第2話 軍人皇女
「国王陛下、失礼します! 急ぎ報告です!」
目が覚めるような緊迫した声を上げて、衛兵が慌ただしく入室した。
突然の出来事に、国王が眉をひそめる。
「何事だ?」
「魔獣が……っ、魔獣が王都の郊外に現れました。ワイバーンです! 数は五体!」
衛兵が報告した瞬間、肌を刺すような空気が張り詰めた。
ワイバーンは硬い皮膚に、大きな体躯を持ち上げられる翼を持っている魔獣だ。空を飛ぶタイプのため、魔獣の中では厄介な部類に入る。放置していれば、大きな犠牲を払ってしまうだろう。
しかし、キングスコート王国は小国ゆえ、王国軍はそれほど強くない。
報告に身体を固くした国王は、すぐにクリスティーナを見た。
「皇女殿下」
「陛下、わかっていますわ。わたくしの使命は、力ある者から民を守ること。すぐに第三師団を動かしましょう。でも、これが最後でしてよ」
クリスティーナがぴしゃりと言えば、国王はごくりと生唾を飲み込み、ゆっくりと頷いた。
婚約破棄が成立した後ではあるが、クリスティーナとて見過ごすわけにはいかない。
クリスティーナは耳につけた銀色のイヤーカフを触り、通信機を起動させた。
ジジー、ピッと通信回線のノイズの後に軽やかな音が鳴り、交信を開始する。
「こちら、クリス。ワイバーンが出現したわ。出撃の準備を」
『こちら、エドワード。クリス閣下、こっちでも確認済みだ。いつでも出撃できるぜ』
「よろしい。では、すぐに出撃を。わたくしも向かうわ」
通信機を切ったクリスティーナは、すでに可憐で美しい姫ではなく、軍人としての鋭い光を双眸に宿す。
クリスティーナの肩書は、帝国の皇女以外にもあった。
世界の空を制したと言われる、ヴィクトール帝国戦空艇団の第三師団師団長である。
魔獣の討伐は甘くない。この国の命運を握っているのは、クリスティーナだ。
「では、わたくしはこれで。討伐作戦を遂行しますわ」
「皇女殿下! なにとぞ、なにとぞよろしくお願いいたします!」
彼らの縋るような目をあっさりと振り切って、クリスティーナはドレスのまま走り出した。
部屋を出て、王宮の長い廊下をひた走る。
「もうっ、走りにくいわ」
裾の長いドレスがひらひらと足元にまとわりつく。
皇女としての公務以外、普段から動きやすい戦空艇団の紅の軍服姿だ。
おそらく六人目の婚約者はそれも気に入らなかったのだろう、とクリスティーナは軽く分析する。
一般的な高位貴族の女性像を持つ彼とは、相性が悪すぎた。それゆえ、早めに婚約破棄ができたのは僥倖だった。だからと言って、再び婚約を結ばされる可能性は高いが。
(わたくしは生涯結婚する気なんてないわ。いつになったらお兄様は理解してくださるのかしら)
無意識に眉をひそめながら、冷たい石造りの廊下を駆け抜けた。
廊下の先は明るい陽射が差し込んでいるのか、キラキラと輝くように見える。そこから涼し気な風が吹いて、クリスティーナの頬を撫でた。
光をめがけて、速度を緩めず走り抜けた先は、王宮のバルコニーだった。
「クリス閣下、こっちだ!」
「エドワード!」
爽やかな笑顔で腕をぶんぶんと振りながら、クリスティーナに声をかけてきたのは、第三師団の副官を務めるエドワード・トリアトトだ。
クリスティーナと同じく紅の軍服に身につけている彼は、脚のない騎馬のような形をした、鋼鉄製の小型迎撃艇カヴァルリーに跨っていた。
「閣下、乗ってくれ。戦空艇に向かう」
頷いたクリスティーナはドレスにも拘わらず、ひらりとエドワードの後ろに乗った。
エドワードが操縦桿を操作すると、ブーンと低い羽音のようなモーター音が断続的に鳴り始める。
動力を得たカヴァルリーがふわりと浮いて、コバルトブルーの空へ向かって走り出した。
上空に浮かんでいるのは、巨大な木造の空飛ぶ戦艦・戦空艇。装甲は木造で、数基のプロペラを推進力としている戦艦だ。世界で唯一ヴィクトール帝国が持っている、空で戦える軍・戦空艇団が所有しているものだ。
(指示してからすでに上空で待機しているなんて、さすがわたくしの団員たち)
クリスティーナは目を細めて、戦空艇を見つめる。
カヴァルリーはぐんぐんスピードを上げて、あっという間に戦空艇の甲板に着艦した。
バラバラバラ……と、勢いよく回転する戦空艇のプロペラ音が、クリスティーナにとって耳に心地良い。
ひらりと飛び降りたクリスティーナは、エドワードを伴い、すぐに艇内へ向かった。
「閣下、待ってたぜ!」
「おかえりなさい、クリス閣下!」
「おかえりなさい!」
入り口である重厚な扉をガチャンと開けて入室すると、艇内に待機していた第三師団に所属する団員たちが、次々に声をかける。
皆、クリスティーナの婚約とともにキングスコート王国に着任し、この国の国防を担っていた。
「クリス閣下、ドレス姿じゃないか。軍服はどうした?」
団員の中でも最初に声をかけてきた筋骨隆々の男・マルスが、クリスティーナの姿を訝し気にじろじろと見た。
「公務だったのよ。ついでに、婚約破棄をしてきたわ」
「またかよ! 今回は随分早いな?」
「ふふ、最短記録よ」
胸を張って堂々と言ったクリスティーナに、団員たちは次々と笑い出した。笑い声つられて、クリスティーナも笑ってしまう。
団員たちはこれまでもクリスティーナの婚約破棄をみてきたため、受け入れるのも早かった。
「じゃあ、この国ともおさらばだな」
「そうね。最後に一仕事してちょうだい。総員、配置について!」
凛とした声でクリスティーナが司令を出すと、すぐさま、おう! と団員たちからの返事が艇内に響いた。クリスティーナは艇内にある司令室へ急ぎ、エドワードもその後に続く。
戦空艇の進路の先には、翼をはためかせた魔獣ワイバーンが五体いる。
大きな巨体だが、恐れおののく必要はない。空という同じ土俵で戦える、戦空艇団・第三師団であれば十分に戦える。
「目標確認、距離九十。クリス閣下、どうするんだ?」
司令室の副官の席に着いたエドワードが、クリスティーナに指示を求めた。
司令室の前面に張られた大きなガラスの向こうを見据えて、師団長としてクリスティーナが采配する。
「距離五十まで詰めて。魔導弾を撃ち込むわよ!」
「了解! 総員に告ぐ。魔導弾の装填を開始せよ。距離五十にて射出。カウントを開始する……」
エドワードのアナウンスで、団員たちが靴音を響かせながら、すばやく次の行動に移す。
戦空艇に搭載されている大砲が、ガゴンガゴンと鈍い音を響かせながらぐるりと動き、ワイバーンたちに照準を合わせた。
「戦っている時が、一番生きているって感じがするわ」
ワイバーンの群れを見据えたクリスティーナから、ぽつりと小さな呟きが零れた。
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