぶりを発揮されたのよ。だって、悪女殿下ですもの」
皇族席にいるクリスティーナにちらりと意地の悪い視線を向けて、聞こえるようにクスクスと笑う。
(帝国の貴族たちは相変わらずね。帰ってきた実感が湧くわ)
クリスティーナが帝国に凱旋したのは一週間前。すでに情報が出回っていることに感心するのと同時に呆れてしまう。
クリスティーナが貴婦人たちを冷めた目で見ていたら、隣から大げさな溜息を聞こえた。
「……クリス。お前のことを言われているぞ」
「まあ。貴族はどこの国でも噂好きですわね」
「事実だろう。私が主となり結んだ婚約を破棄して、また戻ってくるなど何を考えているんだ。六回目だぞ」
眉間に深い皺を寄せたのは、隣に座るクリスティーナの五歳上の兄・レオンハルトだ。皇族特有の紫紺の瞳、艶やかな金の髪は、クリスティーナと同母であると示している。
ヴィクトール帝国の皇太子であり、常々クリスティーナの婚約を結んできた張本人である。
「レオンお兄様、もうわたくしの態度はお分かりでしょう?」
「何度も言うが、結婚は……」
「お兄様、始まりましたわ」
話を切り上げたクリスティーナは舞台上に視線を移し、式典の開始を見守る。
レオンハルトが何か言いたそうだが、今は公務の時間のため、もう一度ため息をついてから口をつぐんだ。
クリスティーナは兄の態度に少しばかりホッとする。皇族の公務であるこの日まで、クリスティーナはレオンハルトを避け続けてきた。もちろん兄の説教を回避するためである。
式典は恙なく進む。帝国国民にとって、現皇帝ジークフリートから直接栄誉を賜ることは、何物にも代えがたい人生の誉れだ。クリスティーナは目の前で行われる授与式に何度も拍手を送った。
しかし、それを何でもないような涼しい顔で受け取る者がいた。
「帝国軍魔導研究所副所長、シキ・ザートツェントル」
「はい」
凛とした声が会場に響くと、青い軍服を纏った男が前へと進み出る。
コツコツと靴音が響くのと同時に、ほお、と感嘆のため息が方々から零れた。
軍人らしい上背のある均整の取れた体躯を持ち、一つに括られ歩くたびに優雅に揺れる髪は、ヴィクトール帝国内でも珍しい黒。隣国ドルレアンの血を引いているとわかるその髪と同じ色をした、意志の強さを宿す切れ長の双眸、それに通った鼻筋は美しい顔立ちを引き立てる。いわゆる容姿端麗な男は、たちまち見る者を魅了していた。
彼が皇帝の前で立ち止まると、恭しく一礼をした。
(彼がシキ・ザートツェントル。わたくしの戦空艇を作り出した天才機械士ね。彼の作り出す魔導機械は惚れ惚れするわ)
クリスティーナは少し乗り出すように、舞台上を見つめた。
「戦空艇の開発並びに建造量の増加は、帝国軍のさらなる強化をもたらした。三年連続、褒章を授与する。おめでとう」
「ありがとうございます。皇帝陛下」
「三年連続は帝国軍創設以来、初めてのことだ。何か望むものはあるか?」
皇帝に問われたシキがちらりと壇上を見上げ、なぜかぱちりとクリスティーナと目が合った。
「……そうですね。せっかくですので陛下にお願いしたいことが。後で申し上げても?」
「よかろう」
「ありがとうございます」
優雅な礼をしたシキがその場を後にする。
クリスティーナは拍手をしながら、去っていく背中をじっと見つめた。
(目が合ったわね。婚約ばかりで国外にいたから、彼を見たのは初めてなのに。どういうことかしら)
頭を巡らすが、思いつくことは何もない。
考えても仕方がないので、再び式典に意識を戻した。
しばらくして式典の終了が宣言され、皇族は先に退出することになった。
「クリス、お前はこの後私の執務室へ来い。説教だ。逃げるなよ」
レオンハルトが席を立つと同時に、念押しのように告げられた。
兄の差した釘に対して逃げる選択肢もあるのだが、その後のことが面倒だ。ここは素直に従うしかない。
去っていく兄の背を見ながら、クリスティーナはこれ見よがしにため息を零した。
「クリスティーナも大変だね」
うんざりしながら立ち上がったちょうどその時、ひょろりと背の高い、着飾った男に声をかけられた。
「ジェレミーお兄様」
「兄上に婚約破棄のお説教をされるのかな?」
「そうみたいですわね」
「かわいそうに。兄上も酷だね。こんなに結婚を嫌がっているのに」
ジェレミーが困ったように首を傾げれば、さらりとグレーの髪が流れた。
第二皇子であるジェレミー・ヴィクトールは、クリスティーナの異母兄にあたる。
当然皇族として出席していたが、クリスティーナたちとは席は離れており、彼の母親である側妃テオドラの傍にいた。
(珍しいわね。わたくしに声をかけるなんて)
兄妹ではあるが、側妃があからさまに交流を嫌がり、あまり会話をしたことがない。
そのため、積極的に交流を図ったことはなかった。
ただそれだけではなく、クリスティーナ側にも会話を控えている理由があるのだが。
「兄上のもとに行くのかい?」
「仕方がありません。皇太子殿下の命は聞きませんと」
「皇太子殿下からなら仕方がないね。クリスティーナが婚約破棄をしては帝国に帰ってきているのに、
兄上はなぜそこまでしてクリスティーナの結婚にこだわるのかな?」
「さあ? わかりませんわ」
「……ね、助けてあげようか?」
ジェレミーがすっとクリスティーナとの距離を縮め、ぽそりと囁く。
珍しいことを言う次兄に、わずかに目を瞠った。
「嫌なんでしょう?」
ジェレミーの顔を見上げれば、薄い唇の端が上がり、王子然とした優し気な表情を見せる。その表情にのぼせ上がるご令嬢もいるだろう。
しかしクリスティーナはその表情に引っかかり覚え、わざとらしく仕方ないと言わんばかりに肩をすくめた。
「大丈夫ですわ、ジェレミーお兄様。慣れていますもの」
「そう?」
「レオンお兄様の考えていることはわかりませんが、帝国にはわたくしの使命がありますから。それに邁進するのみです」
「誇り高いね。クリスティーナは」
ジェレミーは眩しいものを見るように目を細め、感心してみせた。
「クリスティーナは帝国のことを愛しているんだね。だったら、兄上ももうやめたらいいのにね」
そう言った後、次兄の従者が迎えに来て、彼はクリスティーナのもとを去っていった。
次兄の言葉には何も発せず、クリスティーナは微笑を浮かべるだけにとどめた。
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